英国の旧友
3/19 懐かしの心の友Sさんからの突然のEmail message 「今横浜にいるので、いる間にお茶しよう」と。そして今日3/21、ロンドンで20 年ぐらい前South Kensington のホテルを訪ねて来てもらって以来の感動の再会だった。体が動かないのは残念だけど、おかげで尋ねてきてくれる人も多くなりうれしい限りだ。良き友情は年を経ても変わらないことを知り、本当にうれしかった。Mさんの”Ake‥ファン次々とお見えになり,今までと違う生活で楽しいでしょう!”のことばが有難い。 ★ 「上海の旧友」 ★★ 11/20 Norwayからの便り
Hi Ak・・ How are you? Long time since I contacted you but I am visiting Yokohama at the moment. Would you like to have a coffee and chat together? Hope to see you.


目が回る忙しさで話をした。中国本土の人と、香港人、台湾人の3国についてのそれぞれの感慨、意識。韓国人と日本人の(敵対する微妙な)関係について英国人として思うこと。コリアンの”恨”の思想など。韓国では鳥はsing ではなくweepだそうだ。でも、時間が足りなかった!私たちのリハビリのこと、歩行杖の名称と形状(w)、彼の世界旅行のこと、Covidで兄を亡くされたこと、「後退」に関する英語では”regress”は trend で、”set back”がtemporal moveのことなので、set back が良いらしい。なんと賢くなったことか!私の英語は”go backward”or “becomes worse” だった。それからEngland人は野球には関心なし、Clicketが20%ほどとか。それから菜の花の英語名はナントrapeだと。
「上流階級の金持ちさんなので、来るには及ばぬと言ったのですが、おもしろいから行く、見知らぬところを一人で尋ねるのがチャレンジだからと。」「おもしろいってなんですか😁」「日本の小さい家とか?」「早めに着いて、(3/21)11:00に来ました♪」「(WBC)野球はそっちのけで面白い話をしました。」「ダンディーなお客様で、春のアフターヌーンティーパーティーですね☕」✨「〇さんも素敵なマダムに写っています✨」
It was lovely to see you again! And thank you for your lovely gift. It is a very nice memory!





Our History
2019 :Cyboze 2017:Ashumorian 2012: Phone call (2005: extablish Oxford Office) 2004:University issue
University of Cambridge MA, Economics 1975 – 1978 (age68?)
香港人の民族意識にとっての「日本」 銭 俊華
香港住民の大部分は華人であり、華人として1は伝統的な中国文化を身につけているだけではなく、近現代の中国史に対し、民族意識も持っている。日本に関する戦争記憶が喚起されるたびに、香港で日本に対して反発が起きることは珍しくない。(中略)
1980 年代や 1990 年代に生まれた香港人は、それ以前の人々と異なる。香港の最も好況な時期に育ち、香港大衆文化を享受し受け継ぎ、香港との経済格差がまだ大きい中国大陸に対する帰属感が相対的に小さかった。さらに 2010 年以降、中国大陸人観光客の大量流入が、香港人の日常生活に影響を与え続けて、「中港矛盾(中国大陸人と香港人の矛盾)」がしばしば発生している。さらに、基本法第 23 条の立法の試み、「国民教育」科目、「普教中」(広東語の代わりに、普通話(中国語標準語)で中国語文(日本の国語科目にあたる)を教える)政策の導入、「ニセ普通選挙」(親中派主体で構成された指名委員会の過半数の推薦がなければ、立候補できない)の決定により、香港人、特に若い世代は中国政府からの圧迫、あるいは「中国化」の進行を感じている。このような動きに反発し、香港人自らのアイデンティティを強化し、本土」という理念を唱える動きが生まれている。なかには、「中国人」ではないと自らを定義する「脱中国化」の傾向もある。「脱中国化」する傾向がある人々や本土派は、よく親日の立場から中国を批判し、あるいは香港を主体として香港戦や「重光記念日」を強調する。つまり、日本に関わる戦争記憶は、従来と同じく香港人の民族意識を喚起するメカニズムであると同時に、逆に香港人が民族意識から離脱するメカニズムにもなってきた。本論文を土台として、さらに本土勢力や民間がいかに「日本」に関する戦争記憶を再構築し、各々の政治主張を支えるかを将来の研究の視野に入れたい同時に、香港政府は香港が中国に返還されてから、香港を主体とする歴史観とイギリスに関する記憶を除き、中国政府に合わせ、中国を主体とする歴史観を、日本に関わる戦争記憶に導入し、「中華人民共和国民族意識」を香港人に伝えている。
日本に関わる戦争記憶は、まるで「中国化」に抵抗する人々と香港政府の「記憶の戦場」になり、それぞれの立場からのアイデンティティを確立する武器になっている。

韓国大統領を務めた金大中は、著書『金大中哲學與對話集——建設和平與民主』のなかで、以下のように述べている[5]。韓国の文化は「恨」の文化です。
私たちの民族は憂患と苦難の民族であり、「恨」は挫折を味わった民族の希望、「恨」は挫折を味わった民族の夢を実現するための準備なのだと思います。確かに私たちは、歴史のなかで「恨」とともに生きてきたことは事実です。…しかし、常に自分自身を慰め、励まし、その結果、未来に向かって生きていくことができた。私たちの民族は、畑の雑草のように、踏みつけられ、そして蘇る。 …韓国人は2000年間、文化的アイデンティティを捨てなかった。…韓国人は、大きな苦難に耐え、あらゆる方法で忍耐してきた。
(english translated by Google) Kim Dae-jung, who served as the President of South Korea, said in his book, “Kim Dae-jung Cheolgak Confederation: Construction Peace and Democracy“[5].
“ Korean culture is a culture of ‘grudge‘. Our nation is a nation of sorrows and hardships, and ‘grudge’ is the hope of a nation that has suffered setbacks, and ‘grudge’ is the preparation for realizing the dreams of a nation that has suffered setbacks. It is true that we have lived with “grudges” throughout history. …But I always comforted and encouraged myself, and as a result, I was able to live towards the future. Our people, like weeds in a field, will be trampled and reborn. …For 2,000 years, Koreans have not given up their cultural identity. … Koreans have endured great hardships and persevered in every possible way.
11/20 Norwayからの便り
また来年からも日本に来る、来れるかもしれないとの嬉しい便り。何とラッキーな私。これを励みに頑張ろう!!

ハイムガーデン散歩_6
2月末からの不調で3/14 軌道修正 。その後しばらく花壇散歩ができないでいた。3/19若い人が久しぶりに二人そろい、車椅子をもって花壇散歩実現!




















さくら🌸, 2023
さようなら, 大江さん
保土ヶ谷区にある市の施設の中にあるそんなに大きくない図書館で「新しい人よ眼ざめよ」を見つけ,書架から取り出した時の新鮮な感激は今もはっきり覚えている。
『新しい人よ眼ざめよ』は、ブレイクの後期預言詩のひとつ『ミルトン』の序の一節「Rouse up, O, Young men of the New Age !」からインスピレーションを得ている。また各短編のタイトルもブレイクの詩行や絵画のタイトルに由来する。
Bring me my Bow of burning gold;
Bring me my Arrows of desire:
Bring me my Spear: O clouds unfold!
Bring me my Chariot of fire!
★障害を持つ長男イーヨーとの「共生」を、イギリスの神秘主義詩人ブレイクの詩を媒介にして描いた連作短編集。作品の背後に死の定義を沈め、家族とのなにげない日常を瑞々しい筆致で表出しながら、過去と未来を展望して危機の時代の人間の<再生>を希求する、誠実で柔らかな魂の小説。大佛次郎賞受賞作。講談社の紹介文
(Jerusalem)
And did those feet in ancient time,
Walk upon Englands mountains green:
And was the holy Lamb of God,
On Englands pleasant pastures seen!
And did the Countenance Divine,
Shine forth upon our clouded hills?
And was Jerusalem builded here,
Among these dark Satanic Mills?
Bring me my Bow of burning gold:
Bring me my Arrows of desire:
Bring me my Spear: O clouds unfold!
Bring me my Chariot of fi re!






知的な障害とはまた別に、まじめな性格の光は、歩行訓練をする間、しゃべりません。私も、読んでいる本のことを思い出したりしています。足を高くあげない光は、つまずきやすいし、てんかんの小さな発作を起こすことがあります。後の場合、抱きとめておいて、地面に座らせることができれば五分ほどじっとしています。その間、周りから声をかけられることがあっても、光の頭を支えている私は応答できません。それが相手をムッとさせることは幾度となくありました。さて、今度の歩行訓練で、私がつい頭のなかの散漫な思いにとりつかれている時、転っていた石に足をとられて、光がバタンと倒れたのです。てんかんの発作ではなく、意識がはっきりしているので、かえって気持ちを動転させています。自分の失敗を責めてもいるようです。
私にできることは、自分よりずっと重い光の上体を抱え起こし、遊歩道路の柵まで寄らせて、頭を打たなかったかどうか調べるくらいですが、私ら二人のモタモタした動きは頼りなく見えたにちがいありません。自転車でやって来た壮年の婦人が跳び降りると、―大丈夫?と声をかけながら光の肩に手をあてられました。光がもっとも望まないことは、見知らぬ人に身体をさわられるのと犬に吠えられるのとです。こういう時、私は自分が十分に粗野な老人であることは承知の上で、しばらくほうって置いていただくよう強くいいます。
その方が、憤慨して立ち去られた後、私はある距離を置いてやはり自転車をとめ、こちらをじっと見ている高校生らしい少女に気付きました。彼女はポケットからケータイをのぞかせて、しかしそれを出すというのじゃなく、ちょっと私に示すようにしただけで、注意深くこちらを見ています。 光が立ち上り、私がその脇を歩きながら振り返ると、少女は会釈して、軽がると自転車を走らせて行きました。私にとどいたメッセージは、自分はここであなたたちを見守っている、救急車なり家族なりへの連絡が必要なら、ケータイで協力する、という呼びかけでした。私らが歩き出すのを見ての、微笑した会釈を忘れません。
*
さきの大戦の終わりに抗独戦線に参加している一人として死んだ、🌹フランスの哲学者シモーヌ・ヴェイユの、🔹不幸な人間に対して注意深くあり、――どこかお苦しいのですか? と問いかける力を持つかどうかに、人間らしい資質がかかっている、という言葉に私は惹(ひ)かれています。 ヴェイユの不幸な人間の定義は独特ですが、突然の転倒に動揺している私らも、この場では不幸な人間です。こちらが受け入れられないほど積極的な善意を示してくださった婦人も、ヴェイユの評価する人間らしさの持ち主です。🌹むしろこういう時にも自分にこだわる(そこからの解放をヴェイユは説くのでもあります)私を変えねばなりません。その上で、不幸な人間への好奇心だけ盛んな社会で、私はあの少女の注意深くかつ節度もある振る舞いに、生活になじんだ新しい人間らしさを見出す気がします。好奇心は誰にもありますが、注意深い目がそれを純化するのです。
大江さん 小説を書いている人間、その人間自身が、世界、日本、社会の中でどのような存在であるか。いつもそういうことが頭にある。僕のように小さな村、そして森を題材にしつつ、現代の東京に生きている人間として、同時代の中で七転八倒しながら書く。戦後文学を担った多くの作家はそうしてきました。
――大江文学を流れる最大のテーマに「森の思想」があるといわれる。これはどういうものですか。大江さん 僕は四国の愛媛県で生まれました。子供のころは台風、大水が多かった。森は何か恐ろしいと同時に魅惑的だった。魂を癒す故郷を森に求めたのです。半分は架空の森で、同時に神話も実話もある。安保闘争に苦しんだ男が、森にかえる、それが「万延元年のフットボール」です。森と谷間の村に材を求めてきましたが、その集大成が「燃えあがる緑の木」です。二部まで出て、最後の三部を推敲(すいこう)していますが、結局悲劇に終わる。未来へ受け継ぐものは暗示させたい。
二十八歳の時、長男が生まれた。脳に障害を持って生まれた光と共に生きて行くことが、僕の文学を変え、人生を変えた。僕のように早熟で、それまで頭だけで小説を書いてきた人間は二十代の終わりで行き詰まり、自殺してしまったかもしれない。必ず行き詰まった。大変だったけれども夫婦で(純粋な心をもつ)光に勇気づけられることは多かった。三十八年間小説を書いてきて、そのうち三十一年間は光と共にいる。人間らしさとはどういうことか。どんなに暗い人間、性格、状況を描いても文学は人間を励まし、勇気づけ、活気づけるものであることが、光と生きて分かったということでもあるでしょう。
大江健三郎さんは、愛媛県内子町の大瀬地区に生まれ、昭和25年に地元の県立内子高校に進学し、文芸部に所属しながら1年間在校しました。13日、大江さんの訃報が報じられたことから、高校が校内の資料室でゆかりの品を探したところ、73年前に当時1年生だった大江さんが校内で発行する生徒会誌に寄稿した文章や詩が見つかったということです。シェークスピアの「ハムレット」について記した文章では、ハムレットの生涯から人間の運命を思索しつつ、「前進することは悩みの連続であろう。しかし人間は前進するように運命づけられている」と人生への決意ともとれる記述があります。
The Nobel Prize-winning Japanese author Kenzaburo Oe has died at the age of 88.
Strongly influenced by French and American literature, he was known for his powerful accounts of the atomic bombing of Japan and coping with his son, who has learning difficulties. He won the Nobel Literature Prize in 1994, with judges praising his “darkly poetic” novels for their “disconcerting picture of the human predicament”. The whole Article by BBC, March 14
Rouse Up, O Young Men of the New Age!
“K is a famous writer living in Tokyo with his wife and three children, the oldest of whom was born with a brain anomaly that has left him mentally disabled. A highly cerebral man who often retreats from real life into abstraction – in this case, the poetry of William Blake – K is confronted by his wife with the reality that this child, Eeyore, has been saying and doing disturbing things – behaving aggressively, asserting that he’s dead, even brandishing a knife at his mother. As the days pass, various events – K’s hapless attempts to communicate with his son, Eeyore’s near drowning during a father-son trip to the swimming pool, a terrible hurricane that nearly destroys the family’s mountain cottage and the family inside it – K is forced to question his fitness as a father.” K reconsiders his own life – his relationship with his father, his rural upbringing, his relationship with a well-known dissident writer who committed suicide, the responsibilities of artists and writers in Japan generally. In the end, in part through his obsessive rereading of Blake, K is able to see that things are not always what they seem, especially where his son is concerned, and to trust his heart as well as his mind.

新しい人よ眼ざめよ/Rouse Up O Young Men of the New Age!
個人的な体験/A Personal Matter
静かな生活/A Quiet Life
人生の親戚/An Echo of Heaven
性的人間/Seventeen and J: Two Novels
取り替え子/The Changeling
宙返り/Somersault
ピンチランナー調書/The Pinch Runner Memorandum
万延元年のフットボール/Silent Cry
芽むしり仔撃ち/Nip the Buds, Shoot the Kids
われらの狂気を生き延びる道を教えよ/Teach Us to Outgrow Our Madness
3/21 大江さんが大江さんが新しいスタイルの小説を書くことはもうない。難解な小説は、いまでも私には難解なままだ。それでも、大江さんはこんな風にして、いつでも語りかけてくれる。最後の小説になった「晩年様式集」の最後の詩のような、希望をつなぐ深く優しい言葉で。〈小さなものらに、老人は答えたい、/私は生き直すことができない。しかし/私らは生き直すことができる〉
(高津祐典) Full Text

3/14 大江健三郎は「戦後」に君臨しないまま統治した ikezawa
おおえ・けんざぶろう なんと美しい名前だろう。やわらかい母音が三つ連なり、それをKという子音がしっかり受けて、更にごつごつしたZが乱して、「ろう」で丸く収まる。音節の数は軽く七五調を逸脱している。こんな名前を持った男が詩人でないはずがない。FULL TEXT
Goodbye “our” Vermont House
It is, of course, Ann’s house, but it was/is our house, too. The house is now on sale today. We share enoumous amount of fond and precious memories at/on that house!











































遠いところに住むかけがえのない友
Cho Yong Pil – The Song of Wind
今日は3/11の惨事から12年目の日だ。韓国では梨泰院の事故の時、みんなが聴いたのがこの歌だったという。
韓国の名曲:조용필 – 바람의 노래(お!ハングルでも少し意味が分かるようになった。)
私はいつかは風の歌を聞くだろう〜
時が経てば花が枯れてしまう理由も分かるだろう~
いつの日か私から去っていった人と出会うかもしれない
過ぎし日の友情や懐かしい気持ちはどこに行くのだろう~~
そんなことは私のちっぽけな知恵では知ることはできない。
私が知っているのは今をどう生きるかだけだ。
多くの過ちや苦悩の時間
そんなこともあったと今気づく。
今、その答えが”愛”だと知れば、
私はこの世界のすべてを愛するだけだ…(Akemi訳:英語から)
私の「韓国語勉強サイト」の記事
これだ!探していた昔聴いたチョーヨンピルの歌「カッチャギ・・・」Red Dragonfly 고추 잠자리(コチュジャンジャリ)
Red Dragonfly…そうだ「赤 (唐辛子)トンボ」だった。
Red Dragonfly
Lyrics




우〜
ウ〜
아마 나는 아직은 어린가봐 그런가봐
アマ ナヌン アヂグン オリンガボヮ クロンガボヮ
엄마야 나는 왜 자꾸만 기다리지
オムマヤ ナヌン ウェ チャツクマン キダリヂ
엄마야 나는 왜 갑자기 보고싶지
オムマヤ ナヌン ウェ カプチャギ ポゴシプチ
아마 나는 아직은 어린가봐 그런가봐
アマ ナヌン アヂグン オリンガボヮ クロンガボヮ
엄마야 나는 왜 자꾸만 슬퍼지지
オムマヤ ナヌン ウェ チャツクマン スルポヂヂ
엄마야 나는 왜 갑자기 울고싶지
オムマヤ ナヌン ウェ カプチャギ ウルツコシプチ
가을빛 물든 언덕에 들꽃따러 왔다가 잠든 나
カウルビツ ムルドゥン オンドゲ トゥルツコツタロ ワツタガ チャムドゥン ナ
엄마야 나는 어디로 가는 걸까
オムマヤ ナヌン オディロ カヌン コルツカ
외로움 젖은 마음으로 하늘을 보면
ウェロウム チョジュン マウムロ ハヌルル ポミョン
흰구름 흘러가고
フィングルム フルロガゴ
나는 어지러워 어지렁 뱅뱅
ナヌン オヂロウォ オヂロン ペンベン
날아가는 고추 잠자리
ナラガヌン コチュ チャムジャリ

엄마야(お母さん) 나는 왜 자꾸만 기다리지 엄마야 나는 왜 갑자기 보고싶지 아마 나는 아직은 어린가봐 그런가봐 엄마야 나는 왜 자꾸만 슬퍼지지 엄마야 나는 왜 갑자기 울고싶지 가을빛 물든 언덕에 들꽃따러 왔다가 잠든 날 엄마야 나는 어디로 가는 걸까 외로움 젖은 마음으로 하늘을 보면 흰구름만 흘러가고 나는 어지러워(めまい) 어지럼 뱅뱅(バンバン) 날아가는(飛ぶ) 고추 잠자리(唐辛子トンボ) 아마 나는 아직은 어린가봐 그런가봐 엄마야 나는 왜 자꾸만 기다리지 엄마야 나는 왜 갑자기 보고싶지 아마 나는 아직은 어린가봐 그런가봐 엄마야 나는 왜 자꾸만 슬퍼지지 엄마야 나는 왜 갑자기 울고싶지 가을빛 물든 언덕에 들꽃따러 왔다가 잠든 날 엄마야 나는 어디로 가는 걸까 외로움 젖은 마음으로 하늘을 보면 흰구름만 흘러가고 나는 어지러워 어지럼 뱅뱅 날아가는 고추 잠자리 아마 나는 아직은 어린가봐 그런가봐 엄마야 나는 왜 자꾸만 기다리지 엄마야 나는 왜 갑자기 보고싶지 아마 나는 아직은 어린가봐 그런가봐 엄마야 나는 왜 자꾸만 슬퍼지지 엄마야 나는 왜 갑자기 울고싶지 아마 나는 아직은 어린가봐 그런가봐 엄마야 나는 왜
お母さん、なぜ私は何度も待っています。 お母さん、なぜ私は突然見たいのですか? おそらく私はまだ若いと思います。 お母さん、なぜ私は悲しんでいますか? お母さん、なぜ私は突然泣きたいのですか? 秋の色の丘の上 花の花に来て寝た日 お母さん私はどこに行きますか 孤独 濡れた心で 空を見ると白い雲だけが流れます。 私はめまいがする めまいバンバン飛んでいる唐辛子トンボ おそらく私はまだ若いと思います。 お母さん、なぜ私は何度も待っています。 お母さん、なぜ私は突然見たいのですか? おそらく私はまだ若いと思います。 お母さん、なぜ私は悲しんでいますか? お母さん、なぜ私は突然泣きたいのですか? 秋の色の丘の上 花の花に来て寝た日 お母さん私はどこに行きますか 孤独 濡れた心で 空を見ると白い雲だけが流れます。 私はめまいがする めまいバンバン飛んでいる唐辛子トンボ おそらく私はまだ若いと思います。 お母さん、なぜ私は何度も待っています。 お母さん、なぜ私は突然見たいのですか? おそらく私はまだ若いと思います。 お母さん、なぜ私は悲しんでいますか? お母さん、なぜ私は突然泣きたいのですか? おそらく私はまだ若いと思います。 お母さん私はなぜ
どっちが大事? ”総務省放送法文書” vs WBC
国会会期中に表現の自由についての大問題が明るみになったというのに、世の中大谷_Darvish_Nootber_Feaver。
3/20 大谷の鼓舞から始まった!吉田の四球、村上の決勝打、周東の劇的サヨナラホームインを一気見せ!【侍ジャパンvsメキシコ】WBC2023 マイアミ・ローンデポパーク

Ohtani strikes out Trout to win the World Baseball Classic, a breakdown pic.twitter.com/x0EBQgywd5
— Jomboy (@Jomboy_) March 22, 2023

放送法の解釈を「放送の自由を保障する法」から「(時の政権の気に入らない)放送を規制する法」に捻じ曲げた2015年の経過が明らかになった問題。Journalist青木さんの記事から引用。
文書の内容は、当時、安倍氏の首相補佐官だった礒崎陽輔氏が放送法の「政治的公平性」についての解釈を変えようと総務省に働きかけたというもの。これにより、従来は『放送事業者の番組全体を見て判断する』とされてきたテレビ局の政治的公平性に、『一つ一つの番組を見て全体を判断する』という新たな解釈が加わった。礒崎氏は3日、ツイッターで「総務省と意見交換をしたのは事実」と、総務省に働きかけたことを認めたが、青木氏はこう問題視する。
「時の政権の一員である首相補佐官の礒崎氏が総務省に迫り、文書にもあるような“ヤクザ”まがいの恫喝も交え、民主社会の根本たる言論・表現や報道の自由に関する法令解釈変更を裏で迫るのは大問題
です」
3/12 「サンデー・モーニング」(毎日)
田中優子・法政大名誉教授は、礒崎元首相補佐官が「コメンテーター全員が同じことを述べている」と指摘した点を取り上げ、「コメンテーターは、それぞれ職業も経験も異なり、おっしゃることの角度や言葉、表現も違うはずだ」と反論した。その上で「同じだという根拠は述べていないのにそう感じたということは、頭の中が『自分と同じ意見』『自分と違う意見』を入れる二つの引き出しでできているからではないか。自分と違う意見は全部同じに聞こえるということではないか」と痛烈に批判。その他の人の意見




