「ドイツ ワイマール憲法」の教訓

YCUでの小グループの勉強会に出席しました。歴史に「もしも・・・」はないというけれど、”もしも、その当時の選挙で結果(勢力図)が少しだけ違っていたら、第二次世界大戦時のあの悲劇は避けられたのかも知れない”と。

いつもながら、基礎知識の不足で講義の内容が表面的にしjか理解できないことが多い。「ドイツ革命」と聞いても「何だっけ?」、「・・選帝侯」は、音楽の授業で何回も聞いているのに、定義を調べもしなかったし。

今日は、ワイマール憲法成立の意義、その憲法の”保留”条項(私が勝手につけた用語)である、今でいう”緊急事態条項”が、時の権力者(Hitler)の恣意的解釈で、思いも及ばぬ「効力」をもったことを知った。

ドイツ帝国:Heiliges Römisches Reich Deutscher Nation 1871年、プロイセンを中心に成立したドイツの統一国家。普仏戦争の勝利によって優位となったがプロイセン王国が中心となって統一した。プロイセン国王のヴィルヘルム1世ドイツ皇帝として即位式を挙行した。同年4月、ドイツ帝国憲法を制定し、プロイセン王(ホーエンツォレルン家)がドイツ皇帝の帝位を世襲し、プロイセンの首相がドイツ帝国宰相となる立憲君主政国家となった。

第二帝国:1888年即位したヴィルヘルム2世は1890年にビスマルクを辞任させ、イギリス・フランスなど先行する帝国主義諸列強に戦いを挑むように領土的野心をあらわにして世界政策と称する積極外交を推進。ヴィルヘルム2世の世界政策は、直接的に第一次世界大戦の要因となった。1914年サライェヴォ事件が勃発すると、ドイツ同盟国の中核国として、イギリスフランスロシアなどの連合国(協商国)と戦うこととなり、東西の戦線で両面作戦を強いられた。三国同盟を締結していたイタリアは連合国側に転た。大戦は総力戦となり、長期化する中、アメリカの参戦によってドイツの敗北は決定的となり、1917年11月に皇帝ヴィルヘルム2世は亡命してしドイツ帝国は崩壊した。

第三帝国:戦後のヴァイマル共和国は、連合国のヴェルサイユ条約を受け入れ、領土の縮小、軍備の制限、過重な賠償金負担などに苦しむこととなるが、それに対する不満を背景にナチス=のヒトラーが台頭、1934年に権力を握った。ナチスはこのドイツを第三帝国と称した。

ヴァイマル憲法の意義

 ドイツで初めて君主政を廃止し、共和政を規定した憲法であり、男女の普通選挙による議会政治、国民の直接選挙で選ばれる大統領制にくわえ、世界で最初に労働者の団結権などの社会権の保障を明記した。当時における、世界で最も民主的に進んだ憲法であった。

問題点

小党分立状態が出現 選挙の比例代表制はより民意を反映させる民主的な制度と考えられたが、かえって小党分立状態による政党政治の混乱を生みだし、ナチスの台頭を許したと考えられている。
大統領の緊急命令権 大統領は国民が直接選挙で選び任期も7年に限定されていたが、有名な第48条公共の秩序回復のためには武力行使を含めて緊急手段をとることが認められ、その際には基本的人権に関する諸規定を一時停止する事もできた。ヒンデンブルク大統領はこの緊急命令権を乱発した。また1933年に首相に任命されたヒトラーもこの大統領緊急命令権と議会解散権を利用して独裁体制を握ることになった。この規定がナチズムの台頭を許す要因の一つとなった。

http://www.y-history.net/appendix/wh1202-119.html (「世界史の窓」より)

ドイツ帝国 Deutsches Reich

(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典より)

ドイツが帝制をとった時代の名称。第1は神聖ローマ帝国,第2はビスマルクドイツ統一によって成立した帝国である。ヒトラーナチスの国家を第三帝国と称したが,これは狭義の帝国ではない。一般には 1871~1918年のドイツ帝国をさす。

1871年、普仏(ふふつ)戦争の勝利の結果成立した統一ドイツ国家。22の君主国と3自由市からなる連邦制をとったが、プロイセンが名実ともに帝国を支配し、プロイセン国王が皇帝、プロイセン首相が宰相を兼ねた。神聖ローマ帝国に次ぐものとして、ドイツ第二帝国ともいった。1918年、第一次大戦の敗北と、これと前後して起こったドイツ革命によって崩壊。

(日本大百科全書(ニッポニカ)の解説)

ドイツで帝制がとられたことは史上二度ある。最初はオットー1世(大帝)の創始した神聖ローマ帝国第一帝国、962~1806)で、


次がビスマルクのドイツ統一により実現した帝国(第二帝国、1871~1918)である。わが国では普通、後者を「ドイツ帝国」とよぶ。この帝国は1871年、プロイセン・フランス戦争の勝利のあと、北ドイツ連邦に南ドイツ四か国が参加して成立した。プロイセン以下22の君主国と三自由都市からなる連邦で、帝国の元首、すなわち皇帝の位にはプロイセン王がつき、政府を代表する帝国宰相はたいていプロイセン首相が兼ねた。プロイセンは面積、人口、経済力、軍事力で他の邦国を圧倒する実力をもっていた。宰相は憲法上皇帝の任命する一大臣にすぎなかったが、その権限は大きく、ビスマルクがその地位にある間、事実上彼の独裁が行われた。
しかし彼のあと、歴代の宰相の力は弱く、皇帝の意のままになって、内政に混乱が生じた。一方、立法府である帝国議会の議員は普通選挙で選ばれ、民意をよく反映したが、その権限は予算審議などに限られ、政治を左右する力をもたなかった。しかし時がたつにつれ、社会民主党のような批判勢力が目覚ましく進出し、帝国議会も政治的影響力を増大させた。
この時期、ドイツ資本主義は飛躍的な成長を遂げ、工業の生産力は20世紀初めイギリスを追い抜き、アメリカに次いで世界第二位になった。また、学問や文化でもドイツは当時の世界をリードした。このような実力を背景に、ドイツ帝国は対外膨張に努め、世界の強国を目ざした。このため、イギリスはじめ帝国主義列強との対立が激化し、1914年第一次世界大戦に突入した。4年の戦いののち敗れ、革命(ドイツ革命)が勃発(ぼっぱつ)、皇帝が退位して、ドイツ帝国は崩壊した。

なおヒトラーのナチス国家(1933~45)も、これに次ぐものとして「第三帝国」を称した。[木谷 勤]
『木谷勤著『ドイツ第二帝制史研究』(1977・青木書店)』

2019/11/6追加

報道ステーションの歴史始まって以来の最高傑作。 古舘伊知郎がテレビ報道の歴史に名を刻んだ日。

Shanti Fluraより

報道ステーション]ワイマール憲法から学ぶ自民党憲法草案緊急事態条項の危うさ  (文字起こし)【前半】

 竹下氏からの情報提供です。 素晴らしい、渾身の特集だと思います。古館氏が「日本で、ナチ、ヒトラーのようなことが起きるなんて到底考えておりません」と断りを入れていますが、映像を観ると、今まさに安倍政権がナチスの後を辿ろうとしていることが、はっきりと印象付けられ、危機感を覚えます。多くの人がこの動画を観ると、安倍政権の正体を見破ることができ、日本の未来が変わる、そのような思いがします。(編集長)


報道ステーション:ワイマール憲法から学ぶ自民党憲法草案緊急事態条項の危うさ転載元より文字起こし)  YouTube 16/3/20 


古館「憲法改正というのが、徐々に視野に入ってまいりました。ならば、あの緊急事態条項から動いていくのではないかということに関して、もっともっと議論が必要なのではないか。その場合に、専門家の間ではドイツのあのワイマール憲法の国家緊急権、この教訓に学ぶべきだという声がかなり上がってきているのも事実であります。その国家緊急権を悪用するかたちで、結果、ナチの台頭があった。

古館「憲法改正というのが、徐々に視野に入ってまいりました。ならば、あの緊急事態条項から動いていくのではないかということに関して、もっともっと議論が必要なのではないか。その場合に、専門家の間ではドイツのあのワイマール憲法の国家緊急権、この教訓に学ぶべきだという声がかなり上がってきているのも事実であります。その国家緊急権を悪用するかたちで、結果、ナチの台頭があった。

ですから、これからご覧いただく中に、思わず目を背けたくなるような映像が入っています。しかしドイツで実際に起きたこと。ありのままに放送しようという結論に至りました。そこはご了承いただきたいと思います。

もちろん日本で、ナチ、ヒトラーのようなことが起きるなんて到底考えておりません。しかしながらですね、将来、緊急事態条項を日本で悪用するような想定外の変な人が出て来た場合、どうなんだろうということも考えなければという結論に至りまして、私、一泊三日でワイマールに行ってまいりました。

ドイツ・ワイマール

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古館「朝方の雨が上がりました。そのせいか、だいぶ人通りが多くなってきたような気がします。そして、私が立っている後ろ、国民劇場です。今夜はゲーテのファウストが上演されるということですが、この向かって左手の人物が、その文豪ゲーテ。そして右側が、あの年末吉例、第九の歓喜の歌の詩人シラーです。見た所、シラーがゲーテに軽く突っ込みを入れている感じがしています。

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さて、第一次世界大戦後、今から100年近く前に、当時、世界でも最も民主的と言われたあのワイマール憲法が、この劇場でまさに制定されたんです。第一条は、もちろん国民主権。そして、男女平等、思想信条の自由、その基本的人権を尊重する。日本国憲法も大きく影響を受けたわけです。

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さて、このプレートに、そうです。1919年8月11日、ドイツ国民はこの場所でワイマール憲法を制定したとしっかり書いています。ただ、ここでちょっと見てもらいたいものがあります。カメラさん、引いていただけますか?

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これがいまの国民劇場の前の広場。同じ場所ですが、トンと飛んでこれ、1926年のこの広場です。ワイマール憲法制定から、わずか7年後のこの1926年。ナチスの第2回党大会が開かれている様子です。

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アドルフ・ヒトラー、ナチ。国民社会主義ドイツ労働者党を率いて、独裁体制の元、第二次大戦を引き起こしてユダヤ人の大量虐殺という大惨事を生んだ。でもヒトラーというのは、軍やクーデターで独裁を確立したわけではありません。合法的に、実現しているんです。実は、世界一民主的なはずのワイマール憲法の1つの条文が、独裁に繋がってしまった。そしてヒトラーは、遂にはワイマール憲法自体を停止させました。

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だから、先ほどのこのワイマール憲法制定のプレート、これも親衛隊に一時外させています。今のプレートは戦後また、同じ物をかけ直したというわけです。ヒトラー独裁への経緯というのを振り返っていくと、日本がそういう風になるとは到底思わない。ただ、今日本は憲法改正の動きがある。立ち止まって考えなくちゃいけないポイントがあるんです。

(続きはここから)

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ワイマールの街を代表するホテル。ホテル・エレファントです。このホテルをとてもヒトラーは気に入ったと言います。最終的にこのホテルは、ナチが経営をしていたんです。二階には、かつてナチが会議室に使っていたという部屋があります。ここです。今は綺麗に改装されて、客室になっています。そして続きにバルコニーがあります。ヒトラーはこのバルコニーに出て、パレードを謁見していた。

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当時のドイツは、第一次世界大戦に負けて巨額の賠償を抱え込んだ。しかし、経済においては、一旦においては立て直すことができた。

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その後です。世界恐慌が起きてしまった。失業者が街に溢れた。さらには、失業していない人々の心の奥にも、失業への恐怖というのが渦巻いていた。そういう中でヒトラーは、経済対策と民族の団結を全面に打ち出していった。そして表現がストレートだった。

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「強いドイツを取り戻す」「敵はユダヤ人」だと憎悪を煽った。演説が得意だったというヒトラーは、反感を買う言葉を、人受けする言葉に変えるのが上手かった。例えば、独裁を「決断できる政治」、戦争の準備を「平和と安全の確保」、といった具合です。

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アドルフ・ヒトラー「平和を愛すると共に、勇敢な国民になってほしい。この国を軟弱ではなく、強靭な国にしたいのだ。この道以外にない。」

古館「ヒトラーの腹心ヘルマン・ゲーリングも、後にその手法を語っている。」

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ヘルマン・ゲーリング『国民は指導者たちの意のままになるそれは簡単なことで、自分たちが外国から攻撃されていると説明するだけでいい。平和主義者に対しては、愛国心が無く国家を危険にさらす人々だと批判すればいいだけのことだ。この方法はどこの国でも同じように通用する。』

古館「ヒトラーの息遣いはどんどん、どんどん大きくなっていった。ただ、ドイツの憲法は、世界一民主的なあのワイマール憲法ですよ。独裁なんてものが許されるわけがないんです。じゃあヒトラーはどうしたんだと。

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実は使ったのは、ワイマール憲法の第48条「国家緊急権」というやつなんです。これがポイントです。これは、国家が緊急事態に陥った場合に大統領が、公共の安全と秩序、これを回復するために、必要な措置をとることができる。大統領が何と一時的には、何でもできちゃうという条文だったわけです。この条文が、実はヒトラーに独裁の道を遂に開かせてしまった。

じゃあ何で、そもそもこの条文が入っていたのかと言いますと、憲法を当時作った人たちがですね、国民の普通選挙による議会制民主主義というものを、実はまだ完全には信用していなかったんですね。国民の、男女平等選挙による議会っちゅうのは初めてのことですから、言ってみれば、憲法を作ろうとしていた人たちが、まさにこのぎっしり詰まったソーセージのように、疑いをぎっしりと詰め込んでいたということなんです。

庶民は全く信用されていなかったということなんですね。でも、ヒトラー以前には、この条文は実は何回も使われていたんです。議会が紛糾して全く動かなくなる、さあどうしよう、法律を通さないといけないという時には、何回もこれは使われていた。しかしヒトラーは、完全にこれを悪用したということなんです。

古館「ヒトラーは、権力掌握のために国家緊急権をどう巧妙に使ったのかという点です。1933年です。

(1933年1月30日ヒトラー首相就任)

(1933年1月30日ヒトラー首相就任)

念願の首相に任命されたヒトラーは、議会で多数を取るために、すぐに議会を解散しました。

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そして選挙に向けて、互いに利用し合う関係にあった当時のヒンデンブルク大統領を動かした。そう、共産党が全国主党(?)を呼びかけていた。それを見るや、国家緊急権を発動させたんです。(1933年2月4日ヒトラー1回目の国家緊急権発動)

集会と言論の自由を制限、政府批判を行なう政党の集会やデモ、出版をことごとく禁止した。そしてそれからおよそ3週間経って、また立て続けに国家緊急権を発動します。

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有名なベルリンの国会議事堂が放火されるという事件が起こった。一説では、ナチの自作自演だという話もありますが、ヒトラーはこの放火事件を、共産党の国家転覆の陰謀として、またも国家緊急権を使ったわけです。(1933年2月28日ヒトラー2回目の国家緊急権発動)

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今度は、あらゆる基本的人権を停止した。司法手続きなしで逮捕もできるようにしてしまった。野党は最早、自由な活動はできなくなりました。

当時、お父さんが野党のベルリン市議会議員だったローラ・ディエールさん、95歳です。

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ローラ・ディエール「父(フリッツ・バーテルマンさん)は社会民主党の集会に参加しました。しかし、二度と戻って来なかった。ナチは家の中を荒らしまわり、めちゃくちゃにしました。当時は(メディアも含めて)思っていることを口に出すことは許されなかった。ナチはそこを最も重視していました。ナチ政権について思っていることなど、誰も口に出来ませんでした。」

古館「当時の共産党の党首(ドイツ共産党エルンスト・テールマン党首(当時))も突然逮捕され、後に殺害されました。そのお孫さんです。」

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祖父が逮捕され処刑されたヴェラ・デーレ・テールマンさん(59歳)「共産党の党首だった祖父が逮捕されたことで、母は学校でナチを支持していた女の子から殴られました。その後、母も祖母も逮捕されてしまいました。母は強制収容所に連行され、拷問や酷い暴力を受けました。民主的に選ばれた政権であっても、憲法の条文によって独裁者に変わる可能性があるんです。この歴史を二度と繰り返してはいけません。」

古館「当時のドイツの政情は、左翼勢力、右翼勢力の対立が激しくなって、各地で暴動や反乱が繰り返されていた。非常に不安定だった。そんな中で、ナチの国家緊急権行使を後押ししたのは、”保守陣営”と、そして”財界”でした。財界も、何もナチのことは好きじゃなかったけれども、何よりも共産勢力の盛り上がりを怖がっていた。憲法裁判所元判事のグリム判事の話しです。

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ドイツ連邦憲法裁判所ディーター・グリム判事「ヒトラーは国家緊急権で自由を廃止し、野党の息の根を止めました。それが民主主義と議会の終焉につながったのです。この憲法でまさか独裁者が誕生するなど思いもしなかった。でも実際に独裁者は誕生した。それは想像を超える世界でした。」

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古館「さあ、野党が自由を奪われた選挙ですから、ヒトラー率いるナチ党は議席を増やして、いよいよ仕上げにかかろうとします。恫喝と懐柔策を駆使して、反対派を従わせて、議会の三分の二までを押さえて成立させたのが、あの全権委任法です。国会の審議を経ずに政府が憲法の改正まで含めて全ての法律を制定できてしまう法律です。この瞬間、世界一民主的な憲法の元で、合法的に独裁が確立したんです。」

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アドルフ・ヒトラー「私やナチを疑うのは、頭がおかしい者かホラ吹きくらいだ。我々はドイツのため断固として戦わなければならないのだ。」

ブーヘンヴァルト強制収容所

ブーヘンヴァルト強制収容所
古館「ワイマールの市街地から15分程車で来た小高い丘の上なんです。まるっきり別の世界に迷い込んだようです。ここはブーヘンヴァルト強制収容所です。ここには25万人のユダヤ人の方が収容されました。

そしてまた同時に、ナチが敵とみなした共産党をはじめ、多くの野党の人たちもここに入れられました。正面は何も見えませんけれど、ここに多くの収容所があったと言います。その跡地です。

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ここは人体が解剖された部屋です。ここに器具があります。

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ここは多くの方々の遺体が焼かれた所です。多くの方が犠牲になりました。これがその時の映像です。アメリカ兵がこの収容所を初めて見た時に、言葉を失ったそうです。

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腐乱した遺体が、あちこちに散らばっている。中庭には遺体が積み上げられている。生き残った人たちも、身体に肉がほとんどない。骨と皮だけの状態だったと。

この惨状を見た連合軍は、ワイマールの市民をここに連れてきてみせた。その時の様子を撮影していた女性カメラマンが、後にこのように記しています。「女性は気を失った。男たちは顔を背けた。あちこちから(市民の)『知らなかったんだ』という声があがったそうです。しかし、収容者たちは怒りをあらわに叫んだ。「いいやあなたたちは知っていた」

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[報道ステーション]ワイマール憲法から学ぶ自民党憲法草案緊急事態条項の危うさ  (文字起こし)【後半】

2016/03/23 12:24 PM
 竹下氏からの情報提供です。 前半の続きです。
 安倍首相が今月2日に「在任中改憲」表明し、参院選で憲法改正を争点化しようとしていますが、こうした動画で悪巧みが暴かれ、ネットで拡散されていくことに希望があると思います。
 そして、ナチスと安倍政権が同じことをやろうとしても、力量に差があり、悪しき霊導も断ち切られていることに救いがあります。 (編集長) 

ここまでは、80年前のドイツで起きてしまったことです。当然日本でこんな事が起きるなんてのは考えられません。でも、気になることがあるんです。

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これは、自民党が発表している憲法改正草案ですが、ここには緊急事態条項という条文が書き込まれていますね。今年7月の参院選で与党が圧勝して三分の二の数をとるとなると、日本でも憲法改正というものが、現実味をより帯びてまいります。その時、俎上に上がるとされているのが、今言った緊急事態条項なんです。ここで言う緊急事態というのは、大規模な自然災害だけじゃなくて、外部からのー武力攻撃、社会秩序の混乱などと位置付けてですね、この緊急事態の際に、ここです。「内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができる」と規定しているんですね。さあ、そこで最後に、ワイマール憲法研究の権威であるドイツのドライアー教授に、日本の緊急事態条項についてそれを見ていただきました。」

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ワイマール憲法に詳しい イエナ大学 ミハエル・ドライアー教授「この内容はワイマール憲法48条(国家緊急権)を思い起こさせます。内閣の一人の人間に利用される危険性があり、とても問題です。一見読むと無害に見えますし、他国と同じ様な緊急事態の規則にも見えますが、特に(議会や憲法裁判所などの)チェックが不十分に思えます。このような権力の集中には通常の法律よりも多くのチェックが必要です。議会からの厳しいチェックができないと悪用の危険性を与えることになります。

何故一人の人間、首相に権限を集中しなければならないのか?首相が(立法や首長の指示など)直接介入することができ、さらに首相自身が一定の財政支出まで出来る。民主主義の基本は「法の支配」で「人の支配」ではありません。人の支配は性善説が前提になっているが良い人ばかりではない。民主主義の創設者たちは人に懐疑的です。常に権力の悪用に不安を抱いているのです。権力者はいつの時代でも、常にさらなる権力を求めるものです。日本はあのような災害(東日本大震災)にも対処しており、なぜ今この緊急事態条項を入れる必要があるのでしょうか。」

古館「さあ、こっからです。ドライアー教授も、その議会のチェックが弱いというニュアンスを懸念されている所があります。これに関して、自民党にどうなんでしょうかという風に聞きましたら、国会での丁寧な合意形成に真摯に取り組んでいくという回答を得ました。

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そして、後ろにありますのが自民党の憲法改正草案ということになります。そしてこちらにQ&A形式になりまして、この憲法改正草案の質問、それに対する答え、こういう分厚い物が用意されています。ちょっとこちらをご覧下さい。まず98条の方ですが、改正草案の緊急事態の中の、『事前又は事後に国会の承認を得なければならない。』とこうはっきりと書いているわけなんですね。

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このQ&Aでそれに相当する所をより詳しく見てみると、『国会による民主的な統制の確保の観点から、緊急事態の宣言には、事前又は事後に国会の承認が必要であると規定した』とやはり書かれている点。

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それからもう1つ、99条に写りますが、『法律の定めるところにより、内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができる』という、先ほどVTRの中でもここをポイントとして指摘いたしました。

これに関して、やはりこちらも押さえておきますと、『その具体的な内容は、法律で規定することになっているために、政令と言っても内閣総理大臣が何でも出来るようになるわけでは決してありません』とはっきりここに書かれております。

これを踏まえた上で、専門家の長谷部さんに伺います。1つ、ワイマールに大急ぎで行って来たりして、いろいろもやもやするのはですね、何回も再三再四申し上げているように、ヒトラーが日本で出てくると。あのような人間が。到底想定なんかできないんですが、将来ですね、ヒトラーでなくてもとんでもない人が出てくる可能性がないという風に否定するわけにはいかないという風に考えると、立ち止まらなきゃいけないという所が数点あると思うんですが、いかがでしょうか?」

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憲法学者、元東大法科大学院長 近著に『憲法と民主主義の論じ方』早稲田大学教授 長谷部恭男
「まずこの自民党の改憲草案、緊急事態条項に関する問題点ですが、ます他の憲法の緊急事態条項と比べてもですね、発動の要件、つまり宣言をする時の要件が甘すぎるんじゃないのかと。まあ確かにその武力攻撃とか、大規模な自然災害、例示はあるんですが、言ったらどういう場合に宣言ができるのか、結局の所は法律に丸投げしているんですね。」

古館「『法律の定めるところにより、閣議にかけて、緊急事態の宣言を発することができる。』」

長谷部「そうなんですね。しかも、それは首相が特に必要があると認めればと、これは本当に客観的というよりは内閣総理大臣がそう思えばと主観的な要件になっています。ここも非常に甘いなという風に思われる所なんですね。

それから先ほど古館さんがご指摘の通り、この宣言が為されますと、その後に内閣というのは法律と同一の効力を持つ政令を出せるということになります。

例えば、法律というのはいろいろ重要な事を決めていますね。例えば身柄を拘束される場合、或は刑事裁判がどう行なわれるべきか。これは刑事訴訟法という法律で決まっているものですので、それは政令で変えられるということになりますから、そうなりますと、これは、『人身の自由』というのは他の基本的な人権の全てを支えているものでして、それがまあ政令によってどうなってしまうのか。場合によっては令状なしで怪しいと思われれば拘束をされると。そんなことになるということの理屈としてはあり得るということになります。」

古館「戦後、ずーっと生きてきた感覚で言いますと、もっと私より上の方も含めてでしょうけれども、昔と違いますので、今はそんな風に急に身柄拘束、疑わしきは全部取っ捕まえちゃうって、そんな事はないだろうと思いたい気持ちは強くあって当然なんですけど、何かずっと先の将来にですね、とんでもない政権とかとんでもないことになっていた時には、ころっと今の政令みたいなことで言ったら、次の日、昨日までと全く違う世界で身柄なんかすぐとられちゃうということはありますよね?」

長谷部「まあそういうことは確かに否定はできないと思いますね。可能性としては。ですから、そういう道を防ごう、少なくとも起こりにくくしようと思うのであれば、これはやはり裁判所によるコントロール、その道をやはり開いておかないといけないと、こういうことになると思います。それは世界各国、どの国でも緊急事態条項を発動する時には裁判所のコントロールをおくというのは、これは言わばグローバルスタンダードなんですね。ただ、日本の場合問題点がございますのは、日本の最高裁は、いわゆる、統治行為という法理をとっておりまして。」

古館「いわゆる、統治法理論という風に言われますね。」

長谷部「そうですね。つまり、高度に政治的な問題に関しては、裁判所は独自には判断しない。政治部門の言うことを丸呑みをすると。そういう考え方なんですが、これでいきますと、例えば先例であります、衆議院の解散、合憲かどうかさえ、これも政治部門の結論を丸呑みということですから、緊急事態条項が必要なのかどうかと。一旦発動された後、どういう政令が必要になるのか。果たして裁判所がきちんとコントロールしてくれるのかどうか。そこの所が大変覚束ないということになるだろうと思いますね。」

古館「そこが曖昧であって緊急事態条項がスーッと入ってくることを想定しますと、つまりこういうことですね。発動要件を仮にもっと厳しく締めたとしても、裁判所の方がそうじゃなきゃ何にも変わらないということですか?」

長谷部「おっしゃる通りで、発動要件が甘ければ、それは厳格にすればいいではないかという、そういうお答えがあるかもしれませんが、そうしたとしても、第三者の立場から裁判所のコントロールがないということになれば、結局は同じ事になってしまうと、そういう可能性があります。」

古館「かねてより長谷部さんはこういう風におっしゃっていますね。憲法に緊急事態条項を入れなくても、必要とあらば法律を改正したり、新たな法律を作ればいいんで、憲法にこの緊急事態条項を入れなくてもいいじゃないかということずっとおっしゃていますね。」

長谷部「例えば去年の11月に大規模なテロが起こったフランス。これは非常事態の宣言を出しているわけですが、この非常事態宣言というのは、実は憲法に基づいたものではありません。非常事態法という法律に基づいていろいろな必要な措置が為されているわけですね。日本でも実はもうすでに、災害対策基本法、大規模な災害に対処をする、応急の措置を定める法律もあれば、いわゆる、有事法制もいろいろ整備をされておりますので、本当に必要だということであれば、まず法律のレベルで何が必要か、それをまず考えるべきだという風に私は思います。」

古館「先ほどもちょっとニュアンスを出されましたけれども、他国に比べてと。じゃあ他国はどうなんだと言った時、一方でですね、やっぱりどの国だって緊急事態条項的なものってあるんだと。何言っているんだという声ももちろんあります。それもきちんと聞かなきゃいけないと思いますね。でもその場合に、フランスだとかドイツだとかいろいろ見てみると、そういうものっていうのは、日本とどう違いますか?この草案と。」

長谷部「そうですね。それぞれの国が緊急事態条項を憲法においているのは、どういう事情なり経緯があるか、やはり国ごとに考えていかないといけない。例えばドイツの場合でありますと、これはもう連邦制国家で、政府の権限が中央政府と州の政府、極めて厳格に分かれております。だから緊急事態には州の政府の権限を中央政府に吸い上げる必要がある。」

古館「そこは緊急事態だから、より中央政権を強めないといけないんですね。」

長谷部「ただ、日本は連邦制国家でございませんので、そういう事情は当てはまらないと思いますね。」

古館「フランスはどうですか?」

長谷部「フランスの場合、現在の憲法で16条。確かに大統領に権限を集中すると、そういう緊急事態条項があるんですが、ただこの現在の第五共和制憲法というもの自体が、実はアルジェリア危機、特定の危機に対応するためにできた憲法という色彩が非常に強いですし、その色彩が特に強いのが、この16条の緊急事態条項なんですね。ですからそういう、いわゆるアルジェリア危機に対応するための特別仕様として出来上がった条項ですので。つまり、歴史を見ると、この16条の条項というのはアルジェリア危機に対応するために、ただ一度使用されただけ。その後は一度も使用されていません。」

古館「そうですか。とにかく立ち止まってじっくり議論をする、考えてみるということがこの条項に関しては必要ではないか。その思いで特集を組みました。先生、どうもありがとうございます。」

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