錦秋の古都、 京都2013
紅葉の京へ・・どこもかしこも朱に染まっていました 真如堂
どこを訪ねたのか忘れてしまうので作った地図
行く前の日ですが・・・
光明寺へ
自然の美、フシギ。この色使い!
⇖ Page Top 常寂光寺
神社の大鳥居にみごとなモミジが
紅葉の京へ・・どこもかしこも朱に染まっていました 真如堂
どこを訪ねたのか忘れてしまうので作った地図
行く前の日ですが・・・
光明寺へ
自然の美、フシギ。この色使い!
⇖ Page Top 常寂光寺
神社の大鳥居にみごとなモミジが
西鎌倉手広にあるこのお寺はいつも静か。そこには私の好きなものが
いくつもあります。 (公式ページはこちら)
庭には可憐なコスモスも・・・
黄色の小菊が咲いていました
あらら、仏像とホトトギスが薮の中に??
お墓の奥の高いところにひっそりと古い石仏が並んで座っています
この真ん中のお仏様が私の心を惹きつけます。
「寛文13年」と銘にあるので、1673年からここに座っているのだ!じっとしたまま。
秋が深まっていきます
「うるし」の木でしょうか
真赤な秋です
「ホトトギス」
寒桜でしょうか、咲いていました
秋明菊もまだ残っていました
やっぱり野菊がいちばん好きです
My Blog: “Shoren-ji Temple, stone Buddhist images &wild chrysanthemums”はこちら
日本人の侘び・さびは通じなかったようです。
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午後3時過ぎですが晩秋の日光は夕暮れの風情です |
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少し前に降った雪が残っていました | ||||||||||||||||||||
戦場ヶ原へ歩き始めました |
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白樺やダケカンバの森です
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「奥日光案内図」 |
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「湯の湖大滝」の豪快な流れ
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こちらは「小滝」 |
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小滝付近のパノラマ写真
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小滝を過ぎていよいよ戦場ヶ原へ |
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その前にちょっと休憩(?)
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記念撮影(大滝の前です。ちょっと順番が・・)
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ボードウォークをゆく17人 ⇖ Page Top |
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男体山の雄姿と戦場ヶ原湿地 |
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白樺はいつもどことなくやさしい
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11月24日(日)晴れ、気温3度 |
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半月山から中禅寺湖と男体山を望む絶景!
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こちらでもみんな一緒に! |
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左手に見える半島が紅葉の名所(ちょっと遅かった)
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戦場ヶ原の説明(内容が見えず残念) |
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記念撮影(Vicさんより)
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みんなが説明に聞き入っています(珍しいです)
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中禅寺(立木観音が中にあります) |
門前まで迫った!日光東照。
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野ざらしの石仏がいるお寺、青蓮寺を訪ねました
西鎌倉手広にあるこのお寺はいつも静か。そこには私の好きなものが
いくつもあります。 (公式ページはこちら)
門の外にノコンギクがたくさん咲いています
庭には可憐なコスモスも・・・
黄色の小菊が咲いていました
あらら、仏像とホトトギスが薮の中に?? お墓の奥の高いところにひっそりと古い石仏が並んで座っています
この真ん中のお仏様が私の心を惹きつけます
「寛文13年」と銘にあるので、1673年からここに座っているのだ!じっとしたまま。
秋が深まっていきます
「うるし」の木でしょうか
真赤な秋です
「ホトトギス」
あれ?ピンクの梅の花?も
やっぱり野菊がいちばん好きです
My Blog: “Shoren-ji Temple, stone Buddhist images &wild chrysanthemums”はこちら
日本人の侘び・さびは通じなかったようです。
私のfacebook友だちはたった28人。世界中から"選りすぐりの"人だけ! リビア、イタリア、英国、オランダ、トルコ、アフガニスタン、インド、ロシア、 アメリカ、カナダ人と日本人数人。楽しい。 最近のヒットはこれ➢ 私のヨーク大学の先生が自分の子どもの写真でみんなの笑い誘うと・・・ みんながあれこれ勝手な、楽しい書き込みをする。私も(意味がわかる時だけ)面白いことを書いてみる・・・。「オット!よだれは大丈夫?」と。
私がコメントした後、ヨーク大学のもう一人の先生も同じ写真にコメントする(上)
これで、3人が間接的にバーチャルな空間を共有する、何も話さなくても、きっと「おっ、見てるな。元気かな?」と一瞬だけでも考える。それが何か楽しく、ホッとして人生の楽しみを感じる。(ちょっと大げさ?)
大切に使うと、とても楽しい。
私のfacebook ページはこちら!
10月20日で、皇后の「五日市憲法」についての発言について書いた。その時、きっと心ある人たちがこのことに触れ、今の憲法状況について発言していくだろうと感じたが、その動きがジワジワと広がるように感じる。
今日10月31日(木)の朝日新聞「論壇時評」の記事はその一つだ。
※ 上の朝日新聞記事英語版はこちら
高橋氏は、皇后の言葉のメッセージ性については慎重に、”(皇后のメッセージで)他を圧して長かったのは、憲法に関する部分だった” と書き、さらに皇后の言葉を引用しつ、”「長い鎖国を経た19世紀の日本で、市井の人々の間に既に育っていた民権意識」と続くくだりで、私はことばにならない思いを感じた。” と書いている。
高橋が感じた皇后さまの ”ことばにならない思い” とは、アメリカからのお仕着せだと主張する安倍への間接的だが強いNOのメッセ―ジだ、という意味に他ならない。また、日本人の知性と良識をもう一度思い起こそうというメッセージだと高橋は主張したいのだと思う。
この思いは、もっと広がっておくだろうと思う。私のように共感する人がいる限り・・・。
そして、明治の初期の五日市の若者たちの強い思いに感動した日のことを、もう一度考えた。
★ 10月20日のブログ「「五日市憲法」について語った皇后の勇気」はこちら
★ その前の五日市憲法についての2月13日ブログ「五日市憲法草案と深沢家屋敷」はこちら
☆ 高橋源一郎氏の記事にある、皇后美智子さまの深い洞察に満ちた清新で奥ゆかしく、
そして力強い基調講演「第26回IBBYニューデリー大会基調講演」のPDF版はこちら
☆ 英文版「The 26th Congress of The International Board on Books for Young People
(IBBY), New Delhi (1998)」のPDF版はこちら
私が横浜市大に入学した時はすでに鶴見の列車 事故で亡くなられたあと。すでに伝説の人でした |
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横浜市立大文理学部長時代の写真
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哲学研究会のメンバーとの写真だそうです | ||
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哲学、科学、宗教家など幅広い交流が示されていました | ||
上の写真の中から
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上の写真の中から | ||
三枝先生の揮毫 |
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東慶寺住職からの書簡
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鎌倉アカデミアとの関係はあまり知りませんでした |
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【回個展のハイライト】 |
「認識の対象」1916
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「相対性原理講和」1921
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日本事業小史(1923)
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「新導成唯識論」1941
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「伊能忠敬」 |
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木彫りの眠れる獅子
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三枝先生を師と仰ぐ元生徒たちによる心のこもった回個展でした |
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