「五日市憲法」について語った皇后の勇気

2013年10月20日
 10月20日は皇后の誕生日。新聞各社とそのウェブサイトには皇后のお誕生日に関する記事と「お言葉(文書)」が要約で掲載されたが、東京新聞1面は皇后さまがコメントの中で「五日市憲法」について述べられたことを大きく取り上げていた。
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20年ほど前の五日市憲法草創の地を訪れたことについて、2013年2月のブログで書いたが、
(記事はこちら)皇后さまがご自身の信念で堂々と憲法に関する考えを述べられたのにはびっくりして感動した。
10/21、朝日新聞「天声人語」も、皇后さまの発言に触れていた。
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皇室は日本国憲法によってその存在と立場が決められているので、今の平和の憲法を良いものとして守るのは当然なのだが、この頃の政権の危ない憲法解釈ばかり日ごろの新聞で見ていると、新鮮に思える。
この発言は、政治的発言をしてはならぬ皇室の立場を承知で、それを乗り越え敢えて発言したとしか思えない。美智子さんの知性と勇気と、日本の状況に対する「ただならぬ」思いを感じた。
政治的発言と取られないよう、五日市憲法草案を「文化遺産」として評価しようとしているところも賢く、首相の我田引水の、山口県の工場を含む「産業遺産登録」の運動を皮肉っているようにも思える。

五日市憲法に関する記述は、下のとおり。

 五月の憲法記念日をはさみ、今年は憲法をめぐり、例年に増して盛んな論議が取り交わされていたように感じます。
主に新聞紙上でこうした論議に触れながら、かつて、あきる野市の五日市を訪れた時、郷土館で見せて頂いた「五日市憲法草案」のことをしきりに思い出しておりました。
明治憲法の公布(明治二十二年)に先立ち、地域の小学校の教員、地主や農民が、寄り合い、討議を重ねて書き上げた民間の憲法草案で、基本的人権の尊重や教育の自由の保障及び教育を受ける義務、法の下の平等、更に言論の自由、信教の自由など、二百四条が書かれており、地方自治権等についても記されています。
当時これに類する民間の憲法草案が、日本各地の少なくとも四十数か所で作られていたと聞きましたが、近代日本の黎明期に生きた人々の、政治参加への強い意欲や、自国の未来にかけた熱い願いに触れ、深い感銘を覚えたことでした。
長い鎖国を経た十九世紀末の日本で、市井の人々の間に既に育っていた民権意識を記録するものとして、世界でも珍しい文化遺産ではないかと思います。

 

この思いを共有する人は多いはず。五日市憲法の頃の若い人たちの心意気と勇気と挫折を思い、今の憲法を大切にしなくてはと思う。
皇后さまの発言全文「皇后さま傘寿」はこちら。英語版(皇后さまの発言と朝日新聞「天声人語」)Empress Michiko by Gen Takahashiはこちらから。

<追記>
10月24日にも、あきる野市が「五日市憲法」について特別展を開催することを東京新聞が取り上げていた。良い連鎖反応だと思う。きっと名もない人たちの思いが社会の空気を動かしているのだと思う

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