先日、教育勅語を今でも信奉する人は日本古来の神道を信ずる人が多く、「教育勅語は儒教なので水と油」(姜尚中氏)の評をみて”そうだ!”と思ったが、コトはそう簡単ではなかった。勉強が足りなかった。
姜尚中さん「教育勅語というものは本来、日本の神道とは水と油でこれは基本は儒教。もっとも中国的なことで、理解していないのが滑稽。多くの人が日本本来の伝統と勘違いをしているが、そういう点では彼らは愛国無罪と言いたいのだろうが愛国有罪になりかねない」

 「近代天皇論」ー「神聖」か、「象徴」か <片山 杜秀,  島薗 進 著> より
S: 後期水戸学の思想を江戸の宗教史のなかに位置づけると、それは神仏習合から神儒習合への転換の流れに入ってくるもの。
 江戸初期のキリシタン禁圧後、住民は(キリシタンではないことを証明するために)仏教寺院に所属し戸籍登録に相当することをしなくてはいけなくなる。次第に武士層の中に儒教、特に朱子学が広まっていく。禅を経由して儒教を学ぶという経過をとる。
 禅ももとは統合体制の権威の源泉という側面をもっていたが、修行に励む禅僧を見ているとどうしても個人主義的に見えてしまう。そこに違和感を覚え、人間関係を重視する儒教の中で、道義的な修養を求めるようになる。

K: 仏教は統治の学問にはならないということか。

S: もともと仏教は正しい社会秩序の根本理念、すなわち「正法」を提示するものと考えられていた。日蓮などに顕著。しかし、宋学と呼ばれる新しい儒学が興隆する東アジアの大きな変化の潮流を受けて、信長以来、社会理念の提示者としての仏教の機能を抑えたとみることができる。それを受けて、儒教の立場から仏教を批判するような潮流が江戸の早い時期から出てくる。

 その後、儒教が神道化していく。その代表が。山崎闇斎の提唱した垂加神道。儒学と神道を統合して、天と人との一体性が強調される。ここから儒教的な尊王愛国がひとつの思想として発展していく。

K: つまり、神儒習合という流れと、仏教軽視の流れが並行して起こっていくと。

S: はい、民衆の信仰もある局面では神道に傾いていくようになる。お伊勢参りもそう。もともとは仏教との結びつきが強い山岳信仰が次第に土地の神の性格を強め神格化していく。一部の山岳信仰など、仏教的要素が後退していく傾向が広がる。富士信仰、御嶽信仰などがその代表例。

 そのような流れで、江戸中期以降、仏教も儒教も外来のまがいものだと否定して、日本固有のやまとごころを明らかにしようとする国学という思想潮流が強まっていく。

K: 江戸期の思想というのは、いろいろな潮流が並行しているのでなかなか整理しにくい。儒教であれ、民衆の信仰であれ、仏教の影響や存在感が弱まっていくとみてよいか。

S: ひとつの見方として有効。儒学者が仏教は家族を大事にしないと批判したり、国学者が仏教はこの世の秩序をないがしろにしていると批判したりしている。

   しかし、さらに巨視的に見ると東アジアの仏教文化圏」というのは大乗仏教と儒教が組み合わさって支え合いながら緊張関係にある。つまり文明理念の構造が二元的。対照的に一元的なのが中世ヨーロッパやイスラム圏。

 ところが東アジアでは、世俗のトップが仏教に熱中することはあっても仏教とは別に王権の神聖化を司る儀礼や理念がある。基本的には儒教で、日本の場合はそこに神道も入ってくる。

 


これを書いたすぐあと、Twitterで島薗さんのretweetがあり、著者二人の対談がYouTubeにあることが判明!
『近代天皇論—「神聖」か、「象徴」か』刊行記念 トークイベント
「教育勅語」が前提とする神話的国体論が日本を破滅に導いいた。「失敗の本質」をどこに見るか。


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これから何年歌えるかわからないけど、うたうのが好き。小さいころから好きだった。これからも、練習するために、少しずつ歌えそうな歌を探して、自分のアルバムにしようと思う。

オペラ大辞典

楽譜購入(UK) Presto Music
Sheet Music2pring.com (U.S.)
おけら歌集(すみれ会用)

♪ O tannenbaum ♪

♪Das Veilchen ♪

♪ Sehnsucht nach dem Frühling ♪

♪ O Holy Night

♪ Als die Alte Mutter

♪ An die Musik

♪ Caro mio ben

♪O mio babbino caro♪

♪ Santa Lucia ♪

♪ Che faro senza Euridice

♪かなしくなったときは(大中恩作曲)

♪次の練習曲 Die Lotosblume(Heine)

♪ 音楽記号一覧

♪ Orpheus With His Lute

♪これからの練習曲

♪ Lascia ch’io pianga

♪ Schumann Der Nussbaum

♪ Ombra mai fu

♪’びいでびいで’

♪小松耕輔:母(竹久夢二)

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「道義的責任」という言葉は知っているが、稲田朋美がいう「日本は道義国家を目指すべきという精神」の”道義”とはどういう意味だろうか?

❝人のふみ行うべき道徳上の筋道。”


▼五常の徳
五常(ごじょう)または五徳(ごとく)は、儒教で説く5つの徳目。
仁・義・礼・智・信
そのうちの、は、利欲にとらわれず、なすべきことをすること。正義。

八つの徳
孔子が論語で説く、八つの徳。
「仁」 :思いやりの心、いつくしむ心。
「義」 :人間としての正しいすじ道。
「礼」 :他の人に敬意を示す作法。
「勇」 :決断力。
「智」 :洞察力、物ごとを考え判断するはたらき。
「謙」 :謙虚、つつましく、ひかえめ。
「信」 :うそをつかない、約束を守る。
「忠」 :まごころ。
「寛」 :寛容、心が広く人のあやまちを受け入れる。


井上 道義(いのうえ みちよし、1946年12月23日 – ) (笑)

 


  • 大川周明は「満洲事変」当時、戦争の発端となった満鉄爆破の首謀者 板垣征四郎と親しかったというから、板垣の「道義国家」論に大川の『道義国家の原理』の影響を、また板垣の「東亜解放」論に大川の『復興亜細亜の諸問題』(1922年)の影響を見ても無理はないだろう。

  • “この「道義」言説は、例えば岡倉天心 (1863–1913) のような初期アジア主義者らによって「功利主義」的西欧帝国主義に対する帝国日本のカウンター・オリエンタリズムとして語られ始め、殊に日中戦争と太平洋戦争の勃発を契機として爆発的に語られた言説といえる。

  • 1937 年 5 月に発行された『国体の本義』(文部省編集)には見られない「道義」という語が、1941 年 7 月 21 日発行の「臣民の道」(文部省教学局編纂)において、

  •  「世界史の転換は旧秩序世界の崩壊を必然の帰趨たらしむるに至つた。ここに我が国は道義による世界新秩序の建設の端を開いたのである」 「支那事変は、これを世界史的に見れば、我が国による道義的世界建設の途上に於ける一段階である」 と述べられているのは、そうした事実を物語っている。

  • 一方、「道義国家」という語は 20 世紀初期の段階に見え始め、1925 年には大川周明の「道義国家の原理」(社会教育研究所リーフレット第 3)によって帝国日本の新たな国家的自己像を求める概念として用いられるようになる。
  •  
  • 大川は「個人と国家とを支配する道徳的原則」、すなわち「今日の国家が最早国民道徳の客観的実現として是認せらるべ」きことを唱えるのである。” ci.nii.ac.jp/naid/120005557…
  •  稲田朋美 2012年 「世界中で日本だけが道義大国を目指す資格がある。」
  •  ”和辻の「倫理学」的言説と「法哲学」を結びつけて「国家の道義理念を明らか」にすることを自らの「国家哲学」の使命とする尾高は、「国家をば道義そのものの最高実現」、「道義をば、法と道徳の総合理念」と捉えるヘーゲル (1770–1831) の「道義国家」言説を顕彰する。

天皇退位と憲法問題cover

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 1890年明治23年)10月30日、宮中において、明治天皇山県有朋内閣総理大臣芳川顕正文部大臣に対して与えた勅語である。翌日付の官報[2]などで公表された。その趣旨は、明治維新以後の大日本帝国で、修身道徳教育の根本規範と捉えられた。また、外地植民地)で施行された朝鮮教育令(明治44年勅令第229号)、台湾教育令(大正8年勅令第1号)では、教育全般の規範ともされた。


🌹

教育に関する勅語

 朕思うに、我が皇祖皇宗、国を肇むること宏遠に、徳を樹つること深厚なり。我が臣民よく忠に、よく孝に、億兆心を一にして世々その美をなせるは、これ我が国体の精華にして教育の淵源また実にここに存す。

 爾臣民、父母に孝に、兄弟に友に、夫婦相和し、朋友相信じ、恭倹己を持し、博愛衆に及ぼし、学を修め業を習ひ、以て知能を啓発し徳器を成就し、進んで公益を広め、世務を開き、常に国憲を重んじ、国法に遵い、一旦緩急あれば義勇公に奉じ、以て天壤無窮の皇運を扶翼すべし。

 かくの如きは、独り朕が忠良の臣民たるのみならず、又以て爾祖先の遺風を顕彰するに足らん。この道は、実に我が皇祖皇宗の遺訓にして、子孫臣民のともに遵守すべき所、これを古今に通じて誤らず、これを中外に施して悖らず、朕爾臣民と倶に拳々服庸して、みな其の徳を一にせんことを庶幾う。

明治二十三年十月三十日 御名御璽


1940年文科省による口語文 (2017/4/1朝日新聞より)

明治神宮
【教育勅語の口語文訳】
  私は、私達の祖先が、遠大な理想のもとに、道義国家の実現をめざして、日本の国をおはじめになったものと信じます。そして、国民は忠孝両全の道を全うして、全国民が心を合わせて努力した結果、今日に至るまで、見事な成果をあげて参りましたことは、もとより日本のすぐれた国柄の賜物といわねばなりませんが、私は教育の根本もまた、道義立国の達成にあると信じます。 
 
  国民の皆さんは、子は親に孝養を尽くし、兄弟・姉妹は互いに力を合わせて助け合い、夫婦は仲睦まじく解け合い、友人は胸襟を開いて信じ合い、そして自分の言動を慎み、全ての人々に愛の手を差し伸べ、学問を怠らず、職業に専念し、知識を養い、人格を磨き、さらに進んで、社会公共のために貢献し、また、法律や、秩序を守ることは勿論のこと、非常事態の発生の場合は、真心を捧げて、国の平和と安全に奉仕しなければなりません。そして、これらのことは、善良な国民としての当然の努めであるばかりでなく、また、私達の祖先が、今日まで身をもって示し残された伝統的美風を、さらにいっそう明らかにすることでもあります。 
  このような国民の歩むべき道は、祖先の教訓として、私達子孫の守らなければならないところであると共に、この教えは、昔も今も変わらぬ正しい道であり、また日本ばかりでなく、外国で行っても、間違いのない道でありますから、私もまた国民の皆さんと共に、祖父の教えを胸に抱いて、立派な日本人となるように、心から念願するものであります。~国民道徳協会訳文による~
 ★
<説明> 明治天皇は、六百八十余年の長きにわたって続 いた、武門の政治、封建の制度を改め、維新の大 業をなしとげられました。近代日本の建設に当っ ては、特に教育の普及と道徳の実践についてご心 配になられ、(一)政治に左右されることなく、(二) 軍政にとらわれず、(三)哲学的難解をさけ、(四) 宗教的に一宗一派に片よらず、国民の誰でもが心 がけ実行しなければならない徳目を挙げて、道徳 の普及、教育の向上を熱心に望まれて、「教育に関 する勅語」をお示しになりました。天皇が国民にお おせられることは、詔勅という形式によって布告 されています。 わたくしたち国民の、永遠不変の道徳教育の基 礎ともいわれます、父子・兄弟・夫婦・友人間の 人倫、謙遜、博愛、知徳の修得、道義的人格の完成、 社会的義務の履行等、勅語にお示しになった大御 心は、いかに時代が変わっても、本質的にはいさ さかの変わりもない訳です。私たちが歩まねばな らない道しるべとして、常にその徳目を実践して 立派な人となり、平和な家庭をもち、道徳的な良 い社会づくりに努力して欲しいものです。
《明治神宮社務所刊》

🌹教育勅語の現代語訳は「国民道徳協会訳」の訳文なるものが、明治神宮の冊子やサイトにも掲載され、世間に流布している。同訳文は佐々木盛雄著『甦る教育勅語』(昭和47年)からの引用であるが、後書きには同書が佐々木の自費出版であることが記され「国民道徳協会」は実質的に佐々木個人の一人団体である。🌷内容を故意に書き換えてあったり、意訳しすぎて原文とは似ても似つかないものであるなど、訳文としての質を批判する者もある。

参考:現代口語訳
 私の思い起こすことには、我が皇室の祖先たちが国を御始めになったのは遙か遠き昔のことで、そこに御築きになった徳は深く厚きものでした。我が臣民は忠と孝の道をもって万民が心を一つにし、世々にわたってその美をなしていきましたが、これこそ我が国体の誉れであり、教育の根本もまたその中にあります。
 あなた方臣民よ、父母に孝行し、兄弟仲良くし、夫婦は調和よく協力しあい、友人は互いに信じ合い、慎み深く行動し、皆に博愛の手を広げ、学問を学び手に職を付け、知能を啓発し徳と才能を磨き上げ、世のため人のため進んで尽くし、いつも憲法を重んじ法律に従い、もし非常事態となったなら、公のため勇敢に仕え、このようにして天下に比類なき皇国の繁栄に尽くしていくべきです。これらは、ただあなた方が我が忠実で良き臣民であるというだけのことではなく、あなた方の祖先の遺(のこ)した良き伝統を反映していくものでもあります。
 このような道は実に、我が皇室の祖先の御遺(のこ)しになった教訓であり、子孫臣民の共に守らねばならないもので、昔も今も変わらず、国内だけでなく外国においても間違いなき道です。私はあなた方臣民と共にこれらを心に銘記し守っていきますし、皆一致してその徳の道を歩んでいくことを希(こいねが)っています。
明治二十三年十月三十日
(天皇陛下の署名と印。)
解説1:教育勅語の最後には、原本では実際には「睦仁」という天皇陛下の署名と、その下に「天皇御璽」と書かれた印(御璽)が押されています。しかしそこから書き写す時には署名と印の代わりに「御名御璽」と書くことになっています。六法をお持ちの方は、日本国憲法の前文にも「御名御璽」がありますから探してみてください。
解説2:なお、教育勅語の口語訳は、「国民道徳協会」の訳が比較的有名なようですが、どうも「皇祖皇宗」や「臣民」の意味がぼけている。あくまでも意訳だと私は解釈します。当時の背景を理解しながら元々の意味を忠実に伝えるというよりは、“現代の日本に適応させようとした平成アレンジ”になってしまっている感があります。一方、天皇機関説事件の後の頃の、昭和初期の文献による教育勅語の解説もまた極端に思えるし、とにかく人によって結構解釈が違うらしい。結局私の納得行く訳が見つからなかった(ことと著作権の問題もある)ため、極端な意訳を廃した自前の訳を作ってみました。[1999年?初版、2002/05/21, 2004/07/01改訳。]

 教育勅語は、その冒頭の一句「我ガ皇祖皇宗、國ヲ肇(はじ)ムルコト宏遠ニ、徳ヲ樹(た)ツルコト深厚ナリ」からしてデタラメである。♠「皇祖」は天照大神または神武天皇を指すとされるが、古事記の記述によれば、神武は何の大義もなく九州から近畿に攻め込み、殺戮とだまし討ちを繰り返したあげく奈良盆地の一角を占拠した侵略者に過ぎない。神武が「徳ヲ樹ツル」など、冗談としか言いようがない。

 もちろん♣「皇宗(歴代天皇)」がずっとこの国を治めてきたわけでもない。そんなことはこの「勅語」を起草した者たち自身、重々承知していた。なにしろこの「勅語」が発布されたわずか四半世紀前はまだ江戸時代であり、現に徳川家の将軍が天下を統治していたのだ。


現代語訳(小池松次「修身・日本と世界」より)

 明治天皇がお考えになるのに、天皇の御先祖が我が日本の国をお建てになるにあたってその規模がまことに広大で、いつまでもその基(もとい)が動かないようになさいました。また、天皇の御先祖は、御自身をお修めになり、国民をお愛しみになって、万世にわたって徳政のお手本をお示しになりました。我が日本の国民がいつも天皇の忠義をつくし、よく親に孝行をつくすことを心がけ、国民全体が心を一つにして、代々忠孝の美風をつくりあげてきたことは、日本の国柄(国のすがた)のもっともすぐれた美点であって、教育の根本とするところもこの点(忠と孝)にあります。

 日本の国民は父母に孝行をつくし、兄弟姉妹は仲よくし、夫婦はおたがいに分を守って睦まじくし、友だちはおたがいに信じあい、助けあって仲よく交際し、他人に対しては礼儀を守り、自分に対しては常に身を慎み、しかも博く世間の人には慈愛の心をもって親切にすることが大切です。また大いに勉強し、技術を身につけ、そして知識をひろめ、才能をみがき、人格を完成し、その上に公共の利益を増進し、世の中のためになる仕事をすることが大切です。またいつも日本国憲法を大事にし、法律政令をよく守り、もしも我が国に非常の場合が起った時は、勇気を奮い一身をささげて国のために奉仕し、天地と共に限りのない皇位の御盛運をお扶けするのが国民の務(つとめ)であります。

 以上のような道徳をよく実行することは、天皇に対して忠良な国民であるばかりでなく、また我らの先祖に対しても立派な子孫となることができるのです。これまでお諭しになった道徳は、明治天皇が新しくお決めになったものではなく、実に天皇の御先祖がお残しになった御教訓であって、皇室の御子孫も、一般国民も共に守るべきものであります。これらの道徳は古(むかし)も今も、いつの時代に行なっても決してあやまりがなく、また日本国内ばかりでなく、世界中のどこの国で行なっても間違いのないものです。明治天皇は、御自身も国民と共にこの御先祖の御教訓をよくお守りになり、それを実行なさって君臣一体となってその徳を完全なものにしようと仰せられました。


JCP 教育勅語ってどんなもの?

 〈問い〉 「神の国」発言とあわせ森首相の教育勅語発言が問題になっています。教育勅語とは、どういうものなのですか。(栃木・C子)

 〈答え〉 教育勅語は、明治憲法発布の翌年(一八九〇年)に、道徳の根本、教育の基本理念を教え諭すという建前で出された勅語(天皇が直接国民に発する言葉)で、戦前、学校教育などを通じ、国民に植えつけられました。

勅語は、「朕惟フニ我カ皇祖皇宗(ちんおもうにわがこうそこうそう)」という言葉から始まります。「皇祖皇宗」(天照大神=あまてらすおおみかみ=に始まる天皇の祖先)が建てた国を治めるのは、その子孫の天皇であるとされています。明治憲法が、日本は「万世一系(ばんせいいっけい)」の天皇、つまり永遠につづく天皇が治める(第一条)、天皇は「神聖」だ(第三条)と定めたのと同じ考え方です。一方、国民は天皇に仕える「臣民」(家来)とされました。

勅語には、「父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ(ふぼにこうにけいていにゆうに)」といった、一見当たり前の道徳項目をのべているような個所があります。しかし、これらはすべて、「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ(いったんかんきゅうあればぎゆうこうにほうじ)」、つまり戦争になったら天皇のために命をささげ、天皇に「忠義」をつくすことにつながるものとしてあげられているのです。

実際、戦前は「忠を離れて孝なく、父祖に孝ならんと欲すれば、天皇に忠ならざるをえない」(勅語四十周年での文相談話)と教えられました。勅語の道徳項目は、天皇を頂点とする身分序列の社会の道徳で、臣民は天皇に忠義を誓う、臣民の間も、目下は目上に従え式の身分ルールでかためられていました。

勅語には、命の大切さも、人権や平等の大切さものべられていません。“良いところ”など何もないのです。教育勅語は、戦後、新しい憲法のもとで効力を失い、国会では、主権在民に反すること、「神話的」な国家体制の考え方=「国体観」であること、国民の基本的人権を損なうものであることなどを理由に「排除」の決議がされました。(豊)

〔2000.5.25(木)〕


Twitterにあった明治学院大高橋源一郎教授の現代語訳(2017.3.14, 1時間ぐらいでやったとか)

はい、天皇です。よろしく。ぼくがふだん考えていることをいまから言うのでしっかり聞いてください。もともとこの国は、ぼくたち天皇家の祖先が作ったものなんです。知ってました? とにかく、ぼくたちの祖先は代々、みんな実に立派で素晴らしい徳の持ち主ばかりでしたね。
きみたち国民は、いま、そのパーフェクトに素晴らしいぼくたち天皇家の臣下であるわけです。そこのところを忘れてはいけませんよ。その上で言いますけど、きみたち国民は、長い間、臣下としては主君に忠誠を尽くし、子どもとしては親に孝行をしてきたわけです。
その点に関しては、一人の例外もなくね。その歴史こそ、この国の根本であり、素晴らしいところなんですよ。そういうわけですから、教育の原理もそこに置かなきゃなりません。きみたち天皇家の臣下である国民は、それを前提にした上で、父母を敬い、兄弟は仲良くし、夫婦は喧嘩しないこと。
そして、友だちは信じ合い、何をするにも慎み深く、博愛精神を持ち、勉強し、仕事のやり方を習い、そのことによって智能をさらに上の段階に押し上げ、徳と才能をさらに立派なものにし、なにより、公共の利益と社会の為になることを第一に考えるような人間にならなくちゃなりません。
もちろんのことだけれど、ぼくが制定した憲法を大切にして、法律をやぶるようなことは絶対しちゃいけません。よろしいですか。さて、その上で、いったん何かが起こったら、いや、はっきりいうと、戦争が起こったりしたら、勇気を持ち、公のために奉仕してください。
というか、永遠に続くぼくたち天皇家を護るために戦争に行ってください。それが正義であり「人としての正しい道」なんです。そのことは、きみたちが、ただ単にぼくの忠実な臣下であることを証明するだけでなく、きみたちの祖先が同じように忠誠を誓っていたことを讃えることにもなるんです。
いままで述べたことはどれも、ぼくたち天皇家の偉大な祖先が残してくれた素晴らしい教訓であり、その子孫であるぼくも臣下であるきみたち国民も、共に守っていかなければならないことであり、あらゆる時代を通じ、世界中どこに行っても通用する、絶対に間違いの無い「真理」なんです。
いままで述べたことはどれも、ぼくたち天皇家の偉大な祖先が残してくれた素晴らしい教訓であり、その子孫であるぼくも臣下であるきみたち国民も、共に守っていかなければならないことであり、あらゆる時代を通じ、世界中どこに行っても通用する、絶対に間違いの無い「真理」なんです。

鎌倉案内のための参考資料をPin Up

 

 

 

 

 

 


[PDF][論説] 鎌倉における明応年間の「津波」について

sakuya.ed.shizuoka.ac.jp/rzisin/kaishi_29/HE29_209_219_Namikawa.pdf
 受付日 2014/01/11, 受理日 2014/07/08. – 209 -. 鎌倉における明応年間の「津波について. 鎌倉国宝館*. 浪川 幹夫. Tsunamis of the …. 料を同四年鎌倉に存在したとされる津波襲来に関連. 付けている. ….. 鎌倉大仏」は「国宝銅造阿弥陀如来坐像」といい,.

鎌倉国宝館 浪川 幹夫氏、2014 浪川論文PDF

 


<鎌倉の明応津波〜大仏殿は流されたのか? 萬年 一剛(神奈川県温泉地学研究所)2013>
鎌倉大日記 大仏殿と津波の関係について記述 した文献は幾つかありますが、ここ では最も重要な文献を一つだけ取り 上げて検討してみます。それは、「鎌 倉大日記」です。
鎌倉大日記は、誰かの日記のよう な名前の文献ですが、基本的には年 表の類で、治承四 (1180) 年から天 文八 (1539) 年に、主に東国で起き た事件を記した書物です。南北朝時 代の頃から書き継がれてきたと考え られていますが、執筆の経緯や著者 は不明、原本も残っていません。明 応の津波について取り扱っている書 物はこのほかにいくつかあります が、ごく最近まで江戸時代の文献し か知られてきませんでした(山本、 1989)。
江戸時代の文献と言うことは、明 応の津波について著者が体験した り、体験した人の話を聞いたと言う ことはあり得ません。つまり、「ま た聞き」、あるいは「伝言ゲーム」 の繰り返しの結果記されたというこ とになり、信頼度ではワンランクダ ウンです。それに実際のところ、そ うした江戸時代の文献も、鎌倉大日 記より詳しい記録がされているとい うわけでも無いのです。ですから、 鎌倉大日記くらいしか、検討に値す る文献が無いのです。
さて、鎌倉大日記にある明応津波 の記述は以下の通りです。 「明応四乙卯八月十五日、大地震、 洪水、鎌倉由比浜海水到千度檀、水 勢大仏殿破堂舎屋、溺死人二百余」。 これを現代語に訳すと、「明応四年 八 月 十 五 日(1495 年 9 月 3 日 )、 写真 1 鎌倉高徳院の大仏。手前に見える平たい石が大仏殿の礎石と言われる石。 観測だより 63 号,2013  9 大地震と洪水があった。鎌倉由比ヶ 浜の海水が千度壇に至った。水の勢 いが大仏殿の堂舎屋を破った。溺死 人は二百名あまりを数えた」という 風になります。
洪水となっています が、同じ日に地震と洪水が起きたと 言うより、地震とそれに続いて津波 が発生したと読むのが素直である、 と言うことは異存無いでしょう。
この記述は、「大仏殿が津波で流 された」という説の根拠になってい ますが、よく読むと津波が大仏殿を 流したと明確に書いているわけでは ありません。しかし、大仏殿に津波 が達して、被害を受けたと読もうと 思えば読める、なかなか微妙なとこ ろであります。

 

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It was a snowy evening. Inside the YCU, at an office, six people gathered and had fun time together with kimuchi dumpling, goota cheese, sliced beef, Korean rice crackers and wine from South Africa. There were six from China, France, Italy (2), Korea and Japan(me). Interesting conversation about their research, books, study abroad things, the “Netherland Scond” video, costco and many! I may remember it for many years from now. 

 

 

 

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普通の人々にとって日々の平和とは何か?

Short video on the ideas behind the Everyday Peace Indicators project.

 

Want to ruin your day? Here’s a mercifully short video of me talking about my research.

「“超”短く、簡単にまとめました。」と。YouTubeでRogerの語りを大きな画面で見たら、12年前を思い出した。

 

Roger  1月12日 14:48 ·

「平和の内実は、個別に、そこに住んでいる人の実態に沿って考えられるべきで、国連やその関係機関、その他大きな組織のとらえ方がいかに実態からかけ離れているか、考えてみよう。」と。

 

2015/06/15 に公開

An introduction to the Humanitarian and Conflict Response Institute and our work.

  こちら!

もうひとりManchester Univの、聞き取りやすい英語のRichmond先生の短いレクチャーはこちら 

自動変換の文字おこしはこちら


TrumpについてのRogerらしい風刺の効いた「提言」はこうだ。

I call for an international coalition of friendly nations to come together to save the United States from itself. In the name of peace and human rights, this coalition of the willing will effect regime change and install a Coalition Provisional Authority. After a new constitution is written by foreign experts, elections will be held. Only approved parties and candidates may stand. Under a process of “De-Baathificationバース党員の排除 “, no members of existing political parties will be able to stand for office. All US national and private assets will be on sale for foreign speculators.
Who’s in?

 

Rogerも過激だけど、だれよりも過激に機関銃のようにコメントを出し、議会で議論を吹っ掛けまくっているのはBernie Sandars,だ。

曰く;

昨日 3:47 ·

What a shock. Despite Trump’s assertions that he was going to stand up for working people it turns out that Wall Street and Goldman Sachs are still running the show – and the Trump administration. Among many other billionaires in the Trump administration is Gary D. Cohn, the departing president of Goldman Sachs and Trump’s new director of the National Economic Council. Upon leaving Goldman Sachs, Cohn just received an exit package of $285 million. Yes, $285 million.(33億円)

 


23時間前 ·

Why shouldn’t Mr. Andrew Puzder become Secretary of Labor? He has all the qualifications to become a perfect fit for the Trump administration. He’s a billionaire. He pays his employees starvation wages. He receives an enormous amount of corporate welfare as taxpayers are forced to provide food stamps, Medicaid and publicly assisted housing to keep his low wage workers alive. And he knows nothing about the job he is about to take. Sounds like the perfect nominee.

 


17時間前 ·

The attacks against democracy in our country are increasingly dangerous. It is difficult to have serious debates on the issues if the president has no respect for truth. Further, Trump and Republican governors are working overtime to suppress the vote and make it harder for poor people, young people, people of color and seniors to participate in elections. As a result of the disastrous Citizens United Supreme Court decision billionaires are now finding it easier to purchase

 

‘The Economist’ Just Downgraded the US From a ‘Full Democracy’ to a ‘Flawed Democracy’
And the problem is a lot bigger than Donald Trump.
By John Nichols TwitterJANUARY 26, 2017

A woman exits the voting booth after filling out her ballot for the U.S presidential election at the James Weldon Johnson Community Center in the East Harlem neighbourhood of Manhattan, New York City

 

The United States is no longer a full democracy, according to the highly regarded Economist Intelligence Unit, which each year compiles a Democracy Index that “provides a snapshot of the state of democracy worldwide for 165 independent states and two territories.”

“The US, a standard-bearer of democracy for the world, has become a ‘flawed democracy,’ as popular confidence in the functioning of public institutions has declined,” explains the introduction to the freshly released Democracy Index.

That would be a troubling announcement in any week.

But coming in the first week of the presidency of Donald Trump, a man who has claimed that election systems are “rigged,” who lies about supposed “voter fraud” and who attacks the media outlets who call him out for those lies, the announcement is all the more unsettling.

 

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YCUでの小グループの勉強会に出席しました。歴史に「もしも・・・」はないというけれど、”もしも、その当時の選挙で結果(勢力図)が少しだけ違っていたら、第二次世界大戦時のあの悲劇は避けられたのかも知れない”と。

いつもながら、基礎知識の不足で講義の内容が表面的にしjか理解できないことが多い。「ドイツ革命」と聞いても「何だっけ?」、「・・選帝侯」は、音楽の授業で何回も聞いているのに、定義を調べもしなかったし。

今日は、ワイマール憲法成立の意義、その憲法の”保留”条項(私が勝手につけた用語)である、今でいう”緊急事態条項”が、時の権力者(Hitler)の恣意的解釈で、思いも及ばぬ「効力」をもったことを知った。

ドイツ帝国:Heiliges Römisches Reich Deutscher Nation 1871年、プロイセンを中心に成立したドイツの統一国家。普仏戦争の勝利によって優位となったがプロイセン王国が中心となって統一した。プロイセン国王のヴィルヘルム1世ドイツ皇帝として即位式を挙行した。同年4月、ドイツ帝国憲法を制定し、プロイセン王(ホーエンツォレルン家)がドイツ皇帝の帝位を世襲し、プロイセンの首相がドイツ帝国宰相となる立憲君主政国家となった。

第二帝国:1888年即位したヴィルヘルム2世は1890年にビスマルクを辞任させ、イギリス・フランスなど先行する帝国主義諸列強に戦いを挑むように領土的野心をあらわにして世界政策と称する積極外交を推進。ヴィルヘルム2世の世界政策は、直接的に第一次世界大戦の要因となった。1914年サライェヴォ事件が勃発すると、ドイツ同盟国の中核国として、イギリスフランスロシアなどの連合国(協商国)と戦うこととなり、東西の戦線で両面作戦を強いられた。三国同盟を締結していたイタリアは連合国側に転た。大戦は総力戦となり、長期化する中、アメリカの参戦によってドイツの敗北は決定的となり、1917年11月に皇帝ヴィルヘルム2世は亡命してしドイツ帝国は崩壊した。

第三帝国:戦後のヴァイマル共和国は、連合国のヴェルサイユ条約を受け入れ、領土の縮小、軍備の制限、過重な賠償金負担などに苦しむこととなるが、それに対する不満を背景にナチス=のヒトラーが台頭、1934年に権力を握った。ナチスはこのドイツを第三帝国と称した。

ヴァイマル憲法の意義

 ドイツで初めて君主政を廃止し、共和政を規定した憲法であり、男女の普通選挙による議会政治、国民の直接選挙で選ばれる大統領制にくわえ、世界で最初に労働者の団結権などの社会権の保障を明記した。当時における、世界で最も民主的に進んだ憲法であった。

問題点

小党分立状態が出現 選挙の比例代表制はより民意を反映させる民主的な制度と考えられたが、かえって小党分立状態による政党政治の混乱を生みだし、ナチスの台頭を許したと考えられている。
大統領の緊急命令権 大統領は国民が直接選挙で選び任期も7年に限定されていたが、有名な第48条公共の秩序回復のためには武力行使を含めて緊急手段をとることが認められ、その際には基本的人権に関する諸規定を一時停止する事もできた。ヒンデンブルク大統領はこの緊急命令権を乱発した。また1933年に首相に任命されたヒトラーもこの大統領緊急命令権と議会解散権を利用して独裁体制を握ることになった。この規定がナチズムの台頭を許す要因の一つとなった。

http://www.y-history.net/appendix/wh1202-119.html (「世界史の窓」より)

ドイツ帝国 Deutsches Reich

(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典より)

ドイツが帝制をとった時代の名称。第1は神聖ローマ帝国,第2はビスマルクドイツ統一によって成立した帝国である。ヒトラーナチスの国家を第三帝国と称したが,これは狭義の帝国ではない。一般には 1871~1918年のドイツ帝国をさす。

1871年、普仏(ふふつ)戦争の勝利の結果成立した統一ドイツ国家。22の君主国と3自由市からなる連邦制をとったが、プロイセンが名実ともに帝国を支配し、プロイセン国王が皇帝、プロイセン首相が宰相を兼ねた。神聖ローマ帝国に次ぐものとして、ドイツ第二帝国ともいった。1918年、第一次大戦の敗北と、これと前後して起こったドイツ革命によって崩壊。

(日本大百科全書(ニッポニカ)の解説)

ドイツで帝制がとられたことは史上二度ある。最初はオットー1世(大帝)の創始した神聖ローマ帝国第一帝国、962~1806)で、


次がビスマルクのドイツ統一により実現した帝国(第二帝国、1871~1918)である。わが国では普通、後者を「ドイツ帝国」とよぶ。この帝国は1871年、プロイセン・フランス戦争の勝利のあと、北ドイツ連邦に南ドイツ四か国が参加して成立した。プロイセン以下22の君主国と三自由都市からなる連邦で、帝国の元首、すなわち皇帝の位にはプロイセン王がつき、政府を代表する帝国宰相はたいていプロイセン首相が兼ねた。プロイセンは面積、人口、経済力、軍事力で他の邦国を圧倒する実力をもっていた。宰相は憲法上皇帝の任命する一大臣にすぎなかったが、その権限は大きく、ビスマルクがその地位にある間、事実上彼の独裁が行われた。
しかし彼のあと、歴代の宰相の力は弱く、皇帝の意のままになって、内政に混乱が生じた。一方、立法府である帝国議会の議員は普通選挙で選ばれ、民意をよく反映したが、その権限は予算審議などに限られ、政治を左右する力をもたなかった。しかし時がたつにつれ、社会民主党のような批判勢力が目覚ましく進出し、帝国議会も政治的影響力を増大させた。
この時期、ドイツ資本主義は飛躍的な成長を遂げ、工業の生産力は20世紀初めイギリスを追い抜き、アメリカに次いで世界第二位になった。また、学問や文化でもドイツは当時の世界をリードした。このような実力を背景に、ドイツ帝国は対外膨張に努め、世界の強国を目ざした。このため、イギリスはじめ帝国主義列強との対立が激化し、1914年第一次世界大戦に突入した。4年の戦いののち敗れ、革命(ドイツ革命)が勃発(ぼっぱつ)、皇帝が退位して、ドイツ帝国は崩壊した。

なおヒトラーのナチス国家(1933~45)も、これに次ぐものとして「第三帝国」を称した。[木谷 勤]
『木谷勤著『ドイツ第二帝制史研究』(1977・青木書店)』

2019/11/6追加

報道ステーションの歴史始まって以来の最高傑作。 古舘伊知郎がテレビ報道の歴史に名を刻んだ日。

Shanti Fluraより

報道ステーション]ワイマール憲法から学ぶ自民党憲法草案緊急事態条項の危うさ  (文字起こし)【前半】

 竹下氏からの情報提供です。 素晴らしい、渾身の特集だと思います。古館氏が「日本で、ナチ、ヒトラーのようなことが起きるなんて到底考えておりません」と断りを入れていますが、映像を観ると、今まさに安倍政権がナチスの後を辿ろうとしていることが、はっきりと印象付けられ、危機感を覚えます。多くの人がこの動画を観ると、安倍政権の正体を見破ることができ、日本の未来が変わる、そのような思いがします。(編集長)


報道ステーション:ワイマール憲法から学ぶ自民党憲法草案緊急事態条項の危うさ転載元より文字起こし)  YouTube 16/3/20 


古館「憲法改正というのが、徐々に視野に入ってまいりました。ならば、あの緊急事態条項から動いていくのではないかということに関して、もっともっと議論が必要なのではないか。その場合に、専門家の間ではドイツのあのワイマール憲法の国家緊急権、この教訓に学ぶべきだという声がかなり上がってきているのも事実であります。その国家緊急権を悪用するかたちで、結果、ナチの台頭があった。

古館「憲法改正というのが、徐々に視野に入ってまいりました。ならば、あの緊急事態条項から動いていくのではないかということに関して、もっともっと議論が必要なのではないか。その場合に、専門家の間ではドイツのあのワイマール憲法の国家緊急権、この教訓に学ぶべきだという声がかなり上がってきているのも事実であります。その国家緊急権を悪用するかたちで、結果、ナチの台頭があった。

ですから、これからご覧いただく中に、思わず目を背けたくなるような映像が入っています。しかしドイツで実際に起きたこと。ありのままに放送しようという結論に至りました。そこはご了承いただきたいと思います。

もちろん日本で、ナチ、ヒトラーのようなことが起きるなんて到底考えておりません。しかしながらですね、将来、緊急事態条項を日本で悪用するような想定外の変な人が出て来た場合、どうなんだろうということも考えなければという結論に至りまして、私、一泊三日でワイマールに行ってまいりました。

ドイツ・ワイマール

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古館「朝方の雨が上がりました。そのせいか、だいぶ人通りが多くなってきたような気がします。そして、私が立っている後ろ、国民劇場です。今夜はゲーテのファウストが上演されるということですが、この向かって左手の人物が、その文豪ゲーテ。そして右側が、あの年末吉例、第九の歓喜の歌の詩人シラーです。見た所、シラーがゲーテに軽く突っ込みを入れている感じがしています。

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さて、第一次世界大戦後、今から100年近く前に、当時、世界でも最も民主的と言われたあのワイマール憲法が、この劇場でまさに制定されたんです。第一条は、もちろん国民主権。そして、男女平等、思想信条の自由、その基本的人権を尊重する。日本国憲法も大きく影響を受けたわけです。

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さて、このプレートに、そうです。1919年8月11日、ドイツ国民はこの場所でワイマール憲法を制定したとしっかり書いています。ただ、ここでちょっと見てもらいたいものがあります。カメラさん、引いていただけますか?

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これがいまの国民劇場の前の広場。同じ場所ですが、トンと飛んでこれ、1926年のこの広場です。ワイマール憲法制定から、わずか7年後のこの1926年。ナチスの第2回党大会が開かれている様子です。

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アドルフ・ヒトラー、ナチ。国民社会主義ドイツ労働者党を率いて、独裁体制の元、第二次大戦を引き起こしてユダヤ人の大量虐殺という大惨事を生んだ。でもヒトラーというのは、軍やクーデターで独裁を確立したわけではありません。合法的に、実現しているんです。実は、世界一民主的なはずのワイマール憲法の1つの条文が、独裁に繋がってしまった。そしてヒトラーは、遂にはワイマール憲法自体を停止させました。

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だから、先ほどのこのワイマール憲法制定のプレート、これも親衛隊に一時外させています。今のプレートは戦後また、同じ物をかけ直したというわけです。ヒトラー独裁への経緯というのを振り返っていくと、日本がそういう風になるとは到底思わない。ただ、今日本は憲法改正の動きがある。立ち止まって考えなくちゃいけないポイントがあるんです。

(続きはここから)

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ワイマールの街を代表するホテル。ホテル・エレファントです。このホテルをとてもヒトラーは気に入ったと言います。最終的にこのホテルは、ナチが経営をしていたんです。二階には、かつてナチが会議室に使っていたという部屋があります。ここです。今は綺麗に改装されて、客室になっています。そして続きにバルコニーがあります。ヒトラーはこのバルコニーに出て、パレードを謁見していた。

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当時のドイツは、第一次世界大戦に負けて巨額の賠償を抱え込んだ。しかし、経済においては、一旦においては立て直すことができた。

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その後です。世界恐慌が起きてしまった。失業者が街に溢れた。さらには、失業していない人々の心の奥にも、失業への恐怖というのが渦巻いていた。そういう中でヒトラーは、経済対策と民族の団結を全面に打ち出していった。そして表現がストレートだった。

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「強いドイツを取り戻す」「敵はユダヤ人」だと憎悪を煽った。演説が得意だったというヒトラーは、反感を買う言葉を、人受けする言葉に変えるのが上手かった。例えば、独裁を「決断できる政治」、戦争の準備を「平和と安全の確保」、といった具合です。

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アドルフ・ヒトラー「平和を愛すると共に、勇敢な国民になってほしい。この国を軟弱ではなく、強靭な国にしたいのだ。この道以外にない。」

古館「ヒトラーの腹心ヘルマン・ゲーリングも、後にその手法を語っている。」

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ヘルマン・ゲーリング『国民は指導者たちの意のままになるそれは簡単なことで、自分たちが外国から攻撃されていると説明するだけでいい。平和主義者に対しては、愛国心が無く国家を危険にさらす人々だと批判すればいいだけのことだ。この方法はどこの国でも同じように通用する。』

古館「ヒトラーの息遣いはどんどん、どんどん大きくなっていった。ただ、ドイツの憲法は、世界一民主的なあのワイマール憲法ですよ。独裁なんてものが許されるわけがないんです。じゃあヒトラーはどうしたんだと。

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実は使ったのは、ワイマール憲法の第48条「国家緊急権」というやつなんです。これがポイントです。これは、国家が緊急事態に陥った場合に大統領が、公共の安全と秩序、これを回復するために、必要な措置をとることができる。大統領が何と一時的には、何でもできちゃうという条文だったわけです。この条文が、実はヒトラーに独裁の道を遂に開かせてしまった。

じゃあ何で、そもそもこの条文が入っていたのかと言いますと、憲法を当時作った人たちがですね、国民の普通選挙による議会制民主主義というものを、実はまだ完全には信用していなかったんですね。国民の、男女平等選挙による議会っちゅうのは初めてのことですから、言ってみれば、憲法を作ろうとしていた人たちが、まさにこのぎっしり詰まったソーセージのように、疑いをぎっしりと詰め込んでいたということなんです。

庶民は全く信用されていなかったということなんですね。でも、ヒトラー以前には、この条文は実は何回も使われていたんです。議会が紛糾して全く動かなくなる、さあどうしよう、法律を通さないといけないという時には、何回もこれは使われていた。しかしヒトラーは、完全にこれを悪用したということなんです。

古館「ヒトラーは、権力掌握のために国家緊急権をどう巧妙に使ったのかという点です。1933年です。

(1933年1月30日ヒトラー首相就任)

(1933年1月30日ヒトラー首相就任)

念願の首相に任命されたヒトラーは、議会で多数を取るために、すぐに議会を解散しました。

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そして選挙に向けて、互いに利用し合う関係にあった当時のヒンデンブルク大統領を動かした。そう、共産党が全国主党(?)を呼びかけていた。それを見るや、国家緊急権を発動させたんです。(1933年2月4日ヒトラー1回目の国家緊急権発動)

集会と言論の自由を制限、政府批判を行なう政党の集会やデモ、出版をことごとく禁止した。そしてそれからおよそ3週間経って、また立て続けに国家緊急権を発動します。

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有名なベルリンの国会議事堂が放火されるという事件が起こった。一説では、ナチの自作自演だという話もありますが、ヒトラーはこの放火事件を、共産党の国家転覆の陰謀として、またも国家緊急権を使ったわけです。(1933年2月28日ヒトラー2回目の国家緊急権発動)

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今度は、あらゆる基本的人権を停止した。司法手続きなしで逮捕もできるようにしてしまった。野党は最早、自由な活動はできなくなりました。

当時、お父さんが野党のベルリン市議会議員だったローラ・ディエールさん、95歳です。

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ローラ・ディエール「父(フリッツ・バーテルマンさん)は社会民主党の集会に参加しました。しかし、二度と戻って来なかった。ナチは家の中を荒らしまわり、めちゃくちゃにしました。当時は(メディアも含めて)思っていることを口に出すことは許されなかった。ナチはそこを最も重視していました。ナチ政権について思っていることなど、誰も口に出来ませんでした。」

古館「当時の共産党の党首(ドイツ共産党エルンスト・テールマン党首(当時))も突然逮捕され、後に殺害されました。そのお孫さんです。」

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祖父が逮捕され処刑されたヴェラ・デーレ・テールマンさん(59歳)「共産党の党首だった祖父が逮捕されたことで、母は学校でナチを支持していた女の子から殴られました。その後、母も祖母も逮捕されてしまいました。母は強制収容所に連行され、拷問や酷い暴力を受けました。民主的に選ばれた政権であっても、憲法の条文によって独裁者に変わる可能性があるんです。この歴史を二度と繰り返してはいけません。」

古館「当時のドイツの政情は、左翼勢力、右翼勢力の対立が激しくなって、各地で暴動や反乱が繰り返されていた。非常に不安定だった。そんな中で、ナチの国家緊急権行使を後押ししたのは、”保守陣営”と、そして”財界”でした。財界も、何もナチのことは好きじゃなかったけれども、何よりも共産勢力の盛り上がりを怖がっていた。憲法裁判所元判事のグリム判事の話しです。

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ドイツ連邦憲法裁判所ディーター・グリム判事「ヒトラーは国家緊急権で自由を廃止し、野党の息の根を止めました。それが民主主義と議会の終焉につながったのです。この憲法でまさか独裁者が誕生するなど思いもしなかった。でも実際に独裁者は誕生した。それは想像を超える世界でした。」

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古館「さあ、野党が自由を奪われた選挙ですから、ヒトラー率いるナチ党は議席を増やして、いよいよ仕上げにかかろうとします。恫喝と懐柔策を駆使して、反対派を従わせて、議会の三分の二までを押さえて成立させたのが、あの全権委任法です。国会の審議を経ずに政府が憲法の改正まで含めて全ての法律を制定できてしまう法律です。この瞬間、世界一民主的な憲法の元で、合法的に独裁が確立したんです。」

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アドルフ・ヒトラー「私やナチを疑うのは、頭がおかしい者かホラ吹きくらいだ。我々はドイツのため断固として戦わなければならないのだ。」

ブーヘンヴァルト強制収容所

ブーヘンヴァルト強制収容所
古館「ワイマールの市街地から15分程車で来た小高い丘の上なんです。まるっきり別の世界に迷い込んだようです。ここはブーヘンヴァルト強制収容所です。ここには25万人のユダヤ人の方が収容されました。

そしてまた同時に、ナチが敵とみなした共産党をはじめ、多くの野党の人たちもここに入れられました。正面は何も見えませんけれど、ここに多くの収容所があったと言います。その跡地です。

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ここは人体が解剖された部屋です。ここに器具があります。

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ここは多くの方々の遺体が焼かれた所です。多くの方が犠牲になりました。これがその時の映像です。アメリカ兵がこの収容所を初めて見た時に、言葉を失ったそうです。

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腐乱した遺体が、あちこちに散らばっている。中庭には遺体が積み上げられている。生き残った人たちも、身体に肉がほとんどない。骨と皮だけの状態だったと。

この惨状を見た連合軍は、ワイマールの市民をここに連れてきてみせた。その時の様子を撮影していた女性カメラマンが、後にこのように記しています。「女性は気を失った。男たちは顔を背けた。あちこちから(市民の)『知らなかったんだ』という声があがったそうです。しかし、収容者たちは怒りをあらわに叫んだ。「いいやあなたたちは知っていた」

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[報道ステーション]ワイマール憲法から学ぶ自民党憲法草案緊急事態条項の危うさ  (文字起こし)【後半】

2016/03/23 12:24 PM
 竹下氏からの情報提供です。 前半の続きです。
 安倍首相が今月2日に「在任中改憲」表明し、参院選で憲法改正を争点化しようとしていますが、こうした動画で悪巧みが暴かれ、ネットで拡散されていくことに希望があると思います。
 そして、ナチスと安倍政権が同じことをやろうとしても、力量に差があり、悪しき霊導も断ち切られていることに救いがあります。 (編集長) 

ここまでは、80年前のドイツで起きてしまったことです。当然日本でこんな事が起きるなんてのは考えられません。でも、気になることがあるんです。

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これは、自民党が発表している憲法改正草案ですが、ここには緊急事態条項という条文が書き込まれていますね。今年7月の参院選で与党が圧勝して三分の二の数をとるとなると、日本でも憲法改正というものが、現実味をより帯びてまいります。その時、俎上に上がるとされているのが、今言った緊急事態条項なんです。ここで言う緊急事態というのは、大規模な自然災害だけじゃなくて、外部からのー武力攻撃、社会秩序の混乱などと位置付けてですね、この緊急事態の際に、ここです。「内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができる」と規定しているんですね。さあ、そこで最後に、ワイマール憲法研究の権威であるドイツのドライアー教授に、日本の緊急事態条項についてそれを見ていただきました。」

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ワイマール憲法に詳しい イエナ大学 ミハエル・ドライアー教授「この内容はワイマール憲法48条(国家緊急権)を思い起こさせます。内閣の一人の人間に利用される危険性があり、とても問題です。一見読むと無害に見えますし、他国と同じ様な緊急事態の規則にも見えますが、特に(議会や憲法裁判所などの)チェックが不十分に思えます。このような権力の集中には通常の法律よりも多くのチェックが必要です。議会からの厳しいチェックができないと悪用の危険性を与えることになります。

何故一人の人間、首相に権限を集中しなければならないのか?首相が(立法や首長の指示など)直接介入することができ、さらに首相自身が一定の財政支出まで出来る。民主主義の基本は「法の支配」で「人の支配」ではありません。人の支配は性善説が前提になっているが良い人ばかりではない。民主主義の創設者たちは人に懐疑的です。常に権力の悪用に不安を抱いているのです。権力者はいつの時代でも、常にさらなる権力を求めるものです。日本はあのような災害(東日本大震災)にも対処しており、なぜ今この緊急事態条項を入れる必要があるのでしょうか。」

古館「さあ、こっからです。ドライアー教授も、その議会のチェックが弱いというニュアンスを懸念されている所があります。これに関して、自民党にどうなんでしょうかという風に聞きましたら、国会での丁寧な合意形成に真摯に取り組んでいくという回答を得ました。

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そして、後ろにありますのが自民党の憲法改正草案ということになります。そしてこちらにQ&A形式になりまして、この憲法改正草案の質問、それに対する答え、こういう分厚い物が用意されています。ちょっとこちらをご覧下さい。まず98条の方ですが、改正草案の緊急事態の中の、『事前又は事後に国会の承認を得なければならない。』とこうはっきりと書いているわけなんですね。

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このQ&Aでそれに相当する所をより詳しく見てみると、『国会による民主的な統制の確保の観点から、緊急事態の宣言には、事前又は事後に国会の承認が必要であると規定した』とやはり書かれている点。

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それからもう1つ、99条に写りますが、『法律の定めるところにより、内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができる』という、先ほどVTRの中でもここをポイントとして指摘いたしました。

これに関して、やはりこちらも押さえておきますと、『その具体的な内容は、法律で規定することになっているために、政令と言っても内閣総理大臣が何でも出来るようになるわけでは決してありません』とはっきりここに書かれております。

これを踏まえた上で、専門家の長谷部さんに伺います。1つ、ワイマールに大急ぎで行って来たりして、いろいろもやもやするのはですね、何回も再三再四申し上げているように、ヒトラーが日本で出てくると。あのような人間が。到底想定なんかできないんですが、将来ですね、ヒトラーでなくてもとんでもない人が出てくる可能性がないという風に否定するわけにはいかないという風に考えると、立ち止まらなきゃいけないという所が数点あると思うんですが、いかがでしょうか?」

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憲法学者、元東大法科大学院長 近著に『憲法と民主主義の論じ方』早稲田大学教授 長谷部恭男
「まずこの自民党の改憲草案、緊急事態条項に関する問題点ですが、ます他の憲法の緊急事態条項と比べてもですね、発動の要件、つまり宣言をする時の要件が甘すぎるんじゃないのかと。まあ確かにその武力攻撃とか、大規模な自然災害、例示はあるんですが、言ったらどういう場合に宣言ができるのか、結局の所は法律に丸投げしているんですね。」

古館「『法律の定めるところにより、閣議にかけて、緊急事態の宣言を発することができる。』」

長谷部「そうなんですね。しかも、それは首相が特に必要があると認めればと、これは本当に客観的というよりは内閣総理大臣がそう思えばと主観的な要件になっています。ここも非常に甘いなという風に思われる所なんですね。

それから先ほど古館さんがご指摘の通り、この宣言が為されますと、その後に内閣というのは法律と同一の効力を持つ政令を出せるということになります。

例えば、法律というのはいろいろ重要な事を決めていますね。例えば身柄を拘束される場合、或は刑事裁判がどう行なわれるべきか。これは刑事訴訟法という法律で決まっているものですので、それは政令で変えられるということになりますから、そうなりますと、これは、『人身の自由』というのは他の基本的な人権の全てを支えているものでして、それがまあ政令によってどうなってしまうのか。場合によっては令状なしで怪しいと思われれば拘束をされると。そんなことになるということの理屈としてはあり得るということになります。」

古館「戦後、ずーっと生きてきた感覚で言いますと、もっと私より上の方も含めてでしょうけれども、昔と違いますので、今はそんな風に急に身柄拘束、疑わしきは全部取っ捕まえちゃうって、そんな事はないだろうと思いたい気持ちは強くあって当然なんですけど、何かずっと先の将来にですね、とんでもない政権とかとんでもないことになっていた時には、ころっと今の政令みたいなことで言ったら、次の日、昨日までと全く違う世界で身柄なんかすぐとられちゃうということはありますよね?」

長谷部「まあそういうことは確かに否定はできないと思いますね。可能性としては。ですから、そういう道を防ごう、少なくとも起こりにくくしようと思うのであれば、これはやはり裁判所によるコントロール、その道をやはり開いておかないといけないと、こういうことになると思います。それは世界各国、どの国でも緊急事態条項を発動する時には裁判所のコントロールをおくというのは、これは言わばグローバルスタンダードなんですね。ただ、日本の場合問題点がございますのは、日本の最高裁は、いわゆる、統治行為という法理をとっておりまして。」

古館「いわゆる、統治法理論という風に言われますね。」

長谷部「そうですね。つまり、高度に政治的な問題に関しては、裁判所は独自には判断しない。政治部門の言うことを丸呑みをすると。そういう考え方なんですが、これでいきますと、例えば先例であります、衆議院の解散、合憲かどうかさえ、これも政治部門の結論を丸呑みということですから、緊急事態条項が必要なのかどうかと。一旦発動された後、どういう政令が必要になるのか。果たして裁判所がきちんとコントロールしてくれるのかどうか。そこの所が大変覚束ないということになるだろうと思いますね。」

古館「そこが曖昧であって緊急事態条項がスーッと入ってくることを想定しますと、つまりこういうことですね。発動要件を仮にもっと厳しく締めたとしても、裁判所の方がそうじゃなきゃ何にも変わらないということですか?」

長谷部「おっしゃる通りで、発動要件が甘ければ、それは厳格にすればいいではないかという、そういうお答えがあるかもしれませんが、そうしたとしても、第三者の立場から裁判所のコントロールがないということになれば、結局は同じ事になってしまうと、そういう可能性があります。」

古館「かねてより長谷部さんはこういう風におっしゃっていますね。憲法に緊急事態条項を入れなくても、必要とあらば法律を改正したり、新たな法律を作ればいいんで、憲法にこの緊急事態条項を入れなくてもいいじゃないかということずっとおっしゃていますね。」

長谷部「例えば去年の11月に大規模なテロが起こったフランス。これは非常事態の宣言を出しているわけですが、この非常事態宣言というのは、実は憲法に基づいたものではありません。非常事態法という法律に基づいていろいろな必要な措置が為されているわけですね。日本でも実はもうすでに、災害対策基本法、大規模な災害に対処をする、応急の措置を定める法律もあれば、いわゆる、有事法制もいろいろ整備をされておりますので、本当に必要だということであれば、まず法律のレベルで何が必要か、それをまず考えるべきだという風に私は思います。」

古館「先ほどもちょっとニュアンスを出されましたけれども、他国に比べてと。じゃあ他国はどうなんだと言った時、一方でですね、やっぱりどの国だって緊急事態条項的なものってあるんだと。何言っているんだという声ももちろんあります。それもきちんと聞かなきゃいけないと思いますね。でもその場合に、フランスだとかドイツだとかいろいろ見てみると、そういうものっていうのは、日本とどう違いますか?この草案と。」

長谷部「そうですね。それぞれの国が緊急事態条項を憲法においているのは、どういう事情なり経緯があるか、やはり国ごとに考えていかないといけない。例えばドイツの場合でありますと、これはもう連邦制国家で、政府の権限が中央政府と州の政府、極めて厳格に分かれております。だから緊急事態には州の政府の権限を中央政府に吸い上げる必要がある。」

古館「そこは緊急事態だから、より中央政権を強めないといけないんですね。」

長谷部「ただ、日本は連邦制国家でございませんので、そういう事情は当てはまらないと思いますね。」

古館「フランスはどうですか?」

長谷部「フランスの場合、現在の憲法で16条。確かに大統領に権限を集中すると、そういう緊急事態条項があるんですが、ただこの現在の第五共和制憲法というもの自体が、実はアルジェリア危機、特定の危機に対応するためにできた憲法という色彩が非常に強いですし、その色彩が特に強いのが、この16条の緊急事態条項なんですね。ですからそういう、いわゆるアルジェリア危機に対応するための特別仕様として出来上がった条項ですので。つまり、歴史を見ると、この16条の条項というのはアルジェリア危機に対応するために、ただ一度使用されただけ。その後は一度も使用されていません。」

古館「そうですか。とにかく立ち止まってじっくり議論をする、考えてみるということがこの条項に関しては必要ではないか。その思いで特集を組みました。先生、どうもありがとうございます。」

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