大切な友だち、懐かしい友だち

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無題ドキュメント

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「東京」へ転校した友

あまり思い出も残せないまま、遠くへ転校していった私の最初の友人、あべ・きみえちゃん。その人は何となく他の人とちがってきれいで、お父さんがいない子だった。いつもいちばん仲良く遊んでいたのに、ある日お母さんと「宇都宮」へ引っ越していった。その頃は『東京』と言っていた”遠いとおい”ところへ。
私は生れて初めてさみしくて夜、枕を濡らして泣いた。その人は今も元気でいるのだろうか?(‘13.1.26)

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毎日一緒に中学へ通った友

小学校も一緒だが全く思い出がない。でも中学では、通学の友だった。私は成績優秀、そちらは勉強嫌い。なのに気があったのか、今では思い出せないのに、それに家もかなり離れているのに、皆勤賞だった私とホントに毎日毎日一緒に通学してくれた友、高橋とく子さん。中学を卒業して集団就職で東京へ行ったと記憶している。それっきりどうしてるか知らない。いろいろ話もしたけどだまーって歩いてたことも多かった。でも仲良しだった!!(‘13.1.26)

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大事な友だち(1)

会っても親友、会わないでいても親友。30年ぶりにあっても話が昨日からの続きのようにつながる。中学の時3年間最も信頼し大切に思い、学業ではライバルだった友人(成績はいつも彼女が上だった)。中学1年の夏、彼女の家に招かれ、造り酒屋の広大なお屋敷に1泊した。楽しかった!その後、彼女が入る女子高へ私も行きたかったが、私は両親が許容する範囲で高校を選ぶしかなかった。そして「男子ばっかり」のバンカラの高校に進んだ!(‘13.2)

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大事な友だち(2)

中学のとき3年間、少なくとも2,3年生の2年間は先生がそっと席を私の近くにセットしてくれた男の子がいた。有名な菓子店の子どもだったが、母親が後添え(古い表現!)だったのか婚外子だったのか、お坊ちゃんなのに屈折した人だった。彼はいつも子分の男の子を2,3人連れ歩いていた。これってどうなんだろう?でも私とは仲が良かった。ブスの私を”美少女”と言ってからかった。(‘13.3.1)

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いちばん長く一緒に過ごした友だち

同級生ではないのに小学校から帰ると、毎日ずっと一緒にまりつきやお手玉などをして過ごした友だち”かんちゃ(かずちゃん)”。何を話したのか全く記憶にないけど、年上の私にちょっと気を使ってるようにもみえた。10数年後、私が帰省している時、母が「和ちゃんが東京から整形した顔で帰ってきた」と知らせてくれた。私は和ちゃんのことを思って、会わなかった。(‘13.8.15)

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同級生の修ちゃん

美しい顔立ち、すらりとした豹のような身体、驚くべき運動能力、視力、体力。すぐ前の家に住む同級生の修ちゃんは、家が貧しく、家中で夜中まで働いていたので、のんびり遊んだ記憶がない。その代わり、修ちゃんが私との学校からの帰り道で語る本当のような「嘘」に何度も騙されたことをよく憶えている。今ならそれが彼女の精いっぱいの自己防衛だったのだとわかる。修ちゃんは中学を出て故郷を離れた。(‘13.8.15)