ヒラリーさん、「女性が輝く社会」なんて嘘です

訪米中の安倍首相が19日午後、ヒラリー・クリントン氏と会談したそうである。その時の安倍首相の言葉がなかなかの厚かましさである。

私の政権が進めている『女性が輝く社会』にいち早く賛同の意を表明していただいたことにお礼を申し上げたい」 おいおいおいおいおいおい・・無限に繰り返したい。どの口が言うの? 

ヒラリー・クリントンに誰か在米日本人は伝えてくれないか?この「ゴー宣道場」サイトはアメリカにも多くの閲覧者がいる。その人たちは、「安倍首相は、国の象徴たる天皇には、女性がなることを断固、阻止しておりますよ」と、伝えてくれ。

「女性天皇も、女系天皇も、絶対ダメ!天皇は男系のみ!というのが安倍首相の考えであり、女性宮家にも反対しているのが安倍首相ですよ」と言ってくれ。

「徹底的な「男尊女卑」が安倍首相なのですよ」と、ヒラリー・クリントンに伝えてほしい。 『女性が輝く社会』なんて口ばかりで、皇室内では女性は輝くことができないんだから、そんな時代が来るわけない。

天皇は国の象徴である。愛子さまは「男系」なのに、それでも女性天皇にはさせない、というのが安倍政権なのだから、究極の男尊女卑である。クリントン氏は誤魔化されてはいけない。口だけなら何とでも言える。

『女性が輝く社会』『女性が輝く社会』『女性が輝く社会』けれど、天皇は男系男子しか輝けないのが日本である!

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小林よしのりがおもしろい。論旨が明快、言いづらいこともはっきり言うので理解しやすい。

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9月11日は日本にとっても衝撃の日だった。あれから世界は予想もしない天災や人災にあえいでいる。福島原発の大事故はまだ激甚災害のままだ。

汚染水のタンクは、敷地内に満杯なだけでなく、経年による破損の危険を避けるため、新しいタンクに差し替えているありさま。恒久的な解決の見通しは全く立っていない。

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2013年の状況:

Once a vast forest area came to be a massive tank yards for contaminated water

 

 

 

 

 

 

 

Image  事故の前は森が広がっていた。

 

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日本の政治はInvisible右翼「日本会議」に牛耳られている。嫌な感じ。海外メディアの報道のほうが正確ということも多い。でも、静かな抵抗も報じられる。下の記事は東京新聞(2016.8.17)の特報ページ。

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先ごろ天皇が述べた自身の「生前退位」について、その政治的意味、今日の政治状況へのIntentional/unintentional effectsについてレポート。

今のマスコミの置かれた状況下で、゛奥歯にものの挟まった”以下の表現しかしていないが、言下に「天皇の、天皇自身による象徴としての自分を位置づけることの政治的意味、象徴としての使命への自負、日本の将来についての明らかな危惧」についての示唆がある。

これまでのblogから: 天皇の発言皇后の発言(1) 同(2)

<海外メディアの論調> 

LA FACE CACHÉE DE SHINZO ABE:アベシンゾーの隠された顔

Right side up  The Economist

The Religious Cult Secretly Running Japan

The Emperor Strikes Back: Japan’s Monarch Takes On Imperialist Abe

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ちょっと視点が変わると、いつもの風景がこんな風に見える!

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源頼朝伝説が残る琵琶島弁天の鳥居とお屋代、少し前に半分が解体されてしまった料亭 「千代本」・・・。時代は移ろいますが、海の色はいつも青。

 

 

 

遠くに野島、その手前が金沢八景ハイムなどのマンション群

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       ヨットや、レジャー用釣り船が並びます。

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明月院と円覚寺。有名なのはもちろん、明月院。参詣者(観光客?)が多いのも明月院。でも境内の壮大な広がり、杉木立との対比の鮮やかさ、何よりも紫陽花そのものの美しさで円覚寺を再発見しました。

 

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Engakuji2016_1 Engakuji2016_2 Engakuji2016_3 Engakuji2016_4 Engakuji2016_5 Engakuji2016_7 Engakuji2016_8 Engakuji2016_9 Engakuji2016_11 Engakuji2016_12   Engakuji2016_14 Engakuji2016_15 Engakuji2016_16 春、福寿草が咲く、入って左手の寺の庭。ひっそりと人もなく、アジサイもそっと咲いていました。

 

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米国に「Barack Obama」さんという人がいることは、あの方が大統領になる8年前から知っていた。バーモント州の友人から「将来大統領になるべきすばらしい政治家がいる。」と聞いていたから。どんな人か興味をもっていたが、8年後、米国の良識ある人が彼を大統領に選んだ。

HIROSHIMA, JAPAN - MAY 27: U.S. President Barack Obama gives a speech during his visit to the Hiroshima Peace Memorial Park on May 27, 2016 in Hiroshima, Japan. It is the first time U.S. President makes an official visit to Hiroshima, the site where the atomic bomb was dropped in the end of World War II on August 6, 1945. (Photo by Atsushi Tomura/Getty Images)
HIROSHIMA, JAPAN – MAY 27: U.S. President Barack Obama gives a speech during his visit to the Hiroshima Peace Memorial Park on May 27, 2016   Photo by Atsushi Tomura/Getty Images) HPページより

 

でも、彼の大統領としての道のりは厳しかった。いちばんの理由は前任者の失政から仕事を始めるしかなかったこと。彼は苦しかったはずだが、彼なりに理想を忘れまいと努力したと思う。

今回の広島での行動も、その証左として、世界の歴史の中に、そして人々の心の中に記憶されることと思う。いろいろ足りないことや不満足に思う人はいると思うが、それでも、与えられた状況の中で精一杯の一歩を踏み出す強さと潔さが光った。

Obama with Mr Mori2 Obama with Mr Mori

広島では、まず原爆資料館を訪れ、原爆慰霊碑と原爆ドームの前で深く息をし、頭を垂れた。被爆者との会話でもオバマ大統領のこころからの気持ちが表情に表れていて清々しかった。オバマさんは大統領の今よりもこれから活躍の場があるだろうと思う。

今はまだ、岩国基地では大統領として米兵を励ます演説をし、傍らにはいつも「核」のスイッチが入ったブリーフケースをもつ部下が陰のように付いているという矛盾の中にいるのだ。

<大統領スピーチ最後の部分>

And perhaps above all, we must reimagine our connection to one another as members of one human race.  For this, too, is what makes our species unique.  We’re not bound by genetic code to repeat the mistakes of the past.  We can learn.  We can choose. We can tell our children a different story –- one that describes a common humanity; one that makes war less likely and cruelty less easily accepted.

We see these stories in the hibakusha –- the woman who forgave a pilot who flew the plane that dropped the atomic bomb, because she recognized that what she really hated was war itself; the man who sought out families of Americans killed here, because he believed their loss was equal to his own.

My own nation’s story began with simple words:  All men are created equal, and endowed by our Creator with certain unalienable rights, including life, liberty and the pursuit of happiness.  Realizing that ideal has never been easy, even within our own borders, even among our own citizens.   *******

The world was forever changed here.  But today, the children of this city will go through their day in peace.  What a precious thing that is.  It is worth protecting, and then extending to every child.  That is the future we can choose -– a future in which Hiroshima and Nagasaki are known not as the dawn of atomic warfare, but as the start of our own moral awakening. (全文はこちら) (HPによる日本語訳)

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10年ほど前、バーモント州の山の中にある(といってもバーモントは全部山の中のようなもの!)小さい小学校に行った時、廊下のディスプレーに、広島の禎子さんの展示があったことを思い出す。アメリカの良識ある人は、原爆の悲惨さ、残虐さを、もしかして私たち日本人よりもきちんと記憶しようとしている。

日本の小学校でいま、禎子さんや原爆の展示をしようとしたら果たしてどのようなことになるのだろうか?実現できるのだろうか?こころもとない限りだ。

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その展示のあった公立小学校(2007)

  DSCF6314 A scenery of Vermont

 

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オバマ大統領広島訪問についての記事

WP & Reuters: 71 years after the first atomic strike,

NYT: President Obama Visits Hiroshima

BBC: Hiroshima memory must never fade,

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美しい日本の、”いつも行く場所”京都へ。今回はハイキングコースを歩きました。
残念ながら今秋は気温が高い日が続き、保津峡のように葉が紅くならずいきなり茶色に変わってしまった場所もありましたが、京都はいつも美しい。
まだ見たことのなかった化野の念仏寺や毘沙門堂、嵐山の天龍寺、南禅寺に続く蹴上インクライン、北野天満宮など、両日とも20,000歩以上をを歩きました。

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2日目南禅寺へJump


JR京都から嵯峨野線で保津峡へ
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駅はこの鉄橋の上にあります。

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   赤い船で保津川下りをしている人がいます

 
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  岩が多く、急に流れが速くなったり変化の多い渓谷

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     落合橋を過ぎて清滝川へ 

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愛宕山念仏寺へ 

 

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  愛宕山から化野の念仏寺への道は茅葺屋根の
古民家が続きます

 

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        屋根のカーブが美しい

 


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化野念仏寺への石段
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   おびただしい数の石仏が並びます  

 



  嵐山 天龍寺へ
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     美しい石庭がありました

 

 
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22_Kyoto_tenryu.jpg   ご本尊 


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夕暮れが迫り、写真はきれいに撮れませんでした。
残念。 


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 2日目は南禅寺から蹴上Inclineへ
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  いつ行っても美しい南禅寺、とりわけ美しい
水道橋の下の光景

      

 

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 斜面と水路(琵琶湖疏水)を利用して貨物を
運ぶ仕組みです 

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案外小ぶりだった「舟」

     

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 このような疏水沿いの道をずっと(速足で)歩きました     

 

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天智天皇陵    
  

 
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毘沙門堂へ60_Kyoto_bishamon.jpg

     

 

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こちらの紅葉は今が盛りの美しさでした
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  最後のツアー「北野天満宮」へ
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二の鳥居?   

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天満宮の奥;有料「もみじ園」700円  

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光がつくりだした美しい光景        

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嵐山「稲」のゆばの夕食
(高橋さん、山下さんと一緒でした)   

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 新大阪ホテル   112_Kyoto_tenman.jpg    二条城

 

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★2013年の京都はこちら

 

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2015年10月2日

 
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 大学ラグビーが華やかだったころ、(20年ぐらい前まで?)ラグビーの試合をテレビ観戦していた。その後、2003年イギリスにいるとき、Wilkoと呼ばれて絶大な人気だったJohnny Wilkinsonが、その年のWorld Cup決勝で最後のドロップゴールを決めてイギリスが優勝した。その時も、ラグビーが大好きだった。
 その後、日本チームは世界に挑戦するが大負けに負けていて、つらかった。それで、2019年のWC日本開催は知っていたのに、今年のWCのことは忘れていた!!



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 ある晩、午前2時ごろふとテレビを見たら、ラグビーの試合が・・・。あれ?これ何?それは、その後世界を驚かせた日本チームが南アフリカチームに勝利した歴史的試合だった。
 最後の20分ぐらいを観ていた私は、あの最後の大決断”ペナルティーキックよりもトライ!”の興奮とそれによる勝利の瞬間を観ていたのだ。
  【写真:BBC websiteより】

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 南アフリカに勝利した後、スコットランドには大差で敗れた。「やっぱり、難しいのかな・・。」と思ったそのあと、サモアとの試合があった。

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 日本チームの強さは本物だった。次のサモア戦でも、大柄でパワフル、スピードも凄そうな選手の足の間を潜り抜けるような日本選手の敢闘精神あふれるプレーで、大勝した。

 中でも、この山田選手の美しいゴールは、そのスピード、テクニック、勘の冴えが一瞬に融合して生まれたものだった。

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Japan stunned two-time champions South Africa to cause arguably the biggest upset in rugby union history. 

   Karne Hesketh crossed in the final minute to win an incredible World Cup Pool B encounter in Brighton.
South Africa led 12-10 after Francois Louw and Bismark du Plessis tries.
Lood de Jager and Adriaan Strauss also scored for the Springboks, but Ayumu Goromaru contributed 24 points, including a try, before Hesketh’s dramatic clincher.
   Japan had gone 18 World Cup games without victory before beating South Africa in Brighton
Japan started the game brightly, played with quick ball and took the game to South Africa, never looking overawed by their powerful opponents.
   Captain Michael Leitch went over for Japan’s first try as they went 10-7 up after 29 minutes and, although Du Plessis quickly responded, the Brave Blossoms stayed in touch throughout the second half.

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そして、10/11には米国にも勝利、3勝1敗となった。でも、不運にも準決勝には進めなかった。体を酷使していたので、私は「それもいいのでは」と思ったが、五郎丸選手は悔し涙だった。

11/2(追加) ラグビー日本代表、W杯南アフリカ戦の歴史的勝利が「最高の瞬間」部門
    賞受賞 記事はこちら

日本チーム情報はこちら




BBC記事((South Africa)
BBC記事(South Africa)
Independent記事(Samoa)
BBC記事(Samoa)
NHK記事(帰国後のコメント)