3/25 まだ枯葉がついてるのに、コナラに新芽が出てきた。隣の木は、コナラと思ってたが、ブナかもしれない。もう2年以上いる!そう思ってたら、権現山から来た植物がまだあった。

 コナラ日誌  vs  ブナ日誌   Konara or Buna (Japanese beech)  Momiji  姥目樫  雑草目録?  追加種目  ヤマボウシvsハナミズキ   3年目?のコナラ

コナラ

ブナ

成長中 2023/8/7
美しく紅葉した。2023/12/7

3年目?のコナラ

2024/4/21 新緑!

森にいるような!

コナラとブナ

konara&buna

コナラ 小楢

  • 学名:Quercus serrata
    • 別名:ナラ、ハハソ、ホウソ
  • 分類:ブナ科コナラ属
    • 原産・分布:北海道、本州、四国、九州、朝鮮、中国
  • 用途:公園樹、建築・器具材、薪炭、シイタケ原木

【ブナ】Fagus crenata Blume ブナ属ブナ科

【分布等】
北海道西南部から本州、四国、九州の温帯に広く分布。北限は北海道寿都郡、南限は鹿児島県肝属郡高隈山。北海道の海抜15mが最低で内地は2,400mに及んで生育しているが、良好な林相は、北海道50~600m、本州600~1,600m、四国・九州で1,000~1,500mに見られる。

ブナの森の階層構造;上層,中層,下層,地表草本層(林床)

ブナ科は、森の主役・・・中でも最も寒い所に分布するのがブナである。ブナ林が見られる落葉広葉樹林帯を「冷温帯」という。一方、常緑のシイ・カシ類が森をつくっている暖かい所は「暖温帯」という。

樹木図鑑(コナラ)

木のぬくもり・森のぬくもりhttps://www.jugemusha.com › jumo…

「ナラ」については、①が広く平らなさまを「ならす」とした、②冬、枝に残ったを、風が吹き鳴らす木とした、③若葉の軟らかいさまを「なよらか」とした、などの説あり …

オークはブナ科コナラ属の総称になります。
日本語では落葉樹はナラ常緑樹はカシと呼ばれ、昔から道具の柄や樽などに使用されるお馴染みの木材です。 広葉樹の環孔材で木目がはっきりとしていて、見た目から木材らしさを存分に味わえる樹種です。

About Oak:

An oak is a tree or shrub in the genus Quercus of the beech family, Fagaceae. There are approximately 500 extant species of oaks.

Scientific name: Quercusミズナラの木

Higher classification: Beech family(ブナ)

3/27 新芽が出てきたモミジさんを追加

2023/3/27
2023/4/27
2023/12/2 紅葉? or dying?
生きてた!
2024/4/21

3/30 こちらも新芽の姥目樫を追加(何だか失礼な?naming)

ブナ科の常緑小高木。暖地の海岸近くの山中に自生。葉は長楕円形で、堅い。5月ごろ、雄花と雌花とをつける。実は食用。材は備長炭びんちょうずみの原料。名は、若葉が褐色であるところに由来。うまめがし。うばめ。

4/2 植木鉢の雑草も侮れない!

4月中旬、鎌倉からの新客たち new_ones

常緑ヤマボウシ:育つかな?

ローリエ
シャリンバイ

ヤマボウシvsハナミズキ

ヤマボウシ 鎌倉
ハナミズキ YCU
ヤマボウシ(山法師、山帽子、学名 Cornus kousa)Japanese Dogwoodミズキ科ミズキ属ヤマボウシ亜属の落葉高木(5~10m):開花時期は4月下旬~5月上旬日本古来種花びらは全体的に尖り気味の形:葉が芽吹いてから花(花径3~8cm程度)
ハナミズキ(花水木、学名:Cornus florida)dogwoodミズキ科ミズキ属ヤマボウシ亜属の落葉高木(樹高3~5m)《別名アメリカヤマボウシ》開花:5月下旬から6月下旬アメリカからきた外来種花全体がまるく、かつ桜のように先端に切れ目:ハナミズキは花を先に咲かせる(花径5~8cm程度)

ヤマボウシの果実は、9月頃に赤く熟し食用になる。種子は約3ミリで、大きい果実には3~4個、小さい果実では1個入っている。果肉はやわらかく黄色からオレンジ色でありマンゴーのような甘さがある。果皮も熟したものはとても甘く、シャリシャリして砂糖粒のような食感がある。果実酒にも適する。

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3/19 懐かしの心の友Sさんからの突然のEmail message 「今横浜にいるので、いる間にお茶しよう」と。そして今日3/21、ロンドンで20 年ぐらい前South Kensington のホテルを訪ねて来てもらって以来の感動の再会だった。体が動かないのは残念だけど、おかげで尋ねてきてくれる人も多くなりうれしい限りだ。良き友情は年を経ても変わらないことを知り、本当にうれしかった。Mさんの”Ake‥ファン次々とお見えになり,今までと違う生活で楽しいでしょう!”のことばが有難い。 ★ 「上海の旧友」   ★★ 11/20 Norwayからの便り

Hi Ak・・ How are you? Long time since I contacted you but I am visiting Yokohama at the moment. Would you like to have a coffee and chat together? Hope to see you.

NEW YIS

 目が回る忙しさで話をした。中国本土の人と、香港人、台湾人の3国についてのそれぞれの感慨、意識。韓国人と日本人の(敵対する微妙な)関係について英国人として思うこと。コリアンの”恨”の思想など。韓国では鳥はsing ではなくweepだそうだ。でも、時間が足りなかった!私たちのリハビリのこと、歩行杖の名称と形状(w)、彼の世界旅行のこと、Covidで兄を亡くされたこと、「後退」に関する英語では”regress”は trend で、”set back”がtemporal moveのことなので、set back が良いらしい。なんと賢くなったことか!私の英語は”go backward”or “becomes worse” だった。それからEngland人は野球には関心なし、Clicketが20%ほどとか。それから菜の花の英語名はナントrapeだと。

 「上流階級の金持ちさんなので、来るには及ばぬと言ったのですが、おもしろいから行く、見知らぬところを一人で尋ねるのがチャレンジだからと。」「おもしろいってなんですか😁」「日本の小さい家とか?」「早めに着いて、(3/21)11:00に来ました♪」「(WBC)野球はそっちのけで面白い話をしました。」「ダンディーなお客様で、春のアフターヌーンティーパーティーですね☕」✨「〇さんも素敵なマダムに写っています✨」

It was lovely to see you again! And thank you for your lovely gift. It is a very nice memory!

Our History

2019 :Cyboze   2017:Ashumorian   2012: Phone call   (2005: extablish Oxford Office)   2004:University issue

University of Cambridge MA, Economics 1975 – 1978 (age68?)

香港人の民族意識にとっての「日本」  銭 俊華

香港住民の大部分は華人であり、華人として1は伝統的な中国文化を身につけているだけではなく、近現代の中国史に対し、民族意識も持っている。日本に関する戦争記憶が喚起されるたびに、香港で日本に対して反発が起きることは珍しくない。(中略)

1980 年代や 1990 年代に生まれた香港人は、それ以前の人々と異なる。香港の最も好況な時期に育ち、香港大衆文化を享受し受け継ぎ、香港との経済格差がまだ大きい中国大陸に対する帰属感が相対的に小さかった。さらに 2010 年以降、中国大陸人観光客の大量流入が、香港人の日常生活に影響を与え続けて、「中港矛盾(中国大陸人と香港人の矛盾)」がしばしば発生している。さらに、基本法第 23 条の立法の試み、「国民教育」科目、「普教中」(広東語の代わりに、普通話(中国語標準語)で中国語文(日本の国語科目にあたる)を教える)政策の導入、「ニセ普通選挙」(親中派主体で構成された指名委員会の過半数の推薦がなければ、立候補できない)の決定により、香港人、特に若い世代は中国政府からの圧迫、あるいは「中国化」の進行を感じている。このような動きに反発し、香港人自らのアイデンティティを強化し、本土」という理念を唱える動きが生まれている。なかには、「中国人」ではないと自らを定義する「脱中国化」の傾向もある。「脱中国化」する傾向がある人々や本土派は、よく親日の立場から中国を批判し、あるいは香港を主体として香港戦や「重光記念日」を強調する。つまり、日本に関わる戦争記憶は、従来と同じく香港人の民族意識を喚起するメカニズムであると同時に、逆に香港人が民族意識から離脱するメカニズムにもなってきた。本論文を土台として、さらに本土勢力や民間がいかに「日本」に関する戦争記憶を再構築し、各々の政治主張を支えるかを将来の研究の視野に入れたい同時に、香港政府は香港が中国に返還されてから、香港を主体とする歴史観とイギリスに関する記憶を除き、中国政府に合わせ、中国を主体とする歴史観を、日本に関わる戦争記憶に導入し、「中華人民共和国民族意識」を香港人に伝えている。
日本に関わる戦争記憶は、まるで「中国化」に抵抗する人々と香港政府の「記憶の戦場」になり、それぞれの立場からのアイデンティティを確立する武器になっている。

韓国大統領を務めた金大中は、著書『金大中哲學與對話集——建設和平與民主』のなかで、以下のように述べている[5]韓国の文化は「恨」の文化です。私たちの民族は憂患と苦難の民族であり、「恨」は挫折を味わった民族の希望、「恨」は挫折を味わった民族の夢を実現するための準備なのだと思います。確かに私たちは、歴史のなかで「恨」とともに生きてきたことは事実です。…しかし、常に自分自身を慰め、励まし、その結果、未来に向かって生きていくことができた。私たちの民族は、畑の雑草のように、踏みつけられ、そして蘇る。 …韓国人は2000年間、文化的アイデンティティを捨てなかった。…韓国人は、大きな苦難に耐え、あらゆる方法で忍耐してきた。

(english translated by Google) Kim Dae-jung, who served as the President of South Korea, said in his book, “Kim Dae-jung Cheolgak Confederation: Construction Peace and Democracy“[5].

Korean culture is a culture of ‘grudge‘. Our nation is a nation of sorrows and hardships, and ‘grudge’ is the hope of a nation that has suffered setbacks, and ‘grudge’ is the preparation for realizing the dreams of a nation that has suffered setbacks. It is true that we have lived with “grudges” throughout history. …But I always comforted and encouraged myself, and as a result, I was able to live towards the future. Our people, like weeds in a field, will be trampled and reborn. …For 2,000 years, Koreans have not given up their cultural identity. … Koreans have endured great hardships and persevered in every possible way.

また来年からも日本に来る、来れるかもしれないとの嬉しい便り。何とラッキーな私。これを励みに頑張ろう!!

email Nov.19

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保土ヶ谷区にある市の施設の中にあるそんなに大きくない図書館で「新しい人よ眼ざめよ」を見つけ,書架から取り出した時の新鮮な感激は今もはっきり覚えている。

『新しい人よ眼ざめよ』は、ブレイクの後期預言詩のひとつ『ミルトン』の序の一節「Rouse up, O, Young men of the New Age !」からインスピレーションを得ている。また各短編のタイトルもブレイクの詩行や絵画のタイトルに由来する。

Bring me my Bow of burning gold;
Bring me my Arrows of desire:
Bring me my Spear: O clouds unfold!
Bring me my Chariot of fire!

★障害を持つ長男イーヨーとの「共生」を、イギリスの神秘主義詩人ブレイクの詩を媒介にして描いた連作短編集。作品の背後に死の定義を沈め、家族とのなにげない日常を瑞々しい筆致で表出しながら、過去と未来を展望して危機の時代の人間の<再生>を希求する、誠実で柔らかな魂の小説。大佛次郎賞受賞作。講談社の紹介文

(Jerusalem)

And did those feet in ancient time,
Walk upon Englands mountains green:
And was the holy Lamb of God,
On Englands pleasant pastures seen!
And did the Countenance Divine,
Shine forth upon our clouded hills?
And was Jerusalem builded here,
Among these dark Satanic Mills?
Bring me my Bow of burning gold:
Bring me my Arrows of desire:
Bring me my Spear: O clouds unfold!
Bring me my Chariot of fi re!

 知的な障害とはまた別に、まじめな性格の光は、歩行訓練をする間、しゃべりません。私も、読んでいる本のことを思い出したりしています。足を高くあげない光は、つまずきやすいし、てんかんの小さな発作を起こすことがあります。後の場合、抱きとめておいて、地面に座らせることができれば五分ほどじっとしています。その間、周りから声をかけられることがあっても、光の頭を支えている私は応答できません。それが相手をムッとさせることは幾度となくありました。さて、今度の歩行訓練で、私がつい頭のなかの散漫な思いにとりつかれている時、転っていた石に足をとられて、光がバタンと倒れたのです。てんかんの発作ではなく、意識がはっきりしているので、かえって気持ちを動転させています。自分の失敗を責めてもいるようです。

 私にできることは、自分よりずっと重い光の上体を抱え起こし、遊歩道路の柵まで寄らせて、頭を打たなかったかどうか調べるくらいですが、私ら二人のモタモタした動きは頼りなく見えたにちがいありません。自転車でやって来た壮年の婦人が跳び降りると、―大丈夫?と声をかけながら光の肩に手をあてられました。光がもっとも望まないことは、見知らぬ人に身体をさわられるのと犬に吠えられるのとです。こういう時、私は自分が十分に粗野な老人であることは承知の上で、しばらくほうって置いていただくよう強くいいます。

 その方が、憤慨して立ち去られた後、私はある距離を置いてやはり自転車をとめ、こちらをじっと見ている高校生らしい少女に気付きました。彼女はポケットからケータイをのぞかせて、しかしそれを出すというのじゃなく、ちょっと私に示すようにしただけで、注意深くこちらを見ています。 光が立ち上り、私がその脇を歩きながら振り返ると、少女は会釈して、軽がると自転車を走らせて行きました。私にとどいたメッセージは、自分はここであなたたちを見守っている、救急車なり家族なりへの連絡が必要なら、ケータイで協力する、という呼びかけでした。私らが歩き出すのを見ての、微笑した会釈を忘れません。

     *

 さきの大戦の終わりに抗独戦線に参加している一人として死んだ、🌹フランスの哲学者シモーヌ・ヴェイユの、🔹不幸な人間に対して注意深くあり、――どこかお苦しいのですか? と問いかける力を持つかどうかに、人間らしい資質がかかっている、という言葉に私は惹(ひ)かれています。 ヴェイユの不幸な人間の定義は独特ですが、突然の転倒に動揺している私らも、この場では不幸な人間です。こちらが受け入れられないほど積極的な善意を示してくださった婦人も、ヴェイユの評価する人間らしさの持ち主です。🌹むしろこういう時にも自分にこだわる(そこからの解放をヴェイユは説くのでもあります)私を変えねばなりません。その上で、不幸な人間への好奇心だけ盛んな社会で、私はあの少女の注意深くかつ節度もある振る舞いに、生活になじんだ新しい人間らしさを見出す気がします。好奇心は誰にもありますが、注意深い目がそれを純化するのです。

 大江さん 小説を書いている人間、その人間自身が、世界、日本、社会の中でどのような存在であるか。いつもそういうことが頭にある。僕のように小さな村、そして森を題材にしつつ、現代の東京に生きている人間として、同時代の中で七転八倒しながら書く。戦後文学を担った多くの作家はそうしてきました。

 ――大江文学を流れる最大のテーマに「森の思想」があるといわれる。これはどういうものですか。大江さん 僕は四国の愛媛県で生まれました。子供のころは台風、大水が多かった。森は何か恐ろしいと同時に魅惑的だった。魂を癒す故郷を森に求めたのです。半分は架空の森で、同時に神話も実話もある。安保闘争に苦しんだ男が、森にかえる、それが「万延元年のフットボール」です。森と谷間の村に材を求めてきましたが、その集大成が「燃えあがる緑の木」です。二部まで出て、最後の三部を推敲(すいこう)していますが、結局悲劇に終わる。未来へ受け継ぐものは暗示させたい。

 二十八歳の時、長男が生まれた。脳に障害を持って生まれた光と共に生きて行くことが、僕の文学を変え、人生を変えた。僕のように早熟で、それまで頭だけで小説を書いてきた人間は二十代の終わりで行き詰まり、自殺してしまったかもしれない。必ず行き詰まった。大変だったけれども夫婦で(純粋な心をもつ)光に勇気づけられることは多かった。三十八年間小説を書いてきて、そのうち三十一年間は光と共にいる。人間らしさとはどういうことか。どんなに暗い人間、性格、状況を描いても文学は人間を励まし、勇気づけ、活気づけるものであることが、光と生きて分かったということでもあるでしょう。

大江健三郎さん 高校時代の文章や詩見つかる 愛媛 内子町

大江健三郎さんは、愛媛県内子町の大瀬地区に生まれ、昭和25年に地元の県立内子高校に進学し、文芸部に所属しながら1年間在校しました。13日、大江さんの訃報が報じられたことから、高校が校内の資料室でゆかりの品を探したところ、73年前に当時1年生だった大江さんが校内で発行する生徒会誌に寄稿した文章や詩が見つかったということです。シェークスピアの「ハムレット」について記した文章では、ハムレットの生涯から人間の運命を思索しつつ、「前進することは悩みの連続であろう。しかし人間は前進するように運命づけられている」と人生への決意ともとれる記述があります。

「ハムレット」について記した文章
「赭い秋」

The Nobel Prize-winning Japanese author Kenzaburo Oe has died at the age of 88.

Strongly influenced by French and American literature, he was known for his powerful accounts of the atomic bombing of Japan and coping with his son, who has learning difficulties. He won the Nobel Literature Prize in 1994, with judges praising his “darkly poetic” novels for their “disconcerting picture of the human predicament”. The whole Article by BBC, March 14

Rouse Up, O Young Men of the New Age!

Kenzaburō Ōe

“K is a famous writer living in Tokyo with his wife and three children, the oldest of whom was born with a brain anomaly that has left him mentally disabled. A highly cerebral man who often retreats from real life into abstraction – in this case, the poetry of William Blake – K is confronted by his wife with the reality that this child, Eeyore, has been saying and doing disturbing things – behaving aggressively, asserting that he’s dead, even brandishing a knife at his mother. As the days pass, various events – K’s hapless attempts to communicate with his son, Eeyore’s near drowning during a father-son trip to the swimming pool, a terrible hurricane that nearly destroys the family’s mountain cottage and the family inside it – K is forced to question his fitness as a father.” K reconsiders his own life – his relationship with his father, his rural upbringing, his relationship with a well-known dissident writer who committed suicide, the responsibilities of artists and writers in Japan generally. In the end, in part through his obsessive rereading of Blake, K is able to see that things are not always what they seem, especially where his son is concerned, and to trust his heart as well as his mind.

新しい人よ眼ざめよ/Rouse Up O Young Men of the New Age!
個人的な体験/A Personal Matter
静かな生活/A Quiet Life
人生の親戚/An Echo of Heaven
性的人間/Seventeen and J: Two Novels
取り替え子/The Changeling
宙返り/Somersault
ピンチランナー調書/The Pinch Runner Memorandum
万延元年のフットボール/Silent Cry
芽むしり仔撃ち/Nip the Buds, Shoot the Kids
われらの狂気を生き延びる道を教えよ/Teach Us to Outgrow Our Madness


 3/21 大江さんが大江さんが新しいスタイルの小説を書くことはもうない。難解な小説は、いまでも私には難解なままだ。それでも、大江さんはこんな風にして、いつでも語りかけてくれる。最後の小説になった「晩年様式集」の最後の詩のような、希望をつなぐ深く優しい言葉で。小さなものらに、老人は答えたい、/私は生き直すことができない。しかし/私らは生き直すことができる高津祐典)  Full Text  

3/14 大江健三郎は「戦後」に君臨しないまま統治した ikezawa

おおえ・けんざぶろう  なんと美しい名前だろう。やわらかい母音が三つ連なり、それをKという子音がしっかり受けて、更にごつごつしたZが乱して、「ろう」で丸く収まる。音節の数は軽く七五調を逸脱している。こんな名前を持った男が詩人でないはずがない。FULL TEXT

大江文学の価値・広さ/大きさ

日本人の連帯感・・「個人の深みに根ざしている静けさ」

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今日は3/11の惨事から12年目の日だ。韓国では梨泰院の事故の時、みんなが聴いたのがこの歌だったという。

韓国の名曲:조용필바람의 노래(お!ハングルでも少し意味が分かるようになった。)

私はいつかは風の歌を聞くだろう〜
時が経てば花が枯れてしまう理由も分かるだろう~

いつの日か私から去っていった人と出会うかもしれない
過ぎし日の友情や懐かしい気持ちはどこに行くのだろう~~

そんなことは私のちっぽけな知恵では知ることはできない。
私が知っているのは今をどう生きるかだけだ。

多くの過ちや苦悩の時間
そんなこともあったと今気づく。

今、その答えが”愛”だと知れば、
私はこの世界のすべてを愛するだけだ…(Akemi訳:英語から)

조용필 – 바람의노래 (1997년 5월 25일)

私の「韓国語勉強サイト」の記事

これだ!探していた昔聴いたチョーヨンピルの歌「カッチャギ・・・Red Dragonfly 고추 잠자리(コチュジャンジャリ)

Red Dragonfly…そうだ「赤 (唐辛子)トンボ」だった。
Red Dragonfly
Lyrics

우〜
ウ〜

아마 나는 아직은 어린가봐 그런가봐
アマ ナヌン アヂグン オリンガボヮ クロンガボヮ

엄마야 나는 왜 자꾸만 기다리지
オムマヤ ナヌン ウェ チャツクマン キダリヂ

엄마야 나는 왜 갑자기 보고싶지
オムマヤ ナヌン ウェ カプチャギ ポゴシプチ

아마 나는 아직은 어린가봐 그런가봐
アマ ナヌン アヂグン オリンガボヮ クロンガボヮ

엄마야 나는 왜 자꾸만 슬퍼지지
オムマヤ ナヌン ウェ チャツクマン スルポヂヂ

엄마야 나는 왜 갑자기 울고싶지
オムマヤ ナヌン ウェ カプチャギ ウルツコシプチ

가을빛 물든 언덕에 들꽃따러 왔다가 잠든 나
カウルビツ ムルドゥン オンドゲ トゥルツコツタロ ワツタガ チャムドゥン ナ

엄마야 나는 어디로 가는 걸까
オムマヤ ナヌン オディロ カヌン コルツカ

외로움 젖은 마음으로 하늘을 보면
ウェロウム チョジュン マウムロ ハヌルル ポミョン

흰구름 흘러가고
フィングルム フルロガゴ

나는 어지러워 어지렁 뱅뱅
ナヌン オヂロウォ オヂロン ペンベン

날아가는 고추 잠자리
ナラガヌン コチュ チャムジャリ

엄마야(お母さん) 나는 왜 자꾸만 기다리지
엄마야 나는 왜 갑자기 보고싶지
아마 나는 아직은 어린가봐 그런가봐

엄마야 나는 왜 자꾸만 슬퍼지지
엄마야 나는 왜 갑자기 울고싶지
가을빛 물든 언덕에
들꽃따러 왔다가 잠든 날

엄마야 나는 어디로 가는 걸까
외로움 젖은 마음으로
하늘을 보면 흰구름만 흘러가고
나는 어지러워(めまい)
어지럼 뱅뱅(バンバン) 날아가는(飛ぶ)
고추 잠자리(唐辛子トンボ)
아마 나는 아직은 어린가봐 그런가봐

엄마야 나는 왜 자꾸만 기다리지
엄마야 나는 왜 갑자기 보고싶지

아마 나는 아직은 어린가봐 그런가봐
엄마야 나는 왜 자꾸만 슬퍼지지
엄마야 나는 왜 갑자기 울고싶지

가을빛 물든 언덕에
들꽃따러 왔다가 잠든 날
엄마야 나는 어디로 가는 걸까
외로움 젖은 마음으로
하늘을 보면 흰구름만 흘러가고
나는 어지러워
어지럼 뱅뱅 날아가는 고추 잠자리

아마 나는 아직은 어린가봐 그런가봐
엄마야 나는 왜 자꾸만 기다리지
엄마야 나는 왜 갑자기 보고싶지

아마 나는 아직은 어린가봐 그런가봐
엄마야 나는 왜 자꾸만 슬퍼지지
엄마야 나는 왜 갑자기 울고싶지

아마 나는 아직은 어린가봐 그런가봐
엄마야 나는 왜
お母さん、なぜ私は何度も待っています。
お母さん、なぜ私は突然見たいのですか?
おそらく私はまだ若いと思います。

お母さん、なぜ私は悲しんでいますか?
お母さん、なぜ私は突然泣きたいのですか?
秋の色の丘の上
花の花に来て寝た日

お母さん私はどこに行きますか
孤独 濡れた心で
空を見ると白い雲だけが流れます。
私はめまいがする
めまいバンバン飛んでいる唐辛子トンボ
おそらく私はまだ若いと思います。

お母さん、なぜ私は何度も待っています。
お母さん、なぜ私は突然見たいのですか?
おそらく私はまだ若いと思います。
お母さん、なぜ私は悲しんでいますか?
お母さん、なぜ私は突然泣きたいのですか?
秋の色の丘の上

花の花に来て寝た日
お母さん私はどこに行きますか
孤独 濡れた心で
空を見ると白い雲だけが流れます。
私はめまいがする
めまいバンバン飛んでいる唐辛子トンボ

おそらく私はまだ若いと思います。
お母さん、なぜ私は何度も待っています。
お母さん、なぜ私は突然見たいのですか?
おそらく私はまだ若いと思います。

お母さん、なぜ私は悲しんでいますか?
お母さん、なぜ私は突然泣きたいのですか?
おそらく私はまだ若いと思います。
お母さん私はなぜ

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  good English translation付
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https://www.samac.jp/search/poems_list.php

百人一首の歌番号順に並べた一覧です。歌と作者名をよみがな付きで記載。各歌の歌番号から、詳細ページにリンクしています。詳細ページでは、意訳などのほか、歌の読み上げも聞けます。
表の最後に、競技かるた序歌の「難波津に~」も加えました。

ほかに、むすめふさほせ(暗記グループ)と、種類順、決まり字と語呂合わせの一覧もあります。(上記の水色部分)

番号作者
001秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ わが衣手は 露にぬれつつ天智天皇
てんぢてんのう
002春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香具山持統天皇
じとうてんのう
003あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の 長々し夜を 独りかも寝む柿本人麿
かきのもとのひとまろ
004田子の浦に うち出でてみれば 白妙の 富士の高嶺に 雪は降りつつ山部赤人
やまべのあかひと
005奥山に 紅葉踏み分け 鳴く鹿の 声聞く時ぞ 秋は悲しき猿丸大夫
さるまるだゆう
006かささぎの 渡せる橋に おく霜の 白きを見れば 夜ぞ更けにける中納言家持
ちゅうなごんやかもち
007天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも阿部仲麿
あべのなかまろ
008我が庵は 都の辰巳 しかぞ住む 世をうぢ山と 人はいふなり喜撰法師
きせんほうし
009花の色は 移りにけりな いたづらに 我が身世にふる ながめせし間に小野小町
おののこまち
010これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関蝉丸
せみまる
011わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ 海人の釣り舟参議篁
さんぎたかむら
012天つ風 雲の通ひ路 吹き閉ぢよ をとめの姿 しばしとどめむ僧正遍昭
そうじょうへんじょう
013筑波嶺の 峰より落つる 男女川 恋ぞつもりて 淵となりぬる陽成院
ようぜいいん
014陸奥の しのぶもぢずり 誰ゆゑに 乱れそめにし 我ならなくに河原左大臣
かわらのさだいじん
015君がため 春の野に出でて 若菜摘む 我が衣手に 雪は降りつつ光孝天皇
こうこうてんのう
016立ちわかれ いなばの山の 峰に生ふる まつとし聞かば 今帰り来む中納言行平
ちゅうなごんゆきひら
017ちはやぶる 神代も聞かず 龍田川 唐紅に 水くくるとは在原業平朝臣
ありはらのなりひらあそん
018住の江の 岸に寄る波 よるさへや 夢の通ひ路 人目よくらむ藤原敏行朝臣
ふじわらのとしゆきあそん
019難波潟 短き芦の 節の間も 逢はでこの世を 過ぐしてよとや伊勢
いせ
020わびぬれば 今はた同じ 難波なる みをつくしても 逢はむとぞ思ふ元良親王
もとよししんのう
021今来むと いひしばかりに 長月の 有り明けの月を 待ち出でつるかな素性法師
そせいほうし
022吹くからに 秋の草木の しをるれば むべ山風を 嵐といふらむ文屋康秀
ふんやのやすひで
023月見れば ちぢに物こそ 悲しけれ 我が身一つの 秋にはあらねど大江千里
おおえのちさと
024このたびは 幣もとりあへず 手向山 紅葉の錦 神のまにまに管家
かんけ
025名にし負はば 逢坂山の さねかづら 人に知られで くるよしもがな三条右大臣
さんじょうのうだいじん
026小倉山 峰のもみぢ葉 心あらば 今一度の 行幸待たなむ貞信公
ていしんこう
027みかの原 わきて流るる いづみ川 いつ見きとてか 恋しかるらむ中納言兼輔
ちゅうなごんかねすけ
028山里は 冬ぞ寂しさ まさりける 人目も草も かれぬと思へば源宗于朝臣
みなもとのむねゆきあそん
029心あてに 折らばや折らむ 初霜の 置きまどはせる 白菊の花凡河内躬恒
おおしこうちのみつね
030有り明けの つれなく見えし 別れより 暁ばかり 憂きものはなし壬生忠岑
みぶのただみね
031朝ぼらけ 有り明けの月と 見るまでに 吉野の里に 降れる白雪坂上是則
さかのうえのこれのり
032山川に 風のかけたる 柵は 流れもあへぬ 紅葉なりけり春道列樹
はるみちのつらき
033久方の 光のどけき 春の日に しづ心なく 花の散るらむ紀友則
きのとものり
034誰をかも 知る人にせむ 高砂の 松も昔の 友ならなくに
藤原興風
ふじわらのおきかぜ
035人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の 香ににほひける
紀貫之
きのつらゆき
036夏の夜は まだ宵ながら 明けぬるを 雲のいづこに 月宿るらむ清原深養父
きよはらのふかやぶ
037白露に 風の吹きしく 秋の野は 貫き止めぬ 玉ぞ散りける文屋朝康
ふんやのあさやす
038忘らるる 身をば思はず 誓ひてし 人の命の 惜しくもあるかな右近
うこん
039浅茅生の 小野の篠原 忍れど あまりてなどか 人の恋しき参議等
さんぎひとし
040忍れど 色に出でにけり 我が恋は 物や思ふと 人の問ふまで平兼盛
たいらのかねもり
041恋すてふ 我が名はまだき 立ちにけり 人知れずこそ 思ひ初めしか壬生忠見
みぶのただみ
042契りきな かたみに袖を しぼりつつ 末の松山 波越さじとは清原元輔
きよはらのもとすけ
043逢ひ見ての 後の心に 比ぶれば 昔は物を 思はざりけり権中納言敦忠
ごんちゅうなごんあつただ
044逢ふことの 絶えてしなくは なかなかに 人をも身をも 恨みざらまし中納言朝忠
ちゅうなごんあさただ
045あはれとも いふべき人は 思ほえで 身のいたづらに なりぬべきかな謙徳公
けんとくこう
046由良の門を 渡る舟人 かぢを絶え ゆくへも知らぬ 恋の道かな曾禰好忠
そねのよしただ
047八重葎 茂れる宿の さびしきに 人こそ見えね 秋は来にけり恵慶法師
えぎょうほうし
048風をいたみ 岩打つ波の おのれのみ くだけて物を 思ふ頃かな源重之
みなもとのしげゆき
049みかき守 衛士のたく火の 夜は燃え 昼は消えつつ 物をこそ思へ大中臣能宣朝臣
おおなかとみのよしのぶあそん
050君がため 惜しからざりし 命さへ 長くもがなと 思ひけるかな藤原義孝
ふじわらのよしたか
051かくとだに えやはいぶきの さしも草 さしも知らじな 燃ゆる思ひを藤原実方朝臣
ふじわらのさねかたあそん
052明けぬれば 暮るるものとは 知りながら なほ恨めしき 朝ぼらけかな藤原道信朝臣
ふじわらのみちのぶあそん
053嘆きつつ 独り寝る夜の 明くる間は いかに久しき ものとかは知る右大将道綱母
うだいしょうみちつなのはは
054忘れじの 行く末までは 難ければ 今日を限りの 命ともがな儀同三司母
ぎどうさんしのはは
055滝の音は 絶えて久しく なりぬれど 名こそ流れて なほ聞こえけれ大納言公任
だいなごんきんとう
056あらざらむ この世の外の 思ひ出に 今一度の 逢ふこともがな和泉式部
いずみしきぶ
057めぐり逢ひて 見しやそれとも わかぬ間に 雲隠れにし 夜半の月かな紫式部
むらさきしきぶ
058有馬山 猪名の笹原 風吹けば いでそよ人を 忘れやはする大弐三位
だいにのさんみ
059やすらはで 寝なましものを さ夜更けて 傾くまでの 月を見しかな赤染衛門
あかぞめえもん
060大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみも見ず 天の橋立小式部内侍
こしきぶのないし
061いにしへの 奈良の都の 八重桜 今日九重に 匂ひぬるかな伊勢大輔
いせのたいふ
062夜をこめて 鳥の空音は はかるとも よに逢坂の 関は許さじ清少納言
せいしょうなごん
063今はただ 思ひ絶えなむ とばかりを 人づてならで いふよしもがな左京大夫道雅
さきょうのだいぶみちまさ
064朝ぼらけ 宇治の川霧 たえだえに あらはれ渡る 瀬々の網代木権中納言定頼
ごんちゅうなごんさだより
065恨みわび ほさぬ袖だに あるものを 恋に朽ちなむ 名こそ惜しけれ相模
さがみ
066もろともに あはれと思へ 山桜 花より外に 知る人もなし前大僧正行尊
さきのだいそうじょうぎょうそん
067春の夜の 夢ばかりなる 手枕に かひなく立たむ 名こそ惜しけれ周防内侍
すおうのないし
068心にも あらで憂き世に ながらへば 恋しかるべき 夜半の月かな三条院
さんじょういん
069嵐吹く 三室の山の もみぢ葉は 龍田の川の 錦なりけり能因法師
のういんほうし
070さびしさに 宿を立ち出でて 眺むれば いづこも同じ 秋の夕暮れ良暹法師
りょうぜんほうし
071夕されば 門田の稲葉 おとづれて 芦のまろやに 秋風ぞ吹く大納言経信
だいなごんつねのぶ
072音に聞く 高師の浜の あだ波は かけじや袖の 濡れもこそすれ祐子内親王家紀伊
ゆうしないしんのうけのきい
073高砂の 尾の上の桜 咲きにけり 外山の霞 たたずもあらなむ前中納言匡房
さきのちゅうなごんまさふさ
074うかりける 人を初瀬の 山おろしよ はげしかれとは 祈らぬものを源俊頼朝臣
みなもとのとしよりあそん
075契りおきし させもが露を 命にて あはれ今年の 秋もいぬめり藤原基俊
ふじわらのもととし
076わたの原 漕ぎ出でて見れば 久方の 雲居にまがふ 沖つ白波法性寺入道前関白太政大臣
ほっしょうじにゅうどう・・・
077瀬を早み 岩にせかるる 滝川の われても末に あはむとぞ思ふ崇徳院
すとくいん
078淡路島 通ふ千鳥の 鳴く声に 幾夜寝覚めぬ 須磨の関守源兼昌
みなもとのかねまさ
079秋風に たなびく雲の 絶え間より もれ出づる月の 影のさやけさ左京大夫顕輔
さきょうのだいぶあきすけ
080長からむ 心も知らず 黒髪の 乱れてけさは 物をこそ思へ待賢門院堀河
たいけんもんいんのほりかわ
081ほととぎす 鳴きつる方を 眺むれば ただ有り明けの 月ぞ残れる後徳大寺左大臣
ごとくだいじのさだいじん
082思ひわび さても命は あるものを 憂きにたへぬは 涙なりけり道因法師
どういんほうし
083世の中よ 道こそなけれ 思ひ入る 山の奥にも 鹿ぞ鳴くなる皇太后宮大夫俊成
・・ぐうのだいぶしゅんぜい
084ながらへば またこの頃や 忍ばれむ 憂しと見し世ぞ 今は恋しき藤原清輔朝臣
ふじわらのきよすけのあそん
085夜もすがら 物思ふ頃は 明けやらで 閏のひまさへ つれなかりけり俊恵法師
しゅんえほうし
086嘆けとて 月やは物を 思はする かこち顔なる わが涙かな西行法師
さいぎょうほうし
087村雨の 露もまだ干ぬ 槇の葉に 霧立ちのぼる 秋の夕暮れ寂蓮法師
じゃくれんほうし
088難波江の 芦のかりねの ひとよゆゑ みをつくしてや 恋ひわたるべき皇嘉門院別当
こうかもんいんのべっとう
089玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば 忍ぶることの 弱りもぞする式子内親王
しょくしないしんのう
090見せばやな 雄島の海人の 袖だにも 濡れにぞ濡れし 色は変はらず殷富門院大輔
いんぷもんいんのたいふ
091きりぎりす 鳴くや霜夜の さむしろに 衣かたしき ひとりかも寝む後京極摂政前太政大臣
ごきょうごくせっしょう・・
092わが袖は 潮干に見えぬ 沖の石の 人こそ知らね 乾く間もなし二条院讃岐
にじょういんのさぬき
093世の中は 常にもがもな 渚漕ぐ 海人の小舟の 綱手かなしも鎌倉右大臣
かまくらのうだいじん
094み吉野の 山の秋風 さ夜更けて ふるさと寒く 衣打つなり参議雅経
さんぎまさつね
095おほけなく うき世の民に 覆ふかな 我が立つ杣に 墨染の袖前大僧正慈円
さきのだいそうじょうじえん
096花さそふ 嵐の庭の 雪ならで ふりゆくものは 我が身なりけり入道前太政大臣
にゅうどう・・・
097来ぬ人を 松帆の浦の 夕凪に 焼くや藻塩の 身もこがれつつ権中納言定家
ごんちゅうなごんさだいえ
098風そよぐ ならの小川の 夕暮れは みそぎぞ夏の しるしなりける従二位家隆
じゅにいいえたか
099人も惜し 人も恨めし あぢきなく 世を思ふ故に もの思ふ身は後鳥羽院
ごとばいん
100ももしきや 古き軒端の しのぶにも なほあまりある 昔なりけり順徳院
じゅんとくいん
序歌難波津に 咲くやこの花 冬ごもり 今を春べと 咲くやこの花王仁博士
わにはかせ

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舟歌 嬰ヘ長調 Op. 60 · Yuya Tsuda · Frederic Chopin ショパン 後期ピアノ作品集  私の好きな演奏!

Beethovenの”緩徐楽章”のBeethoven「大公」の演奏から、津田裕也さんのピアノに注目。それで見つけたのがこの「舟歌」だ!

津田さん:仙台市生まれ。2001年第70回日本音楽コンクール第3位。2005年東京藝術大学を首席卒業、ベルリン芸術大学においてパスカル・ドヴァイヨン氏に師事。安宅賞、アカンサス音楽賞。東京藝術大学准教授。

アルゲリッチの豊かで奔放な演奏が素敵!!

Chopin: Barcarolle, Op. 60 Martha Argerich – Debut Recital ℗ 1961 Deutsche Grammophon GmbH, Berlin


Krystian Zimmerman – Barcarolle op60

曲目解説  Program Notes
ショパン:舟歌 嬰ヘ長調 op.60
 「舟歌」(バルカローレ)は、ヴェネツィアの川を下るゴンドラの船頭が歌う歌のことである。寄せては返す8分の6拍子のリズムの上に、 伸びやかで屈託のない旋律が歌われる。
 ショパン唯一のバルカローレは、1845年から翌年にかけて作曲された。ジョルジュ・サンドとの関係、持病の肺結核、すべてにおいて絶望的な状況の中にあって、 ショパンはこの世のものとは思えない美しさの極みに到達した。
 豊潤な和声進行でひらひらと舞い降りる序奏に続き、通常の倍の8分の12拍子をとった息の長い旋律が歌われていく。最初は3度で重ねられている2声のメロディーは、 近づいたり離れたりしながら滑らかなラインを形作る。巧妙な転調で一度盛り上がった後、イ長調の中間部に入る。オスティナート風の部分に続いて、 輝かしい新主題が提示される。クライマックスでは中間部での新主題がさらに輝きを増して歌い上げられる。 その後は徐々に遠ざかりながら、装飾的なパッセージが霞のように立ち上り、最後はオクターヴで決然と曲を閉じる。
 ショパン晩年の高貴な精神を宿す傑作であると共に、ピアノ演奏における高度な表現能力を要求される難曲でもある。(佐藤卓史)

ショパン「舟歌」解説

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Voice Memo を見ていたら、2021年12月22日に家で練習したグノーのセレナーデの音声があるのに気づいた。倒れる前日だ!記念にここに残すしかないと思った。これから歌うために!そうだ、私はまだ舞台で歌う夢を捨ててはいない!

2021/12/15 しもざき先生の推薦!
私の歌唱(練習) 2021/12/22

♪ Serenade (C. F. Gounod)

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  good English translation付

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