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Constitutionalism (Page 15)

(あすを探る 憲法・社会) 生前退位、明確な基準必要 木村草太

 7月13日、NHKが天皇陛下の生前退位の意向を報じた。8月8日には、ビデオメッセージで陛下の「お言葉」が発表された。同日、安倍晋三首相は、お言葉を「重く受け止め」、「どのようなことができるのか、しっかりと考えていかなければいけない」と述べた。各種世論調査でも、生前退位を認めるべきだとの意見が圧倒的多数を占めている。今後、制度改正の動きが本格化するだろう。そこで、生前退位について考えてみる。

まず、法的な論点を整理しておきたい。憲法2条は、「皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する」と規定する。つまり、憲法は生前退位を禁じているわけではなく、皇室典範という法律を改正すれば足りる。生前退位のために改憲が必要との主張は誤解だ。

では、なぜ現在の皇室典範は、生前退位を認めていないのか。明治時代に旧皇室典範が制定されるまで、天皇の生前退位は珍しくなかった。明治政府の中にも、天皇の地位に就いた人がその任に適当でなかった場合に備え、生前退位を認めるべきだとの意見があった。しかし、院政や退位強制などの混乱を生ずる危険を重視し、生前退位を認めない形で旧皇室典範が制定された。

戦後、新憲法の制定により、天皇の地位は「統治権の総攬(そうらん)者」から「国家の象徴」へと変わり、新皇室典範が制定された。議会では、生前退位の可否も検討されたが、明治政府と同様に、退位した天皇が不当に政治的影響力を行使したり、政府が退位を強制したりする危険が重視され、旧皇室典範の内容が引き継がれた。

天皇の地位には特殊な政治的影響力がある。生前退位の政治利用を防ぐという極めて重要な目的のためには、生前退位を認めない制度にも合理性があろう。しかし、天皇といえども、一人の人間である。生前退位を認めるべきか否かは、天皇の人権の観点からも考えるべきだ。

憲法は、国民に対し、表現の自由(21条)や職業選択の自由(22条)など、様々な人権を保障している。しかし、天皇には、職業選択の自由もなければ、自由な表現活動や宗教活動もできない。憲法学説には、天皇は憲法上の権利を持たない特殊な身分だと説明する見解と、天皇も憲法上の権利を保有するが、象徴の地位にあるため権利行使が制限されると説明する見解がある。いずれにせよ、天皇が行使できる権利はほぼないとの結論に違いはない。

人権保障の理念からすれば、天皇の地位に伴う人権制約の負担は、できる限り少なくすべきだろう。憲法学者や法思想史学者の中には、以前から、生前退位を認め、天皇の地位に就く人の人権回復への道を開く必要があるとの主張があった。もっとも、生前退位の制度が、政治利用されることは絶対に防がなくてはならない。そのためには、生前退位のための明確な基準や厳格な手続きを設ける工夫が必要になるだろう。

とすれば、一代限りの特別法によって、現在の天皇陛下だけ生前退位を認めるのは好ましくない。明確な基準なしに退位を認めた前例を作れば、今後、特例法によって恣意(しい)的に退位を強制したり、皇位継承順位を変えてしまったりする危険を生む。生前退位を認めるなら、明確な基準と厳格な手続きを確立し、皇室典範にきちんと書き込むべきだろう。

今回の天皇陛下のお言葉を聞いて、国民統合の象徴として、「人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うこと」を大切にしてきたという高い倫理観に、尊敬の念を覚えた。しかし同時に、不安も感じた。国民の側から、後代の天皇にそうした高い倫理観を期待するようなことになれば、天皇にとってあまりにも過大な負担となる。

象徴天皇を維持したいのであれば、政治家は天皇の政治利用をしない、国民も過度な期待を押し付けない、そうした慎みが不可欠だろう。

(きむら・そうた 80年生まれ。首都大学東京教授・憲法。編著『いま、〈日本〉を考えるということ』など)

 

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「クーデター」で立憲主義破壊 憲法学者、石川健治・東大教授に聞く

毎日新聞2016年5月2日 東京夕刊

 3日は憲法記念日。多くの国民が反対した安全保障関連法が成立してから初の記念日だけに、どこか重苦しさが漂う。会いたい人がいた。「現代憲法学の鬼才」と評される石川健治・東京大教授。市民団体「立憲デモクラシーの会」の呼びかけ人の一人である。節目を前に何を思うのか。【江畑佳明】
 ドアを開けた途端、懐かしい本のにおいを感じた。東大駒場キャンパス(東京都目黒区)にある「尾高朝雄(ともお)文庫」。尾高氏は元東大教授の法哲学者で、ここは石川さんの研究拠点の一つ。戦前に出版されたドイツ語やフランス語の哲学書や法学書などが、本棚に並ぶ。古典文献から得た幅広い知識を憲法論に生かす研究姿勢に加え、自著への書評で「鋭敏な時代感覚も持ち合わせている」などと高く評価される。
 「再び首相の座に就いた安倍晋三氏の政治手法には、日銀、NHKなどを含め、権力から独立してきた組織にお友達を送り込んで、その自律性を奪うなど、『違憲』ではないにしても『非立憲』的な姿勢が、当初から目立ちました。そこに憲法96条改正論議がでてきたわけですね」。石川さんは政権に対し、厳しい視線を向けているのだ。
 実は長年、忠実にある教えを守り、メディアの取材にはほとんど応じなかった。その教えとは「憲法学者は助平根性を出してはならない」。憲法学は政治と密接な関わりを持つ研究分野だからこそ、メディアなどで政治的な発言をするようになると、学問の自律性が損なわれかねない−−という意味だ。師と仰ぐ東大名誉教授で「立憲デモクラシーの会」の共同代表を務める樋口陽一氏(81)から受け継いだ「一門」の戒め。そもそもは、樋口氏の師で東北大名誉教授の清宮四郎氏(1898〜1989年)が説いた。戦後の憲法学の理論的支柱だった清宮氏は、こうも言い残したと、樋口氏から聞かされた。「『いざ』という時が来れば、立ち上がらねばならん」
 約3年前、石川さんは立ち上がった。2012年12月の政権発足直後、安倍首相が96条改憲を言い出したからだ。同条が定める改憲発議のルールについて、現在の「衆参両院の総議員の3分の2以上」から「過半数」の賛成で可能にしたいという。「憲法秩序を支える改正ルールに手をつけるのは憲法そのものを破壊することであり、革命によってしかなし得ない行為だ。支配者がより自由な権力を得るために、国民をだまして『革命』をそそのかす構図です」
 正直、今が師の教えである「いざ」の時かは分からないが、「ここで立たねば、立憲主義を守ってきた諸先輩に申し訳が立たない」という思いが全身を駆け巡った。
 立憲主義とは「憲法に基づく政治」「憲法による権力の制限」を意味する。なぜそれが大切なのか。石川さんは語る。「支配者は自らを縛る立憲主義のルールを外したがるものです。支配者を縛ることは、権力の恣意(しい)的な法解釈や法律の運用を防ぐという意味で、被支配者、つまり私たち国民すべてに利益がある。支配者による人権侵害を防ぎ、法律が国民に公平に適用される社会のために、立憲主義は不可欠なのです」
 「立ち上がる」決意を固め、新聞社からの依頼に応じて96条改正を批判する論文を寄稿すると、読者から大反響があった。講演やシンポジウムの演壇にも立ったり、インターネットテレビ番組に出演したりする機会が多くなった。
 96条改正は与党内部を含めた多方面の批判を浴びたため、政権は口をつぐんだ。ところがまたも立憲主義を揺るがす事態が起きる。それは14年7月、9条の解釈を変更し、集団的自衛権の行使を一部容認する閣議決定だ。
 「法学的には、クーデターです」。眉間(みけん)にギュッとしわが寄った。
 「従来の解釈は、国が当然に持つとされる個別的自衛権を根拠にして、自衛隊は9条で定めた『戦力』ではない『自衛力』だ、という新手の論理構成を持ち込むことで一応の筋を通していました」と一定の評価をして、こう続けた。

安保関連法反対を国会議事堂に向かって訴える人たち。反対の声はまだやんでいない=東京都千代田区で2016年4月29日、丸山博撮影

 「他方で、日独伊三国同盟のように共通の敵を想定して他国と正式に同盟を結ぶことは、9条によって否定された外交・防衛政策ですが、日米安保条約が次第に『日米同盟』としての実質的な役割を持つようになりました。その中で『同盟』の別名と言ってよい『集団的自衛権』を日本は行使できない、という立場は、現行の憲法の枠内で論理的に許容される“最後の一線”です。それを破ってしまったら、これまでに築かれた法秩序の同一性・連続性が破壊されてしまう。そういう意味で、正式な憲法改正手続きをとらずに9条に関する解釈の変更という形で、憲法の論理的限界を突き破った閣議決定は、法学的にみれば上からの革命であり、まさしくクーデターなのです」
 昨年の国会に提出された安保関連法案に反対する国民の声は大きく、石川さんも8月、国会前の抗議集会に参加し、マイクを握った。
 石川さんはもう一つ大きな問題があると指摘する。解釈改憲と安保関連法の成立は、安倍政権を支持する人々の勝利であり、9条を守りたい人々の敗北だ−と見る構図だ。「いや、そうではありません。私たち全員が負けたのです」と切り出した。「立憲主義は主張の左右を問わず、どんな立場を取る人にも共通した議論の前提です。安倍政権はこの共通基盤を破壊しました。だから私たち国民全員が敗北したといえるのです」
 国民が敗者−−。戦後、新憲法のもとで築き上げた共有財産が崩れたというのだ。大切な土台は突然破壊されたわけではない。安倍政権は13年8月、集団的自衛権行使に賛成する官僚を内閣法制局長官に登用した。「法の番人」の独立性を保つため長官人事に政治力を発揮しない、という歴代内閣の慣例を破った。さらに昨秋、野党が要請した臨時国会を召集しなかった。憲法は衆参どちらかの総議員の4分の1以上の要求があれば召集せねばならない、と規定しているにもかかわらず。「基盤」は破壊され続けている。

安保法は「国民の敗北」 最後の一線指摘

 熊本地震後には、緊急事態条項を憲法に加えるべきだという声が自民党から出ている。石川さんはまたも立憲主義が脅かされることを危惧する。「大災害のような緊急事態が起こることはあり得るけれども、それには災害対策関連法で対応できます。緊急事態条項の本質は一時的にせよ、三権分立というコントロールを外して首相に全権を委ねること。これも立憲主義の破壊につながりかねない。『緊急事態に対応するために必要』という表向きの言葉をうのみにせず、隠された動機を見ねばなりません」
 石川さんは「憲法を守れ」とだけ叫ぶことはしない。「日本国憲法は権力の制限や人権尊重を最重要視する近代立憲主義の上に成り立っています。『政権がそれ以上踏み込めば立憲主義が破壊される』という、越えてはいけない最後の一線はここだと指摘し続けることが、僕の役割だと思っているのです」
 憲法学者の毅然(きぜん)とした覚悟と誇りを見た。

いしかわ・けんじ
 1962年生まれ。東京大法学部卒。旧東京都立大教授を経て、2003年から東大教授。著書に「自由と特権の距離」、編著に「学問/政治/憲法」など。

 

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(論壇時評)天皇と「公務」 「お言葉」を受け、考える 

歴史社会学者・小熊英二

2016年8月25日05時00分

 8月8日、天皇の「お言葉」が放送された〈1〉。私は公務の重さの訴えと「自粛」の混乱を避けたいという配慮を聞き、退位の希望を尊重すべきと思った。

 

 しかし私は、違和感も持った。なぜそうした希望や配慮が、ビデオメッセージで放送されなければならないのか。

 

 すでに7月、宮内庁関係者からの情報として、生前退位の意向が報道された。明治天皇の玄孫(やしゃご)である竹田恒泰は、「本来このような形で公にしてはいけないことであった」と述べている〈2〉。

 

 竹田によれば、「陛下の側に侍(はべ)る者が、陛下のお考えを外部に漏洩(ろうえい)することは、国家公務員法に抵触するおそれがあり、天皇の政治利用の誹(そし)りを免れない」。「政治課題である皇室制度を議論する上で、陛下が政治的に意見を発せられることは、憲法を逸脱する可能性があり」、「そのことは、憲法遵守を明言なさった陛下が最も大切になさっていらっしゃることと拝察される」。

 

となれば、「内々に陛下の御意向を伺い、政府が必要と判断すれば譲位の一件を政府として準備を進め、その様子を見ている国民は『きっと総理が内々に陛下のお考えを聞いて進めているに違いない』と勝手に思い、暗黙の了解下で粛々と手続(てつづき)が進められるのが本来の進め方である」。私も法制度的にはこれが「本来」だと思う。

 

 それでは、天皇が直接に国民に訴えた今回の行為は法的にどう位置づけられるのか。憲法学者の横田耕一は、天皇の行為には「国事行為」「私的行為」「公的行為」の三つがあるという〈3〉。

    *

 このうち国事行為は、国政に権能を有しない天皇が、「内閣の助言と承認」で行う儀礼的行為である。例えば、国会の召集や栄典の授与などがそれにあたる。

 

 私的行為は、一個人としての行為である。一人の人間として、好きな本を読んだり、知人と会話したりするのに、内閣の助言と承認は必要ない。宮中祭祀(さいし)も、法的にはここに入る。

 

 では被災地を訪れたり、外国を訪問したり、外国元首と親書を交わしたりするのはどうか。これらは一人の人間としてではなく、天皇として行うのだから、私的行為ではない。だが憲法が規定した国事行為でもない。政府見解では、これらは「象徴としての地位に基づいて、公的な立場で行われるもの」であり、「公的行為」ないし「公務」とされている。

 

 「お言葉」で負担が述べられている「公務」の多くは、この「公的行為」である。東日本大震災時のビデオメッセージも「公的行為」と考えられよう。

 政府見解では、これらは法的には限定がなく、内閣の助言と承認も必要ない。ただしそれは、政治的意味や政治的影響力を持つものではあってはならず、内閣が責任を持つことになっている。

 

 なぜ、そう規定されているのか。天皇に責任が問えないからである。

 

 公務を執行する者は、例えば大臣や議員や官吏といった、公務員の資格を与えられる。執行した公務で著しく公益を害したら、免職されるか、選挙で選ばれなくなるという形で責任が問われる。

 

 しかし天皇の地位は終身であり、世襲である。通常の公務員のような形では、責任を問えない。憲法では、天皇の権能は「内閣の助言と承認」、つまり内閣の責任の下で行う「国事に関する行為のみ」と規定されている。既成事実の形で行われている「公的行為」でも、内閣が責任を負うことになっているのだ。

 

 仮定の話だが、天皇が外国元首と交わした親書の文面がもとで、国際関係が損なわれたとしよう。そうなれば内閣が責任を負うしかないが、政治は混乱し、天皇の責任と地位に関する議論も起ころう。そんな事態を未然に防ぐには、天皇の公務上の発言や行為は、政治的影響力を持つものであるべきではないはずだ。

 

 原武史は、被災地訪問や慰霊といった「公務」が増えたのは、平成になってからだと指摘している〈4〉〈5〉。法的に限定がないので、天皇のイニシアチブによって拡張しやすい領域といえる。

 

 一人の人間としては、天皇にも言論の自由があろう。だが、重大な影響力があるのに責任が問えない天皇の地位を考えれば、法改正に関係する意見表明にまで「公務」が拡大されるべきでない。退位の希望を尊重することと、それを「公務」の一環で発言する是非は別問題だ。今回の件をしっかり議論しないと、「公務」で天皇が政治案件の意見を表明することが慣例化する可能性がある。

    *

 国民の中には、政治への苛立(いらだ)ちから、天皇に政治的発言を期待する声もある。横田によれば、現天皇が憲法順守を表明しているため、「歴史認識や原発再稼働・改憲問題で天皇に期待する者まで現れている」。だがそうした人は、天皇が天皇として政治的発言をする前例を作れば、様々な方向での政治利用と混乱も招来しかねないことを知るべきだ。

 

 今回のビデオが国の予算で作成され、放送を想定して配布されたなら、それは「私的行為」でなく「公務」と考えられる。それに対しては内閣が責任を負っているはずだが、その責任のあり方がみえない。また、事ここに至るまで、内閣は何をしていたのかという意見もあろう。

 

西村裕一が言うように、「宮内庁や内閣の責任追及を可能にするためにも、メディアには一連の経緯を検証することが求められ」る〈6〉。それは日本が国家としての安定と秩序を維持するため、欠かせないことであるはずだ。

〈1〉「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」(宮内庁ホームページ、http://www.kunaicho.go.jp/page/okotoba/detail/12#41別ウインドウで開きます

〈2〉竹田恒泰「なぜ明治以降に『譲位』がなかったのか」(正論9月号)

〈3〉横田耕一「憲法からみた天皇の『公務』そして『生前退位』」(世界9月号)

〈4〉原武史「象徴天皇制の“次の代”」(同)

〈5〉原武史・河西秀哉(対談)「『生前退位』は簡単ではない」(中央公論9月号)

〈6〉西村裕一「耕論/象徴天皇のあり方」(本紙8月9日付)

おぐま・えいじ 1962年生まれ。慶応大学教授。『単一民族神話の起源』でサントリー学芸賞、『〈民主〉と〈愛国〉』で大佛次郎論壇賞・毎日出版文化賞など、著書での受賞多数。監督を務めた映画「首相官邸の前で」で日本映画復興奨励賞。

 

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日本会議と戦う!?「度胸の天皇陛下」がついに決意された

 畏れ多いことながら“ある事件”以来、「今上天皇は度胸で誰にも負けない!」と思うようになった。

「ある事件」とは……2004年の園遊会の席上、東京都教育委員を務める棋士の米長邦雄さんが「日本中の学校で国旗を掲げ、国歌を斉唱させることが私の仕事でございます」と話した時のことだ。

 これを聞いた天皇は(いつもと同じように和やかではあったが)、「やはり、強制になるということではないことが望ましい」と述べられた。米長さんは「もちろん、そう、本当に素晴らしいお言葉をいただき、ありがとうございました」と答えるしかなかった。

 天皇が国旗・国歌問題に言及するとは意外だった。宮内庁次長は園遊会後、発言の趣旨を確認したとした上で「陛下の趣旨は自発的に掲げる、あるいは歌うということが好ましいと言われたのだと思います」と説明した。しかし、「日の丸・君が代」を巡っては長い間、教育現場で対立が続いていた。とすれば、この天皇発言は「政治」に踏み込んだ、と見なされても仕方ない。それを十分認識されていながら天皇はサラリと「国旗観・国歌観」を披露された。

 畏れ多いことだが「天皇は度胸がある!」と舌を巻いた。

    ×  ×  ×

 ビデオメッセージ「生前退位のお気持ち」を聞いた時、多くの人が「第2の人間宣言」と思ったのではないか。昭和天皇は1946年1月1日の詔書で「天皇の神格」を否定された。天皇を現人神(あらひとがみ)とし、それを根拠に日本民族が他民族より優越すると説く観念を否定する!と宣言した。「人間天皇」である。今回のメッセージは「個人として」「常に国民と共にある自覚」「残される家族」―との文言が並ぶ。私的な側面、換言すれば「個人」の思いを前面に出された。だから「第2の人間宣言」と見る向きも多い。

 しかし、それだけではない。天皇は(政治家も、学者も、国民も避けて通って来た)「象徴天皇とは」に言及された。これはびっくりするほど「度胸ある論陣」だった。

    ×  ×  ×

「その地域を愛し、その共同体を地道に支える市井(しせい)の人々のあることを私に認識させ、私がこの認識をもって、天皇として大切な、国民を思い、国民のために祈るという務めを、人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは、幸せなことでした」

「日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅も、私は天皇の象徴的行為として、大切なものと感じて来ました」

「象徴天皇」とは「国民に寄り添うこと」である。全身全霊で「日本国憲法」に従い、国民を守ってきたという自負。天皇は「護憲の立場」を度胸よく明確にされた。

    ×  ×  ×

 ところが、世の中は「天皇の護憲意思」と逆の方向に動いている。

 2012年4月に発表された「自民党憲法草案」は第1条に「天皇は、日本国の元首」と明記。現行憲法第99条には「天皇又は摂政」は憲法尊重擁護の義務を負う旨の言葉はあるが、自民党憲法草案第102条は「全て国民は、この憲法を尊重しなければならない」と書いてある。「天皇又は摂政」の文字はない。憲法が国民を守るのではなく、国民が憲法に従う。天皇は違和感を持たれたのでは……。先の大戦への反省の上、現憲法が大事にする「国民主権・平和主義・基本的人権の尊重」の柱がいつの間にか消えている。

    ×  ×  ×

 与党が参院選で圧勝した3日後、憲法改正論議が始まろうとした矢先の7月13日、「天皇に生前退位の意向がある」とNHKニュースが報じた。このタイミングに「天皇の度胸」を感じる。

 天皇の「本当の狙い」を推測することをお許し願いたい。天皇は国民に対して「天皇は元首ではない。国民に寄り添う象徴である!」と明言された。

 安倍首相は困惑した。「国民に向けご発言されたことを重く受け止める」と1分にも満たない原稿を棒読みすると、記者団の前からそそくさと去って行ってしまった。この素っ気ない対応の裏には、このメッセージが安倍内閣に対するものと、政権を支える「日本会議」への「お諫(いさ)め」であることを知っているからではないか。

 大日本帝国憲法を復活させ天皇を元首にしたい日本会議からすれば、生前退位は絶対に認められないはずだ。“万世一系の天皇”という神話的な「地位」から、加齢などを理由に退職できる「職位」になってしまうからだ。

 天皇と日本会議の緊張関係。我々は時が経(た)つと、天皇の「お気持ち」が日本会議への「お諫め」であったことに気づくはずだ。


まき・たろう

 1944年生まれ。毎日新聞に入社後、社会部、政治部を経て『サンデー毎日』編集長に。宇野宗佑首相の女性醜聞やオウム真理教問題を取り上げる。現在、毎日新聞客員編集委員。ブログに「二代目・日本魁新聞社」がある

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2013年10月20日
 10月20日は皇后の誕生日。新聞各社とそのウェブサイトには皇后のお誕生日に関する記事と「お言葉(文書)」が要約で掲載されたが、東京新聞1面は皇后さまがコメントの中で「五日市憲法」について述べられたことを大きく取り上げていた。
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20年ほど前の五日市憲法草創の地を訪れたことについて、2013年2月のブログで書いたが、
(記事はこちら)皇后さまがご自身の信念で堂々と憲法に関する考えを述べられたのにはびっくりして感動した。
10/21、朝日新聞「天声人語」も、皇后さまの発言に触れていた。
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皇室は日本国憲法によってその存在と立場が決められているので、今の平和の憲法を良いものとして守るのは当然なのだが、この頃の政権の危ない憲法解釈ばかり日ごろの新聞で見ていると、新鮮に思える。
この発言は、政治的発言をしてはならぬ皇室の立場を承知で、それを乗り越え敢えて発言したとしか思えない。美智子さんの知性と勇気と、日本の状況に対する「ただならぬ」思いを感じた。
政治的発言と取られないよう、五日市憲法草案を「文化遺産」として評価しようとしているところも賢く、首相の我田引水の、山口県の工場を含む「産業遺産登録」の運動を皮肉っているようにも思える。

五日市憲法に関する記述は、下のとおり。

 五月の憲法記念日をはさみ、今年は憲法をめぐり、例年に増して盛んな論議が取り交わされていたように感じます。
主に新聞紙上でこうした論議に触れながら、かつて、あきる野市の五日市を訪れた時、郷土館で見せて頂いた「五日市憲法草案」のことをしきりに思い出しておりました。
明治憲法の公布(明治二十二年)に先立ち、地域の小学校の教員、地主や農民が、寄り合い、討議を重ねて書き上げた民間の憲法草案で、基本的人権の尊重や教育の自由の保障及び教育を受ける義務、法の下の平等、更に言論の自由、信教の自由など、二百四条が書かれており、地方自治権等についても記されています。
当時これに類する民間の憲法草案が、日本各地の少なくとも四十数か所で作られていたと聞きましたが、近代日本の黎明期に生きた人々の、政治参加への強い意欲や、自国の未来にかけた熱い願いに触れ、深い感銘を覚えたことでした。
長い鎖国を経た十九世紀末の日本で、市井の人々の間に既に育っていた民権意識を記録するものとして、世界でも珍しい文化遺産ではないかと思います。

 

この思いを共有する人は多いはず。五日市憲法の頃の若い人たちの心意気と勇気と挫折を思い、今の憲法を大切にしなくてはと思う。
皇后さまの発言全文「皇后さま傘寿」はこちら。英語版(皇后さまの発言と朝日新聞「天声人語」)Empress Michiko by Gen Takahashiはこちらから。

<追記>
10月24日にも、あきる野市が「五日市憲法」について特別展を開催することを東京新聞が取り上げていた。良い連鎖反応だと思う。きっと名もない人たちの思いが社会の空気を動かしているのだと思う

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