旧米沢藩出身としては、忠臣蔵の解釈には反対だ。殿中で”切り付けた”方が英雄で、切り付け”られた”方が悪者なのは理不尽である!!と言い続けるのだが、ドラマの影響、判官びいきのせいで多勢に無勢だ。でも、この頃はときどきこの騒動を科学的に分析しようとする記事を見る。うれしい。

江戸城内で突然、斬りつけた浅野内匠頭は強迫性障害だった? 現代の医師が診断(AERAより)

『戦国武将を診る』などの著書をもつ日本大学医学部・早川智教授は、歴史上の偉人たちがどのような病気を抱え、それによってどのように歴史が形づくられたことについて、独自の視点で分析。医療誌「メディカル朝日」で連載していた「歴史上の人物を診る」から、赤穂藩主・浅野長矩を診断する。
*  *  *
【浅野長矩(1667~1701年)】
毎年、暮れになると腹の立つことがある。
各局で放映される忠臣蔵である。気の毒な吉良上野介義央は没後300年以上にわたりどうして毎年悪役として殺され続けなければならないのか。
そもそもの始まりは、2年ほど前に遡る。
弥生も半ば春の陽差しが射し込む元禄14年(1701年)3月14日、江戸城松の廊下でとんでもない事件が起きた。将軍徳川綱吉が勅使を饗応する儀式の責任者である播州赤穂5万3000石藩主・浅野内匠頭長矩が、梶川与惣兵衛と立ち話をしていた高家筆頭吉良上野介義央に「この間の遺恨覚えたるか」と叫んで斬りつけたのである。
■犯行の背景は
浅野本人が吟味の席で「乱心にあらず。かねて遺恨あり」と述べているが真相は藪の中である。犯行の背景には(1)吉良に賄賂を持っていかず恥をかかされた(徳川実紀)、(2)赤穂の塩が吉良の塩に販売競争で負けた(尾崎士郎)、(3)接待費用を節約し叱責された(三田村鳶魚)、(4)吉良が浅野の室に横恋慕(仮名手本忠臣蔵)などの説があるが、いずれも根拠は薄い。
内匠頭は田村右京大夫邸で即日切腹。享年34。当然ながら、吉良はお咎めなしである。
実際、この事件での被害者に何の落ち度もない。浅野内匠頭の罪名は現在で考えても明らかに殺人未遂罪であり公務遂行中の事件でもある。「殿中にて刃傷に及べば切腹・死罪」という法があり、裁判(目付・近藤平八郎と多門伝八郎による訊問)を経て処刑されている。
勿論、判決当日とはあまりに拙速という批判もあろうが、当時として適切な法手続きは行われたと言ってよい。そもそも特権的に武士のみに携帯を許された短刀を抜いて、公の場で上司の殺害を企てたわけであり、その場で斬り殺されても文句は言えない。切腹についても、武士としての名誉ある死の方式であり、内匠頭の名誉を傷つけたとは言えない。

 

 

 

 

2013年、GTTで吉良邸跡を訪問。この説を唱えたが、理解した人は少なかったと思う。

■何が彼をそうさせたか
侍医である寺井玄渓日記には浅野には「痞え(つかえ)」の持病があり、事件の3日前に薬を調合したとしている。精神科医の小田晋は「腹部発作と不機嫌症状を伴う軽いてんかん発作があったのではないか。痞えの持病に吉良の意地悪によるストレスが加わり、鬱積爆発反応が起きたのではないか」としている。同じく精神科医の中島静雄は「浅野内匠頭は典型的な統合失調症で、吉良は通り魔殺人の被害者に過ぎない」としている。
浅野長矩は事件の7年前に重病で寝込み、弟大学長広を跡継ぎに定めて分家させたという記録はあるが、痙攣発作や異常行動の記録はない。ただ彼には妙に潔癖で融通の利かないところがあり、筆者には強迫性障害(OCD)があったのではないかと考える。
OCDは徐々に発達していく障害で、気分が良い時には無症状だが何か問題が起きたり不安を感じた場合に強迫観念や強迫行為、衝動行動などが発生する。OCDの原因は多様だが、遺伝や脳障害、特にセロトニン・ニューロンの異常が知られる。
OCDの増悪過程には、身体的要素に加えて学習的な要素があり、重症化していく。長矩が初めて勅使饗応役を行った17歳の時の強烈な体験が頭を離れず、事件を起こした元禄14年の準備で細かいことを何度も吉良に聞き、吉良も面倒くさくなって適当にあしらったため、逆恨みで切れたのではないか。
OCDは本人にとってはどうすることもできないので強い無力感を感じる。内匠頭が、従容として切腹の申し渡しを受けたということに矛盾しない。現在なら、向精神薬や行動療法でコントロールできるだろうが、漢方主体の江戸時代医学では(仮に蘭方でも)治療は困難であろう。
さて、気の毒なのは路頭に迷うことになった家臣たちである。御家再興の望みが絶えた翌年12月14日、吉良邸に大石内蔵助ら47人が討ち入り、上野介を討ち果たす。しかし、江戸時代であっても、私刑が許されるわけはなく、これは集団テロ以外の何物でもない。本来私闘の禁止のためにあった「喧嘩両成敗」で事件を論じること自体がナンセンスであろう。

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12月2日、Abe内閣のiyaiya感が漂う決定があった。退位が決まったらササッと決めるのが国民(私たち)のためなのに、「退位」そのものがiyaだったAbe内閣は、自分の身に降りかかる火の粉をふるうのにも忙しく、宮内庁(天皇側)とのバトルの挙句に、新年でもない、新年度でもない変な時期に退位・即位日を設定した。その日はなんとMay Day! 
天皇の希望を容れた退位なので微妙な問題があり、政府主導なのは基本的に正しいが、ひとりの、自分の生涯を公務のために奉げた(良い悪いは別にして)人に対する尊敬心が欠ける政府の態度を見るのは不愉快だ。高齢の、平和を愛する、清廉な人が余生を穏やかに好きなことをして生きるのは良いことだと思う。その権利は誰にでも等しく与えられて良いと思う。

 

 

天皇退位と憲法問題Cover

 

 

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2017.11.22上野の国立東京博物館。平日なのにどこからこんなに人が湧いてきたのか?の混雑。Eチケットを買ったのでチケット売り場の混雑は回避したけど、構内入場後50分待ちの列に並びながら晩秋の上野公園の景色を楽しみました。美しい秋の日でした。
印象的だったのは、静岡・願成就院の毘沙門天立像、和歌山・金剛峯寺八大童子立像(制多伽童子・恵光童子)、奈良・円成寺蔵大日如来坐像、奈良・興福寺天燈鬼立像・龍燈鬼立像、重源上人の坐像など。。重厚、躍動、美しい色彩。どれもこれも圧巻の存在感、すばらしかった!!

「運慶展」公式ページ

上野公園のいつもの風景
 
   
   
 
   
   
   
 
   
   
 博物館初代館長の銅像
和風建築、洋風建築が調和
 
東京文化会館近くの銀杏
   

上野駅構内のカフェでほっと一息
「私の見た『運慶』」

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ニュースで見るたびに「なんて可愛い!!」と思う。
上野動物園で6月に生まれたジャイアントパンダの赤ちゃん、シャンシャン(香香)。生後150日となり、そのしぐさがますますかわいく、愛らしく、楽しそうだ。

 

(まだもっと小さい頃の写真)

150 days old


祝、1歳 シャンシャンちゃん(可愛すぎる)


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朝日新聞の「上野動物園のジャイアントパンダ」サイト

東京で運慶の作品を集めた展覧会が開催されている。行きたい!けど、忙しくて時間がとれそうもない。そこで「運慶はもうほとんど現地で見たから、もういい」と思いたいので、私の”歴史”を整理しよう。

 

吽形像(東大寺南大門 2013撮影)

阿形像は快慶、吽形像は運慶が中心になって造ったといわれています。

「運慶展」公式サイト

 今回の展示より
   
   
   
   

私が見た「運慶」
   

高野山霊宝館
国宝 八大童子立像(制多伽童子像)
矜羯羅童子像

  阿形業

吽形像
奈良国立博物館も興福寺所蔵の作品も見た。

高野山Blogより

霊宝館はその辺の博物館とは比べ物にならない所蔵品でした(1,500円)

 国宝 八大童子立像(矜羯羅童子像)一躯 (運慶作)金剛峯寺 鎌倉時代八大童子像の内の一躯。寺伝では建久9年(1198年)運慶の 作と伝えられており、その作技などからも運慶乃至は運慶 工房で製作された可能性は極めて高い。
 
国宝 八大童子立像(制多伽童子像)一躯(運慶作)金剛峯寺 鎌倉時代  伽藍不動堂本尊不動明王坐像と共に祀られていた八大童子像の内の一躯。不動明王の使者としての役割を担う。その凛々しい表情は、出色の出来映えを示している。

吉野のさくらと高野山への旅

結論:それでも見ていないもののある。美しい。やっぱり見に行くことにした!11/26まで。
行ってきました!ページ

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浜大祭が始まった。11/3、少しだけど歩いてみた。
銀杏並木の大通りは大変にぎわっていた。「うた部」で焼きそばを買い、あとは、この数年おいしいコーヒーやさんが出てたのだけど、今年は見つからず、代わりにトン汁を買って、いつものベンチへ。
そこへ思いがけずT.K子先生とAmerica人Jさんが来られ相席でいろいろお話。JさんはStanford, Oxford大を出てYCUに来られたとのこと(珍しい人もいるものだと思った)。横浜と市大がとても気に入っているとのこと、Festivalならではのうれしい出会いだった。
 
浜大祭には銀杏が似合う!
   
   
 
   
 I wish every young men/women would be happy forever!
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今年も、こんなにも深く、考え抜かれて温かく、しかも遠く未来をまっすぐに見つめた「ことば」に接して改めて驚く。
日本のどこにでもいる心優しい普通の人々への敬意をあたたかい言葉で表現し、Abeの今の政治に対しては厳しい表現で「異」をあらわす。誕生日のコメントで、「軍縮の意味」について新しく学んだことをしっかりと書き、ICANが今年のノーベル平和賞を受賞したことにも喜ばしいこととして言及している。
こんなことを思うのはごく普通のことなのに特別に思えるのは、今の政治状況を見ているから。これからも平和主義のために「表現する」皇室であってほしいと思う。

 

朝日新聞に掲載の皇后の「おことば」より

 

(天皇に同行した国内の旅行について)感慨もひとしお深く、いつにも増して日本のそれぞれの土地の美しさを深く感じつつ、旅をいたしました。
こうした旅のいずれの土地においても感じられる人々の意識の高さ、真面目さ、勤勉さは、この国の古来から変わらぬ国民性と思いますが、それが各時代を生き抜いてきた人々の知恵と経験の蓄積により、時に地域の文化と言えるまでに高められていると感じることがあります。昨年十二月に糸魚川で大規模な火災が起こった時、過去の大火の経験から、住民間に強風への危機意識が定着しており、更に様々な危機対応の準備が整っていて、あれほどの大火であったにもかかわらず一名の死者も出さなかったことなど、不幸な出来事ではありましたが、そうした一例として挙げられるのではないかと思います
(世界情勢と軍縮について)
米国、フランスでの政権の交代、英国のEU脱退通告、各地でのテロの頻発など、世界にも事多いこの一年でしたが、こうした中、中満泉さんが国連軍縮担当の上級代表になられたことは、印象深いことでした。「軍縮」という言葉が、最初随分遠い所のものに感じられたのですが、就任以来中満さんが語られていることから、軍縮とは予防のことでもあり、軍縮を狭い意味に閉じ込めず、経済、社会、環境など、もっと統合的視野のうちに捉(とら)え、例えば地域の持続的経済発展を助けることで、そこで起こり得る紛争を回避することも「軍縮」の業務の一部であることを教えられ、今後この分野にも関心を寄せていく上での助けになると嬉しく思いました。
(ノーベル賞について)
今年もノーベル賞の季節となり、日本も関わる二つの賞の発表がありました。
文学賞は日系の英国人作家イシグロ・カズオさんが受賞され、私がこれまでに読んでいるのは一作のみですが、今も深く記憶に残っているその一作「日の名残り」の作者の受賞を心からお祝いいたします。
平和賞は、核兵器廃絶国際キャンペーン「ICAN」が受賞しました。核兵器の問題に関し、日本の立場は複雑ですが、本当に長いながい年月にわたる広島、長崎の被爆者たちの努力により、核兵器の非人道性、ひと度使用された場合の恐るべき結果等にようやく世界の目が向けられたことには大きな意義があったと思います。そして、それと共に、日本の被爆者の心が、決して戦いの連鎖を作る「報復」にではなく、常に将来の平和の希求へと向けられてきたことに、世界の目が注がれることを願っています。
皇太子一家については言及がなく、家族のことは少しだけだった。「家族のことよりも大切なことがある」の意味だろうか。
写真は宮内庁HPより

皇后の「ことば」全文

Literaに掲載された「編集部」名論文

天皇退位と憲法問題Cover

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