「英国の旧友」もうれしいけど、近くの心許せる友の存在も大きい!大切だ。特に高齢になっては。4/1友人2人が訪ねてきてくれた。みんなで頑張ってここにずっといることにしたなんと素晴らしい合意!)。愉快なひとときだった。

4/1   4/22   5/20

久しぶりに友人2人と3人で歌を歌ってみた。2人がしっかり立ち上がったのにはびっくりした。さすが訓練の賜物だ。また、来てもらいたいけど、人に頼るだけではだめで、私も行けるようになりたいと思った。

4/10‐19 次の予定(4/22)が決まって人数が2人増えることになった。少し負担に感じるけど来てもらえるのはうれしい。来てくれる人が「楽しみにして」くれているならなおさら。何でもしようと思う。円卓でお茶して、外を眺めて。歌う曲も決めたし!

ずっと前、仕事を全部辞めたら鎌倉の家でサロンをオープンしようと思っていた。Salon de Kamakura_Dai こちら https://kamakuradai.wordpress.com/ これを八景で実現しようと思う。

2018に作って眠っていたサイト(もうない)

new site image

5/20 人数は増やさずこじんまりと楽しい話をして3回目となった。歌は、はにゅうの宿、Le Temps Des Cerises、Cho Yong Pil – The Song of Wind。ピアノ演奏ではバッハのメヌエットが宿題になった。話は、ひざ痛、(奈良弁)万葉集、その他よもやま話。おいしいケーキなどいただきお茶も作ってもらった。こころから寛げて楽しい時間だった。友人たちに感謝。

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2年ぶりにやっと見た美しい桜、本物のさくら。それも2013-2021まで9年間飽かず眺めた桜だった!どの桜も思い出深く心にしみた。青い空がこのうれしい日を飾ってくれた。

こんな美しいキャンパスで仕事をしていたんだ!と改めて思った。

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今年はどんな桜が見れるかなぁ。楽しみと不安と・・・。

3/17 Daycareのバスから朝、片吹町の「神代曙」の薄桃色・3分咲きを見た。桜を見ただけで感動、美しかった!

[「桜咲く新宿御苑を散策してきた」
遠くに鷹取山への桜並木!

3/30 ソメイヨシノが散り始めたころ、他よりも遅めに咲くYCUの満開のサクラが私を待っていてくれた!

YCU 正門前

YCU さくら’23

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保土ヶ谷区にある市の施設の中にあるそんなに大きくない図書館で「新しい人よ眼ざめよ」を見つけ,書架から取り出した時の新鮮な感激は今もはっきり覚えている。

『新しい人よ眼ざめよ』は、ブレイクの後期預言詩のひとつ『ミルトン』の序の一節「Rouse up, O, Young men of the New Age !」からインスピレーションを得ている。また各短編のタイトルもブレイクの詩行や絵画のタイトルに由来する。

Bring me my Bow of burning gold;
Bring me my Arrows of desire:
Bring me my Spear: O clouds unfold!
Bring me my Chariot of fire!

★障害を持つ長男イーヨーとの「共生」を、イギリスの神秘主義詩人ブレイクの詩を媒介にして描いた連作短編集。作品の背後に死の定義を沈め、家族とのなにげない日常を瑞々しい筆致で表出しながら、過去と未来を展望して危機の時代の人間の<再生>を希求する、誠実で柔らかな魂の小説。大佛次郎賞受賞作。講談社の紹介文

(Jerusalem)

And did those feet in ancient time,
Walk upon Englands mountains green:
And was the holy Lamb of God,
On Englands pleasant pastures seen!
And did the Countenance Divine,
Shine forth upon our clouded hills?
And was Jerusalem builded here,
Among these dark Satanic Mills?
Bring me my Bow of burning gold:
Bring me my Arrows of desire:
Bring me my Spear: O clouds unfold!
Bring me my Chariot of fi re!

 知的な障害とはまた別に、まじめな性格の光は、歩行訓練をする間、しゃべりません。私も、読んでいる本のことを思い出したりしています。足を高くあげない光は、つまずきやすいし、てんかんの小さな発作を起こすことがあります。後の場合、抱きとめておいて、地面に座らせることができれば五分ほどじっとしています。その間、周りから声をかけられることがあっても、光の頭を支えている私は応答できません。それが相手をムッとさせることは幾度となくありました。さて、今度の歩行訓練で、私がつい頭のなかの散漫な思いにとりつかれている時、転っていた石に足をとられて、光がバタンと倒れたのです。てんかんの発作ではなく、意識がはっきりしているので、かえって気持ちを動転させています。自分の失敗を責めてもいるようです。

 私にできることは、自分よりずっと重い光の上体を抱え起こし、遊歩道路の柵まで寄らせて、頭を打たなかったかどうか調べるくらいですが、私ら二人のモタモタした動きは頼りなく見えたにちがいありません。自転車でやって来た壮年の婦人が跳び降りると、―大丈夫?と声をかけながら光の肩に手をあてられました。光がもっとも望まないことは、見知らぬ人に身体をさわられるのと犬に吠えられるのとです。こういう時、私は自分が十分に粗野な老人であることは承知の上で、しばらくほうって置いていただくよう強くいいます。

 その方が、憤慨して立ち去られた後、私はある距離を置いてやはり自転車をとめ、こちらをじっと見ている高校生らしい少女に気付きました。彼女はポケットからケータイをのぞかせて、しかしそれを出すというのじゃなく、ちょっと私に示すようにしただけで、注意深くこちらを見ています。 光が立ち上り、私がその脇を歩きながら振り返ると、少女は会釈して、軽がると自転車を走らせて行きました。私にとどいたメッセージは、自分はここであなたたちを見守っている、救急車なり家族なりへの連絡が必要なら、ケータイで協力する、という呼びかけでした。私らが歩き出すのを見ての、微笑した会釈を忘れません。

     *

 さきの大戦の終わりに抗独戦線に参加している一人として死んだ、🌹フランスの哲学者シモーヌ・ヴェイユの、🔹不幸な人間に対して注意深くあり、――どこかお苦しいのですか? と問いかける力を持つかどうかに、人間らしい資質がかかっている、という言葉に私は惹(ひ)かれています。 ヴェイユの不幸な人間の定義は独特ですが、突然の転倒に動揺している私らも、この場では不幸な人間です。こちらが受け入れられないほど積極的な善意を示してくださった婦人も、ヴェイユの評価する人間らしさの持ち主です。🌹むしろこういう時にも自分にこだわる(そこからの解放をヴェイユは説くのでもあります)私を変えねばなりません。その上で、不幸な人間への好奇心だけ盛んな社会で、私はあの少女の注意深くかつ節度もある振る舞いに、生活になじんだ新しい人間らしさを見出す気がします。好奇心は誰にもありますが、注意深い目がそれを純化するのです。

 大江さん 小説を書いている人間、その人間自身が、世界、日本、社会の中でどのような存在であるか。いつもそういうことが頭にある。僕のように小さな村、そして森を題材にしつつ、現代の東京に生きている人間として、同時代の中で七転八倒しながら書く。戦後文学を担った多くの作家はそうしてきました。

 ――大江文学を流れる最大のテーマに「森の思想」があるといわれる。これはどういうものですか。大江さん 僕は四国の愛媛県で生まれました。子供のころは台風、大水が多かった。森は何か恐ろしいと同時に魅惑的だった。魂を癒す故郷を森に求めたのです。半分は架空の森で、同時に神話も実話もある。安保闘争に苦しんだ男が、森にかえる、それが「万延元年のフットボール」です。森と谷間の村に材を求めてきましたが、その集大成が「燃えあがる緑の木」です。二部まで出て、最後の三部を推敲(すいこう)していますが、結局悲劇に終わる。未来へ受け継ぐものは暗示させたい。

 二十八歳の時、長男が生まれた。脳に障害を持って生まれた光と共に生きて行くことが、僕の文学を変え、人生を変えた。僕のように早熟で、それまで頭だけで小説を書いてきた人間は二十代の終わりで行き詰まり、自殺してしまったかもしれない。必ず行き詰まった。大変だったけれども夫婦で(純粋な心をもつ)光に勇気づけられることは多かった。三十八年間小説を書いてきて、そのうち三十一年間は光と共にいる。人間らしさとはどういうことか。どんなに暗い人間、性格、状況を描いても文学は人間を励まし、勇気づけ、活気づけるものであることが、光と生きて分かったということでもあるでしょう。

大江健三郎さん 高校時代の文章や詩見つかる 愛媛 内子町

大江健三郎さんは、愛媛県内子町の大瀬地区に生まれ、昭和25年に地元の県立内子高校に進学し、文芸部に所属しながら1年間在校しました。13日、大江さんの訃報が報じられたことから、高校が校内の資料室でゆかりの品を探したところ、73年前に当時1年生だった大江さんが校内で発行する生徒会誌に寄稿した文章や詩が見つかったということです。シェークスピアの「ハムレット」について記した文章では、ハムレットの生涯から人間の運命を思索しつつ、「前進することは悩みの連続であろう。しかし人間は前進するように運命づけられている」と人生への決意ともとれる記述があります。

「ハムレット」について記した文章
「赭い秋」

The Nobel Prize-winning Japanese author Kenzaburo Oe has died at the age of 88.

Strongly influenced by French and American literature, he was known for his powerful accounts of the atomic bombing of Japan and coping with his son, who has learning difficulties. He won the Nobel Literature Prize in 1994, with judges praising his “darkly poetic” novels for their “disconcerting picture of the human predicament”. The whole Article by BBC, March 14

Rouse Up, O Young Men of the New Age!

Kenzaburō Ōe

“K is a famous writer living in Tokyo with his wife and three children, the oldest of whom was born with a brain anomaly that has left him mentally disabled. A highly cerebral man who often retreats from real life into abstraction – in this case, the poetry of William Blake – K is confronted by his wife with the reality that this child, Eeyore, has been saying and doing disturbing things – behaving aggressively, asserting that he’s dead, even brandishing a knife at his mother. As the days pass, various events – K’s hapless attempts to communicate with his son, Eeyore’s near drowning during a father-son trip to the swimming pool, a terrible hurricane that nearly destroys the family’s mountain cottage and the family inside it – K is forced to question his fitness as a father.” K reconsiders his own life – his relationship with his father, his rural upbringing, his relationship with a well-known dissident writer who committed suicide, the responsibilities of artists and writers in Japan generally. In the end, in part through his obsessive rereading of Blake, K is able to see that things are not always what they seem, especially where his son is concerned, and to trust his heart as well as his mind.

新しい人よ眼ざめよ/Rouse Up O Young Men of the New Age!
個人的な体験/A Personal Matter
静かな生活/A Quiet Life
人生の親戚/An Echo of Heaven
性的人間/Seventeen and J: Two Novels
取り替え子/The Changeling
宙返り/Somersault
ピンチランナー調書/The Pinch Runner Memorandum
万延元年のフットボール/Silent Cry
芽むしり仔撃ち/Nip the Buds, Shoot the Kids
われらの狂気を生き延びる道を教えよ/Teach Us to Outgrow Our Madness


 3/21 大江さんが大江さんが新しいスタイルの小説を書くことはもうない。難解な小説は、いまでも私には難解なままだ。それでも、大江さんはこんな風にして、いつでも語りかけてくれる。最後の小説になった「晩年様式集」の最後の詩のような、希望をつなぐ深く優しい言葉で。小さなものらに、老人は答えたい、/私は生き直すことができない。しかし/私らは生き直すことができる高津祐典)  Full Text  

3/14 大江健三郎は「戦後」に君臨しないまま統治した ikezawa

おおえ・けんざぶろう  なんと美しい名前だろう。やわらかい母音が三つ連なり、それをKという子音がしっかり受けて、更にごつごつしたZが乱して、「ろう」で丸く収まる。音節の数は軽く七五調を逸脱している。こんな名前を持った男が詩人でないはずがない。FULL TEXT

大江文学の価値・広さ/大きさ

日本人の連帯感・・「個人の深みに根ざしている静けさ」

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国会会期中に表現の自由についての大問題が明るみになったというのに、世の中大谷_Darvish_Nootber_Feaver

「最後かと思って投げた」んだ!
大谷、ヌートバーの “コショウひき”
周東の激走(5:33)!が見もの

3/20 大谷の鼓舞から始まった!吉田の四球、村上の決勝打、周東の劇的サヨナラホームインを一気見せ!【侍ジャパンvsメキシコ】WBC2023 マイアミ・ローンデポパーク

優勝してしまった。にわかOhtani fan続出 2023/3/22

放送法の解釈を「放送の自由を保障する法」から「(時の政権の気に入らない)放送を規制する法」に捻じ曲げた2015年の経過が明らかになった問題。Journalist青木さんの記事から引用。

AERA記事全文

 文書の内容は、当時、安倍氏の首相補佐官だった礒崎陽輔氏が放送法の「政治的公平性」についての解釈を変えようと総務省に働きかけたというもの。これにより、従来は『放送事業者の番組全体を見て判断する』とされてきたテレビ局の政治的公平性に、『一つ一つの番組を見て全体を判断する』という新たな解釈が加わった。礒崎氏は3日、ツイッターで「総務省と意見交換をしたのは事実」と、総務省に働きかけたことを認めたが、青木氏はこう問題視する。

 「時の政権の一員である首相補佐官の礒崎氏が総務省に迫り、文書にもあるような“ヤクザ”まがいの恫喝も交え、民主社会の根本たる言論・表現や報道の自由に関する法令解釈変更を裏で迫るのは大問題です」

事件の構図

3/12 「サンデー・モーニング」(毎日)

田中優子・法政大名誉教授は、礒崎元首相補佐官が「コメンテーター全員が同じことを述べている」と指摘した点を取り上げ、「コメンテーターは、それぞれ職業も経験も異なり、おっしゃることの角度や言葉、表現も違うはずだ」と反論した。その上で「同じだという根拠は述べていないのにそう感じたということは、頭の中が『自分と同じ意見』『自分と違う意見』を入れる二つの引き出しでできているからではないか。自分と違う意見は全部同じに聞こえるということではないか」と痛烈に批判。その他の人の意見

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https://www.samac.jp/search/poems_list.php

百人一首の歌番号順に並べた一覧です。歌と作者名をよみがな付きで記載。各歌の歌番号から、詳細ページにリンクしています。詳細ページでは、意訳などのほか、歌の読み上げも聞けます。
表の最後に、競技かるた序歌の「難波津に~」も加えました。

ほかに、むすめふさほせ(暗記グループ)と、種類順、決まり字と語呂合わせの一覧もあります。(上記の水色部分)

番号作者
001秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ わが衣手は 露にぬれつつ天智天皇
てんぢてんのう
002春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香具山持統天皇
じとうてんのう
003あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の 長々し夜を 独りかも寝む柿本人麿
かきのもとのひとまろ
004田子の浦に うち出でてみれば 白妙の 富士の高嶺に 雪は降りつつ山部赤人
やまべのあかひと
005奥山に 紅葉踏み分け 鳴く鹿の 声聞く時ぞ 秋は悲しき猿丸大夫
さるまるだゆう
006かささぎの 渡せる橋に おく霜の 白きを見れば 夜ぞ更けにける中納言家持
ちゅうなごんやかもち
007天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも阿部仲麿
あべのなかまろ
008我が庵は 都の辰巳 しかぞ住む 世をうぢ山と 人はいふなり喜撰法師
きせんほうし
009花の色は 移りにけりな いたづらに 我が身世にふる ながめせし間に小野小町
おののこまち
010これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関蝉丸
せみまる
011わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ 海人の釣り舟参議篁
さんぎたかむら
012天つ風 雲の通ひ路 吹き閉ぢよ をとめの姿 しばしとどめむ僧正遍昭
そうじょうへんじょう
013筑波嶺の 峰より落つる 男女川 恋ぞつもりて 淵となりぬる陽成院
ようぜいいん
014陸奥の しのぶもぢずり 誰ゆゑに 乱れそめにし 我ならなくに河原左大臣
かわらのさだいじん
015君がため 春の野に出でて 若菜摘む 我が衣手に 雪は降りつつ光孝天皇
こうこうてんのう
016立ちわかれ いなばの山の 峰に生ふる まつとし聞かば 今帰り来む中納言行平
ちゅうなごんゆきひら
017ちはやぶる 神代も聞かず 龍田川 唐紅に 水くくるとは在原業平朝臣
ありはらのなりひらあそん
018住の江の 岸に寄る波 よるさへや 夢の通ひ路 人目よくらむ藤原敏行朝臣
ふじわらのとしゆきあそん
019難波潟 短き芦の 節の間も 逢はでこの世を 過ぐしてよとや伊勢
いせ
020わびぬれば 今はた同じ 難波なる みをつくしても 逢はむとぞ思ふ元良親王
もとよししんのう
021今来むと いひしばかりに 長月の 有り明けの月を 待ち出でつるかな素性法師
そせいほうし
022吹くからに 秋の草木の しをるれば むべ山風を 嵐といふらむ文屋康秀
ふんやのやすひで
023月見れば ちぢに物こそ 悲しけれ 我が身一つの 秋にはあらねど大江千里
おおえのちさと
024このたびは 幣もとりあへず 手向山 紅葉の錦 神のまにまに管家
かんけ
025名にし負はば 逢坂山の さねかづら 人に知られで くるよしもがな三条右大臣
さんじょうのうだいじん
026小倉山 峰のもみぢ葉 心あらば 今一度の 行幸待たなむ貞信公
ていしんこう
027みかの原 わきて流るる いづみ川 いつ見きとてか 恋しかるらむ中納言兼輔
ちゅうなごんかねすけ
028山里は 冬ぞ寂しさ まさりける 人目も草も かれぬと思へば源宗于朝臣
みなもとのむねゆきあそん
029心あてに 折らばや折らむ 初霜の 置きまどはせる 白菊の花凡河内躬恒
おおしこうちのみつね
030有り明けの つれなく見えし 別れより 暁ばかり 憂きものはなし壬生忠岑
みぶのただみね
031朝ぼらけ 有り明けの月と 見るまでに 吉野の里に 降れる白雪坂上是則
さかのうえのこれのり
032山川に 風のかけたる 柵は 流れもあへぬ 紅葉なりけり春道列樹
はるみちのつらき
033久方の 光のどけき 春の日に しづ心なく 花の散るらむ紀友則
きのとものり
034誰をかも 知る人にせむ 高砂の 松も昔の 友ならなくに
藤原興風
ふじわらのおきかぜ
035人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の 香ににほひける
紀貫之
きのつらゆき
036夏の夜は まだ宵ながら 明けぬるを 雲のいづこに 月宿るらむ清原深養父
きよはらのふかやぶ
037白露に 風の吹きしく 秋の野は 貫き止めぬ 玉ぞ散りける文屋朝康
ふんやのあさやす
038忘らるる 身をば思はず 誓ひてし 人の命の 惜しくもあるかな右近
うこん
039浅茅生の 小野の篠原 忍れど あまりてなどか 人の恋しき参議等
さんぎひとし
040忍れど 色に出でにけり 我が恋は 物や思ふと 人の問ふまで平兼盛
たいらのかねもり
041恋すてふ 我が名はまだき 立ちにけり 人知れずこそ 思ひ初めしか壬生忠見
みぶのただみ
042契りきな かたみに袖を しぼりつつ 末の松山 波越さじとは清原元輔
きよはらのもとすけ
043逢ひ見ての 後の心に 比ぶれば 昔は物を 思はざりけり権中納言敦忠
ごんちゅうなごんあつただ
044逢ふことの 絶えてしなくは なかなかに 人をも身をも 恨みざらまし中納言朝忠
ちゅうなごんあさただ
045あはれとも いふべき人は 思ほえで 身のいたづらに なりぬべきかな謙徳公
けんとくこう
046由良の門を 渡る舟人 かぢを絶え ゆくへも知らぬ 恋の道かな曾禰好忠
そねのよしただ
047八重葎 茂れる宿の さびしきに 人こそ見えね 秋は来にけり恵慶法師
えぎょうほうし
048風をいたみ 岩打つ波の おのれのみ くだけて物を 思ふ頃かな源重之
みなもとのしげゆき
049みかき守 衛士のたく火の 夜は燃え 昼は消えつつ 物をこそ思へ大中臣能宣朝臣
おおなかとみのよしのぶあそん
050君がため 惜しからざりし 命さへ 長くもがなと 思ひけるかな藤原義孝
ふじわらのよしたか
051かくとだに えやはいぶきの さしも草 さしも知らじな 燃ゆる思ひを藤原実方朝臣
ふじわらのさねかたあそん
052明けぬれば 暮るるものとは 知りながら なほ恨めしき 朝ぼらけかな藤原道信朝臣
ふじわらのみちのぶあそん
053嘆きつつ 独り寝る夜の 明くる間は いかに久しき ものとかは知る右大将道綱母
うだいしょうみちつなのはは
054忘れじの 行く末までは 難ければ 今日を限りの 命ともがな儀同三司母
ぎどうさんしのはは
055滝の音は 絶えて久しく なりぬれど 名こそ流れて なほ聞こえけれ大納言公任
だいなごんきんとう
056あらざらむ この世の外の 思ひ出に 今一度の 逢ふこともがな和泉式部
いずみしきぶ
057めぐり逢ひて 見しやそれとも わかぬ間に 雲隠れにし 夜半の月かな紫式部
むらさきしきぶ
058有馬山 猪名の笹原 風吹けば いでそよ人を 忘れやはする大弐三位
だいにのさんみ
059やすらはで 寝なましものを さ夜更けて 傾くまでの 月を見しかな赤染衛門
あかぞめえもん
060大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみも見ず 天の橋立小式部内侍
こしきぶのないし
061いにしへの 奈良の都の 八重桜 今日九重に 匂ひぬるかな伊勢大輔
いせのたいふ
062夜をこめて 鳥の空音は はかるとも よに逢坂の 関は許さじ清少納言
せいしょうなごん
063今はただ 思ひ絶えなむ とばかりを 人づてならで いふよしもがな左京大夫道雅
さきょうのだいぶみちまさ
064朝ぼらけ 宇治の川霧 たえだえに あらはれ渡る 瀬々の網代木権中納言定頼
ごんちゅうなごんさだより
065恨みわび ほさぬ袖だに あるものを 恋に朽ちなむ 名こそ惜しけれ相模
さがみ
066もろともに あはれと思へ 山桜 花より外に 知る人もなし前大僧正行尊
さきのだいそうじょうぎょうそん
067春の夜の 夢ばかりなる 手枕に かひなく立たむ 名こそ惜しけれ周防内侍
すおうのないし
068心にも あらで憂き世に ながらへば 恋しかるべき 夜半の月かな三条院
さんじょういん
069嵐吹く 三室の山の もみぢ葉は 龍田の川の 錦なりけり能因法師
のういんほうし
070さびしさに 宿を立ち出でて 眺むれば いづこも同じ 秋の夕暮れ良暹法師
りょうぜんほうし
071夕されば 門田の稲葉 おとづれて 芦のまろやに 秋風ぞ吹く大納言経信
だいなごんつねのぶ
072音に聞く 高師の浜の あだ波は かけじや袖の 濡れもこそすれ祐子内親王家紀伊
ゆうしないしんのうけのきい
073高砂の 尾の上の桜 咲きにけり 外山の霞 たたずもあらなむ前中納言匡房
さきのちゅうなごんまさふさ
074うかりける 人を初瀬の 山おろしよ はげしかれとは 祈らぬものを源俊頼朝臣
みなもとのとしよりあそん
075契りおきし させもが露を 命にて あはれ今年の 秋もいぬめり藤原基俊
ふじわらのもととし
076わたの原 漕ぎ出でて見れば 久方の 雲居にまがふ 沖つ白波法性寺入道前関白太政大臣
ほっしょうじにゅうどう・・・
077瀬を早み 岩にせかるる 滝川の われても末に あはむとぞ思ふ崇徳院
すとくいん
078淡路島 通ふ千鳥の 鳴く声に 幾夜寝覚めぬ 須磨の関守源兼昌
みなもとのかねまさ
079秋風に たなびく雲の 絶え間より もれ出づる月の 影のさやけさ左京大夫顕輔
さきょうのだいぶあきすけ
080長からむ 心も知らず 黒髪の 乱れてけさは 物をこそ思へ待賢門院堀河
たいけんもんいんのほりかわ
081ほととぎす 鳴きつる方を 眺むれば ただ有り明けの 月ぞ残れる後徳大寺左大臣
ごとくだいじのさだいじん
082思ひわび さても命は あるものを 憂きにたへぬは 涙なりけり道因法師
どういんほうし
083世の中よ 道こそなけれ 思ひ入る 山の奥にも 鹿ぞ鳴くなる皇太后宮大夫俊成
・・ぐうのだいぶしゅんぜい
084ながらへば またこの頃や 忍ばれむ 憂しと見し世ぞ 今は恋しき藤原清輔朝臣
ふじわらのきよすけのあそん
085夜もすがら 物思ふ頃は 明けやらで 閏のひまさへ つれなかりけり俊恵法師
しゅんえほうし
086嘆けとて 月やは物を 思はする かこち顔なる わが涙かな西行法師
さいぎょうほうし
087村雨の 露もまだ干ぬ 槇の葉に 霧立ちのぼる 秋の夕暮れ寂蓮法師
じゃくれんほうし
088難波江の 芦のかりねの ひとよゆゑ みをつくしてや 恋ひわたるべき皇嘉門院別当
こうかもんいんのべっとう
089玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば 忍ぶることの 弱りもぞする式子内親王
しょくしないしんのう
090見せばやな 雄島の海人の 袖だにも 濡れにぞ濡れし 色は変はらず殷富門院大輔
いんぷもんいんのたいふ
091きりぎりす 鳴くや霜夜の さむしろに 衣かたしき ひとりかも寝む後京極摂政前太政大臣
ごきょうごくせっしょう・・
092わが袖は 潮干に見えぬ 沖の石の 人こそ知らね 乾く間もなし二条院讃岐
にじょういんのさぬき
093世の中は 常にもがもな 渚漕ぐ 海人の小舟の 綱手かなしも鎌倉右大臣
かまくらのうだいじん
094み吉野の 山の秋風 さ夜更けて ふるさと寒く 衣打つなり参議雅経
さんぎまさつね
095おほけなく うき世の民に 覆ふかな 我が立つ杣に 墨染の袖前大僧正慈円
さきのだいそうじょうじえん
096花さそふ 嵐の庭の 雪ならで ふりゆくものは 我が身なりけり入道前太政大臣
にゅうどう・・・
097来ぬ人を 松帆の浦の 夕凪に 焼くや藻塩の 身もこがれつつ権中納言定家
ごんちゅうなごんさだいえ
098風そよぐ ならの小川の 夕暮れは みそぎぞ夏の しるしなりける従二位家隆
じゅにいいえたか
099人も惜し 人も恨めし あぢきなく 世を思ふ故に もの思ふ身は後鳥羽院
ごとばいん
100ももしきや 古き軒端の しのぶにも なほあまりある 昔なりけり順徳院
じゅんとくいん
序歌難波津に 咲くやこの花 冬ごもり 今を春べと 咲くやこの花王仁博士
わにはかせ

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Spring has come to everywhere, though it has been still cold. Visiting temples, shrines and froral gardens was my most favorite passtime until I had a big trouble. I wrote that after the stroke the saddiest thing I needed to give up (see a memo) was my besat favorite hobboy going out for a walk in Kamakura with my camera! I thought it was my perpetual joyful activities.

長谷寺のセツブンソウ

Then, I found a wonderful blog about flowers in Kamakura. Looking at it becomes one of my favorite passtimes other than listening to music. Today I realized/ thought I did not need to give up of it, I can visit the sites again, not entire area but some, in two or three years!!! What a good idea! Until then, I put some flower photos from “Today’s Kamakura” blogsite. I was amazed by the author’s sense. She/he visits the same sites, and almost the same spots I like, such as white plum tree at Engaku-ji. So I feel I am visiting the site the same as before by myself!! Not only atEngakuji, but also Kosoku-ji, Hase Temple, Ryuho-ji and so on.

円覚寺のいつも見ていた白梅

浄妙寺

鶴岡八幡宮

円覚寺

浄智寺

大船フラワーセンター

長谷寺

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