11/11(月)未明、Nobel Academy のサイトで授賞式の模様を食い入るように見ていた。
Kazuo Ishiguroさんは、身体とたたずまいは日本人、言語と身体の動きはHalf British/Half Japanese のような感じで、穏やかでにこやかな表情で、楽しそうに嬉しそうに賞を受けた。喜ばしい瞬間だった。
 
でも、その前に平和賞を受賞した ICAN (International Campaign to Abolish Nuclear Weapons) のベアトリス事務局長(Beatrice Fihn)のスピーチが超過激、直截的・感動的で驚きだった。日本人被爆者Thurlow節子さんのスピーチも力強く、会場に感動を広げた。世界に声を拡げるものだったと思う(拍手) スピーチ原稿(こちら)


The Sveriges Riksbank Prize in Economic Sciences in Memory of Alfred Nobel 2017 Richard H. Thaler
Richard H. ThalerさんPhoto: University of Chicago/Anne Ryan
もう一つ、おかしみとともに感動したのは、経済学賞を受けた米国の受章者が舞台で思わず見せた涙。正直そうで可愛らしく、VTRを戻して何度も見てしまった。どの受章者も人生をかけた挑戦を長年たゆみなく続けた人で、それだけで十分人を感動させるのだと思った。

 


こちらは、受賞後の夕食会でのIshiguroさんのすばらしいスピーチ:

Kazuo Ishiguro – Banquet Speech

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いよいよNobel Weekが近づいてきた。一番の楽しみはKazuo Ishiguroさんが何を話すか。日本人ではないけれど日本で生まれ、それを懐かしみ、日本にルーツがあることを誇りにする人。

Decent Manの見本のような人。
スウェーデンに到着し、ストックホルムで講演を行ったときの模様を伝える新聞記事を保存。

Kazuo Ishiguro ‘very touched’ by Japanese reaction to Nobel Win

DEC 7, 2017  JIJI, KYODO

LONDON – British author Kazuo Ishiguro, winner of the 2017 Nobel Prize in literature, said Wednesday he was happy to learn that people in Japan celebrated his recognition.
Ishiguro was born in Nagasaki in 1954 and moved at age 5 to Britain, where he still lives and writes in English.Read More →

旧米沢藩出身としては、忠臣蔵の解釈には反対だ。殿中で”切り付けた”方が英雄で、切り付け”られた”方が悪者なのは理不尽である!!と言い続けるのだが、ドラマの影響、判官びいきのせいで多勢に無勢だ。でも、この頃はときどきこの騒動を科学的に分析しようとする記事を見る。うれしい。

江戸城内で突然、斬りつけた浅野内匠頭は強迫性障害だった? 現代の医師が診断(AERAより)

『戦国武将を診る』などの著書をもつ日本大学医学部・早川智教授は、歴史上の偉人たちがどのような病気を抱え、それによってどのように歴史が形づくられたことについて、独自の視点で分析。医療誌「メディカル朝日」で連載していた「歴史上の人物を診る」から、赤穂藩主・浅野長矩を診断する。
*  *  *
【浅野長矩(1667~1701年)】
毎年、暮れになると腹の立つことがある。
各局で放映される忠臣蔵である。気の毒な吉良上野介義央は没後300年以上にわたりどうして毎年悪役として殺され続けなければならないのか。
そもそもの始まりは、2年ほど前に遡る。
弥生も半ば春の陽差しが射し込む元禄14年(1701年)3月14日、江戸城松の廊下でとんでもない事件が起きた。将軍徳川綱吉が勅使を饗応する儀式の責任者である播州赤穂5万3000石藩主・浅野内匠頭長矩が、梶川与惣兵衛と立ち話をしていた高家筆頭吉良上野介義央に「この間の遺恨覚えたるか」と叫んで斬りつけたのである。
■犯行の背景は
浅野本人が吟味の席で「乱心にあらず。かねて遺恨あり」と述べているが真相は藪の中である。犯行の背景には(1)吉良に賄賂を持っていかず恥をかかされた(徳川実紀)、(2)赤穂の塩が吉良の塩に販売競争で負けた(尾崎士郎)、(3)接待費用を節約し叱責された(三田村鳶魚)、(4)吉良が浅野の室に横恋慕(仮名手本忠臣蔵)などの説があるが、いずれも根拠は薄い。
内匠頭は田村右京大夫邸で即日切腹。享年34。当然ながら、吉良はお咎めなしである。
実際、この事件での被害者に何の落ち度もない。浅野内匠頭の罪名は現在で考えても明らかに殺人未遂罪であり公務遂行中の事件でもある。「殿中にて刃傷に及べば切腹・死罪」という法があり、裁判(目付・近藤平八郎と多門伝八郎による訊問)を経て処刑されている。
勿論、判決当日とはあまりに拙速という批判もあろうが、当時として適切な法手続きは行われたと言ってよい。そもそも特権的に武士のみに携帯を許された短刀を抜いて、公の場で上司の殺害を企てたわけであり、その場で斬り殺されても文句は言えない。切腹についても、武士としての名誉ある死の方式であり、内匠頭の名誉を傷つけたとは言えない。

 

 

 

 

2013年、GTTで吉良邸跡を訪問。この説を唱えたが、理解した人は少なかったと思う。

■何が彼をそうさせたか
侍医である寺井玄渓日記には浅野には「痞え(つかえ)」の持病があり、事件の3日前に薬を調合したとしている。精神科医の小田晋は「腹部発作と不機嫌症状を伴う軽いてんかん発作があったのではないか。痞えの持病に吉良の意地悪によるストレスが加わり、鬱積爆発反応が起きたのではないか」としている。同じく精神科医の中島静雄は「浅野内匠頭は典型的な統合失調症で、吉良は通り魔殺人の被害者に過ぎない」としている。
浅野長矩は事件の7年前に重病で寝込み、弟大学長広を跡継ぎに定めて分家させたという記録はあるが、痙攣発作や異常行動の記録はない。ただ彼には妙に潔癖で融通の利かないところがあり、筆者には強迫性障害(OCD)があったのではないかと考える。
OCDは徐々に発達していく障害で、気分が良い時には無症状だが何か問題が起きたり不安を感じた場合に強迫観念や強迫行為、衝動行動などが発生する。OCDの原因は多様だが、遺伝や脳障害、特にセロトニン・ニューロンの異常が知られる。
OCDの増悪過程には、身体的要素に加えて学習的な要素があり、重症化していく。長矩が初めて勅使饗応役を行った17歳の時の強烈な体験が頭を離れず、事件を起こした元禄14年の準備で細かいことを何度も吉良に聞き、吉良も面倒くさくなって適当にあしらったため、逆恨みで切れたのではないか。
OCDは本人にとってはどうすることもできないので強い無力感を感じる。内匠頭が、従容として切腹の申し渡しを受けたということに矛盾しない。現在なら、向精神薬や行動療法でコントロールできるだろうが、漢方主体の江戸時代医学では(仮に蘭方でも)治療は困難であろう。
さて、気の毒なのは路頭に迷うことになった家臣たちである。御家再興の望みが絶えた翌年12月14日、吉良邸に大石内蔵助ら47人が討ち入り、上野介を討ち果たす。しかし、江戸時代であっても、私刑が許されるわけはなく、これは集団テロ以外の何物でもない。本来私闘の禁止のためにあった「喧嘩両成敗」で事件を論じること自体がナンセンスであろう。

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2009年のドラマで見つけたかわいい、少年と青年の間の、なんとも魅力的な俳優。このごろテレビでも見るようになり、名前がやっとわかった。井之脇海くんと言うらしい。Yokosukaの出身だそうだ。


 

 

 

 

 

 

2009年のドラマでは15歳ぐらいの小澤小澤征爾を演じたが、こんなに素敵な青年になった。

 

「胡同に咲く花」

「キタキマユの飾らない名演技と、 小澤征悦のはにかんだ表情。
13歳の征爾くんを演じた少年の、まっすぐな表情に魅せられ、
何度もビデオを見てしまう。」

(Wikiより)

9歳から子役として活動をはじめ、2006年の「柳生十兵衛七番勝負」でテレビドラマ初出演。 2007年の「夕凪の街 桜の国」で映画初出演。同年から「天才てれびくんMAX」に出演。 2008年の映画「トウキョウソナタ」でキネマ旬報新人男優賞を受賞。

 2010年の主演作「カラフル」で舞台初出演。同年の「やつらは多分宇宙人」で連続ドラマはレギュラー。 2013年のNHKの朝ドラ「ごちそうさん」で、ヒロインの杏の弟役を務めて注目される。

 以降も「ひよっこ」や「おんな城主直虎」などの話題の連続ドラマに出演。 「合葬」や「帝一の國」、「海辺と生と死」などの映画にも出演。

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朝の目覚ましはいつもMari
“そうだ、うれしいんだ、生きるよろこび、あとい(たとえ)みんなのゆめ いたん(?)でも~。タララ・タララ・タララララ・ちょんなのは(そんなのは)イヤラ(だ)。わちゅれないでゆめを。 アンパンマンの、「優しい君は」のうた、うたいたいな”と言って起こしてくれる。なんとも幸せな朝だ!
電話の呼び出し音も”要注意”だ。家族以外の人には聞かせられない。でも世界にたった一つの音源なのだ。
”(Mari) キャベチュの中からアオムチ出たよ(Simon・・チ、デタヨ、チョピ、チョピ・・オトータン、アオムチ (Mari) キャべチュの中から生まれてきたよ(Simon ナカカラ、ウマエテ・キーターヨ~)” と音が被っている。
これに加えて、12/6朝は Apple Watch にもMari が登場、びっくり!

 

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2017.11.22上野の国立東京博物館。平日なのにどこからこんなに人が湧いてきたのか?の混雑。Eチケットを買ったのでチケット売り場の混雑は回避したけど、構内入場後50分待ちの列に並びながら晩秋の上野公園の景色を楽しみました。美しい秋の日でした。
印象的だったのは、静岡・願成就院の毘沙門天立像、和歌山・金剛峯寺八大童子立像(制多伽童子・恵光童子)、奈良・円成寺蔵大日如来坐像、奈良・興福寺天燈鬼立像・龍燈鬼立像、重源上人の坐像など。。重厚、躍動、美しい色彩。どれもこれも圧巻の存在感、すばらしかった!!

「運慶展」公式ページ

上野公園のいつもの風景
 
   
   
 
   
   
   
 
   
   
 博物館初代館長の銅像
和風建築、洋風建築が調和
 
東京文化会館近くの銀杏
   

上野駅構内のカフェでほっと一息
「私の見た『運慶』」

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前日も咳き込んでいて、でも無理して練習。自分でVideoに撮って、肩を上げたりしていないか、姿勢はよいか、Oの形の口をしているか、手がフラフラしてる! できれば体形をカバーできて美しい手の位置は?など研究。前日無理して当日声が出ないかと気になる一歩手前まで、最善の努力はした(つもり)。
舞台度胸が良いのは年期と経験(と性格)。演奏はたぶん、ほぼうまくいった。「歌えるかどうか心配だった状態から考えれば」の条件付きだけど。楽しかった!!

 

演奏後に記念撮影)

 

準備までのことはこちら

 

ほかの人の写真はOKをもらっていないので載せられない。当日の写真を思い出に。
 
 イギリス館(British House Yokohama)
   
   
(載せてもいいわよって言ってくれそうな人)
(紙片を見ながら曲の紹介)
 
 
 
   
 
発表会が終わった後、元ゲーテ座だったCafeで先生には次の曲をいろいろアドバイスしてもらった。先生のご指導は Amarilli, Piacer d’amor, Caro mio ben, はちすの花など。私の希望はドイツリート、母など。あとはNina など・・・。無理せず楽しみながらやりたいと思う。先生には「よく通る声が出せるので、オペラを歌って欲しい」と言われるが、私はドイツリートが歌いたい、、、。そこにすれ違いがちょっとあるけど、専門家から見たみちすじがあると思うので、先生のご指導に従うことにしている。
Sarahと歌う曲もサラさんと(先生に相談せず勝手に)決めた。

Ombra mai fu を歌ったときの画像

VTRから取った画像

 


仕事や授業参観でコンサートには残念ながら来てもらえなかったけど、横浜駅近くのワインカフェで夕食。とても楽しい、うれしい時間でした。
   
   
     

 


♬ 歌いたいうたCoverへ

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