◆「生前退位、明確な基準必要」

(あすを探る 憲法・社会) 生前退位、明確な基準必要 木村草太

 7月13日、NHKが天皇陛下の生前退位の意向を報じた。8月8日には、ビデオメッセージで陛下の「お言葉」が発表された。同日、安倍晋三首相は、お言葉を「重く受け止め」、「どのようなことができるのか、しっかりと考えていかなければいけない」と述べた。各種世論調査でも、生前退位を認めるべきだとの意見が圧倒的多数を占めている。今後、制度改正の動きが本格化するだろう。そこで、生前退位について考えてみる。

まず、法的な論点を整理しておきたい。憲法2条は、「皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する」と規定する。つまり、憲法は生前退位を禁じているわけではなく、皇室典範という法律を改正すれば足りる。生前退位のために改憲が必要との主張は誤解だ。

では、なぜ現在の皇室典範は、生前退位を認めていないのか。明治時代に旧皇室典範が制定されるまで、天皇の生前退位は珍しくなかった。明治政府の中にも、天皇の地位に就いた人がその任に適当でなかった場合に備え、生前退位を認めるべきだとの意見があった。しかし、院政や退位強制などの混乱を生ずる危険を重視し、生前退位を認めない形で旧皇室典範が制定された。

戦後、新憲法の制定により、天皇の地位は「統治権の総攬(そうらん)者」から「国家の象徴」へと変わり、新皇室典範が制定された。議会では、生前退位の可否も検討されたが、明治政府と同様に、退位した天皇が不当に政治的影響力を行使したり、政府が退位を強制したりする危険が重視され、旧皇室典範の内容が引き継がれた。

天皇の地位には特殊な政治的影響力がある。生前退位の政治利用を防ぐという極めて重要な目的のためには、生前退位を認めない制度にも合理性があろう。しかし、天皇といえども、一人の人間である。生前退位を認めるべきか否かは、天皇の人権の観点からも考えるべきだ。

憲法は、国民に対し、表現の自由(21条)や職業選択の自由(22条)など、様々な人権を保障している。しかし、天皇には、職業選択の自由もなければ、自由な表現活動や宗教活動もできない。憲法学説には、天皇は憲法上の権利を持たない特殊な身分だと説明する見解と、天皇も憲法上の権利を保有するが、象徴の地位にあるため権利行使が制限されると説明する見解がある。いずれにせよ、天皇が行使できる権利はほぼないとの結論に違いはない。

人権保障の理念からすれば、天皇の地位に伴う人権制約の負担は、できる限り少なくすべきだろう。憲法学者や法思想史学者の中には、以前から、生前退位を認め、天皇の地位に就く人の人権回復への道を開く必要があるとの主張があった。もっとも、生前退位の制度が、政治利用されることは絶対に防がなくてはならない。そのためには、生前退位のための明確な基準や厳格な手続きを設ける工夫が必要になるだろう。

とすれば、一代限りの特別法によって、現在の天皇陛下だけ生前退位を認めるのは好ましくない。明確な基準なしに退位を認めた前例を作れば、今後、特例法によって恣意(しい)的に退位を強制したり、皇位継承順位を変えてしまったりする危険を生む。生前退位を認めるなら、明確な基準と厳格な手続きを確立し、皇室典範にきちんと書き込むべきだろう。

今回の天皇陛下のお言葉を聞いて、国民統合の象徴として、「人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うこと」を大切にしてきたという高い倫理観に、尊敬の念を覚えた。しかし同時に、不安も感じた。国民の側から、後代の天皇にそうした高い倫理観を期待するようなことになれば、天皇にとってあまりにも過大な負担となる。

象徴天皇を維持したいのであれば、政治家は天皇の政治利用をしない、国民も過度な期待を押し付けない、そうした慎みが不可欠だろう。

(きむら・そうた 80年生まれ。首都大学東京教授・憲法。編著『いま、〈日本〉を考えるということ』など)

 

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