大江文学の価値・広さ/大きさ

「新しい人よ眼ざめよ」は、文学少女だった(?)私の第二のエポックを築く大切な小説だ。今でも、その本との衝撃出会いの、その図書館の書棚を思い出す。

(Amazon site) 神秘主義詩人ウィリアム・ブレイクの預言詩(プロフェシー)に導かれ、障害を持って生まれた長男イーヨーとの共生の中で、真の幸福、家族の絆について深く思いを巡らす。無垢という魂の原質が問われ、やがて主人公である作家は、危機の時代の人間の<再生>を希求する。新しい人よ眼ざめよとは、来たるべき時代の若者たちへの作者による、心優しい魂の呼びかけである。大江文学の一到達点を示す、感動を呼ぶ連作短篇集。


小野正嗣「燃え上がる緑の木」

池澤夏樹「同時代ゲーム」

高橋源一郎「万延元年のフットボール」

今読む大江文学)作品の内外、響きあう物語 鴻巣友季子 2019-05-19 11:45.00  朝日新聞.  2019.5.19

 ユレ、ソレ、ブレ、ズレ。大江文学では、そこから詩的呼吸が生まれる。

 ノーベル文学賞受賞スピーチ「あいまいな日本の私」の英文原稿では、「あいまい」にambiguousという語が使われた。柄谷行人は講演前に題名だけを見て、否定的な意味だと思ったが、読んでみたら逆の印象をもち、しかし再読したらやはり否定的なニュアンスがあると感じたと言う。スピーチ自体がまさにambiguousだと(『大江健三郎 柄谷行人 全対話』より)。

  この対話で、大江氏はambiguousとはvague(ぼんやりした)なのではなく、二つのものが互いを打ち消すことなく共存している状態だとし、vacillationという語を提示する。それは『燃えあがる緑の木』第二部のタイトル「揺れ動く(ヴァシレーション)」に使われた語でもあり、W・B・イエイツの詩から借りたものだ。

 ふたりの書き手のこの生きたやりとりは、『💐キルプの軍団』を読むのに格好の註釈(ちゅうしゃく)の役割をはたすだろう。そう、『キルプの軍団』は「読むことについての小説」である。ディケンズと、ドストエフスキーと、旧約聖書の「アブラハムとイサクの話」が、高二男子「オーちゃん」の人生と、人生の「読み方」を変えていく。

 彼は文筆家の父をもち、叔父さんに英文読解と翻訳の手ほどきを受けている。叔父さんは、独学でディケンズ学者の域にまで達した人だ。甥(おい)と叔父はともにディケンズの『骨董屋(こっとうや)』を読みこみ、意見を述べあうことで、ときに自らの生を組みなおし、また逆に、実人生のエッセンスをもとに、小説や旧約聖書を幾度も解釈しなおす。複数の解釈の間を揺れ動く。前述の柄谷氏のように、初めに読んだときと二度目では、まるきり反対に思えたりする。その揺れ動きはambiguousではあるがvagueではない。

 現実と虚構。互いが互いを「翻訳」しあう。実生活に小説の色がうつり、小説は実生活に浸潤される。オーちゃんの中で、キルプの人物像が膨らんでいくと同時に、その翻訳者であるオーちゃんの内面も充実していく。彼は読む営みの中で、多くのユレ、ソレ、ブレ、ズレを経験する。衝突もする。ディケンズ通の叔父には叔父の「読み」があり、外国文学に明るい父には父の「読み」がある。オーちゃんは、大きな先達の「読み」を真っ向からうけとめ、その影響をしたたかに被りつつも、そこからのびやかに逸(そ)れていく。それが本書の爽快なところだ。

 本書を一冊読むことは、何冊もの本を読むことに値する。作品の内と外にある無数の物語が響きあい、解釈が掛けあわされて、全く新しい世界が生まれでてくるのだ。 (『キルプの軍団』は岩波文庫刊)

◇こうのす・ゆきこ 翻訳家 1963年生まれ。近刊に「謎とき『風と共に去りぬ』」。アトウッドなど翻訳多数。

池澤さんの寄稿で終わってしまった連載(残念)But these are really insightful! (2019/9/25)

大江 健三郎さん(今はお元気なのでしょうか?)ひかりさんは?

1935年愛媛県生まれ。東京大学仏文科卒。大学在学中の58年、「飼育」で芥川賞受賞。以降、現在まで常に現代文学をリードし続け、『万延元年のフット ボール』(谷崎潤一郎賞)、『洪水はわが魂に及び』(野間文芸賞)、『「雨の木」を聴く女たち』(読売文学賞)、『新しい人よ眼ざめよ』(大佛次郎賞)な ど数多くの賞を受賞、94年にノーベル文学賞を受賞

LGBT、引きこもり…大江健三郎が60年前から描いた「青年の闇」

ところで大江作品を読むに当たっては、詩の引用の大切さということは避けては通れません。ダンテ、ブレイク、イェーツ、エリオットなどの海外文学を自分の中に取り込んで、その新しい多様な磁場の中で作品を作ってゆく。

尾崎 ダンテの「神曲」と結び合わされている『懐かしい年への手紙』あたりから、その傾向はどんどん強まっていくわけですけれども、その前の、ウィリアム・ブレイクの予言詩と絡み合っている『新しい人よ眼ざめよ』は、全く何の知識がなく、もし高校生、大学生が読んでも、その一冊だけで感動できるいい作品だと思います。詩の引用に関して言えば、私たちはこれまで、大江作品は重厚で難解だと思い過ぎているような気がするんですよ。 トルコのオルハン・パムクも、はっきり大江さんの影響を受けている。中国で言うと莫言とか、閻連科さんたちにインタビューしましたけれども、やはりそう聞きましたし、カズオ・イシグロさんも、実は大江さんに大きな影響を受けたということを語っていますね。そういう意味で、間違いなく世界的な作家だと思います。

東大で学生デビューして、インテリで、実はかなりモテたんじゃないかと思います。一方、四国の山奥から出てきたばかりのときは、日本語が通じなかったと言っています(笑)。東京大学仏文科の教授が「きみ、日本の食事は口に合いますか」と訊いたという。台湾の留学生だと思われていたらしくて。

尾崎 それに対して曖昧にほほえんでいるしかなかったみたいで(笑)。

今、若い大江研究者がどんどんふえていて、40歳前後の研究者がフランスにいたり、トルコにいたり、ニュージーランドにいたり。研究者の世代も読者とともにぐるっと回転した感があります。

そしてまた彼らの書く論文が非常に示唆的なんです。異なった文化的背景を持った研究者が大江作品に多様な読みをもたらし、テクストの豊かさをさらに発見するというきっかけになっています。

山口 短篇のひとつでも拾い読みしてみれば、ああ、ここには自分がいたみたいな体験が間違いなくあると思います。

【2017年11月8日(水) 尾崎 真理子, 山口 和人


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大江文学はやっぱり世界文学の中から本当の価値と広がりが解かる。(2021/3/25)朝日新聞

大江文庫(at東大)

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