COVID-19後の世界(2)

世界に感染が広がる新型コロナウイルス。経済の観点から、水野和夫・法政大教授(66)が文明社会に投げかけられた意味を考察する。

減資132兆円、首相は職を賭し経団連に迫れ 「より多く」を求めない。新たな「入り口戦略」だ

 新型コロナウイルスが人類に突き付けているのは、これからも「より多く」を追求することが進歩であり、文明社会であると信じ続けるか否かの選択である。西洋史はキリスト誕生以来「蒐集(しゅうしゅう)」の歴史であり、それに内包されるのが13世紀以降の資本主義である。それまでの土地や霊魂の蒐集をやめて、資本を「より多く」蒐集することに専念し、現在に至っている。11世紀に誕生した「都市」に商人が集まり、彼らはもうけた利益を再投資することによって利潤を追求した。「商人の旅が遠距離であればあるほどその旅はますます多くの利益をもたらす」(アンリ・ピレンヌ)のだから、現在の資本家の先祖である。

閑散とする米ニューヨークのタイムズスクエア。ウイルスは都市を直撃した=4月25日(ゲッティ=共同)

 資本が都市に集中するように、ウイルスは都市を直撃する。中国武漢発のウイルスは一帯一路を通り、大西洋を飛び越え、長旅の末米国に上陸した。ニューヨークを中心に北はボストン、南は首都ワシントンにまたがる世界最大のメガロポリスを直撃し、61・6万人を感染させ、4・3万人の命を奪った。全米の感染者115・2万人のうち53・5%がメガロポリス(米人口の17・8%)に集中し、死者にいたっては63・6%を占めている(米疾病対策センター、4日現在)。

 誕生以来商業都市は常に膨張し、20世紀にはメトロポリスの集合体であるメガロポリスを生み出した。都市の歴史は資本の歴史でもある。都市に集積の利益がもたらされ、都市が資本を生み出すからである。マルクスは「資本は文明の別名にすぎない」というジョン・ウェードに賛同した上で、社会の生産力は科学、交通手段の改善、世界市場の創造、機械化などにより増加し、それが文明を進歩させ労働支配力を強めるという。集積のメリットが一転デメリットに変われば、都市文明も終わる。

蒐集の果ての格差

 西欧文明は「蒐集」によって成り立っている。古代ローマは「土地」を、中世キリスト教が「霊魂」を、そして近代は「資本」を蒐集してきた。「蒐集」は社会秩序の安定とその維持に貢献する限りにおいて正当化される。「蒐集」のコレクター第1号はノアであり、彼は人類をSave(蓄える)することに情熱を懸けた。彼のいうSaveとは救済のことであり、それを通じて社会秩序を維持してきた。貯蓄は事後的に投資と等しくなり、投資の累積が資本となるので、資本は救済のためにある。資本は生産力を増大させ、いざというときに救済できるという点で、経済学は救済の学問である。

 人類の危機に備えてSaveするのだから、資本は常に「過剰」になる。12世紀に商売のセンスがあり財をなした聖ゴドリクは突然貧者に自らの財産を分け与え、隠者として晩年を過ごした。英国の資本家第1号といわれる海賊のドレークは16世紀末、スペインから強奪した財宝(英国家財政の3年分)の半分を国家に寄付した。18世紀「啓蒙(けいもう)の時代」には、ディドロとダランベールは「百科全書」を編纂(へんさん)し、「奢侈(しゃし)」とは快適な生活をえるために、富や勤労を使用することだと定義した。その上で奢侈が過度とならないよう恥によって抑制しようとした。

 ところが、その後「ショックドクトリン」(大惨事便乗型資本主義)が横行するようになり、資本の操り人形である資本家は羞恥心などみじんも持っていなかったことが判明した。21世紀にたどり着いたのは、絶望するほどの二極化した世界だ。2020年のオックスファムリポートによれば、世界の10億ドル長者2153人分の富は46億人(世界の下位6割)の合計より多い。金額にして2153人の1人当たり平均保有額は4400億円で、下位6割のそれはわずか14万円弱にすぎない。上位1%(7600万人)まで金持ちの範囲を広げると、下位9割(69億人)を合わせた富の2倍以上を保有している。

内部留保463兆円

 日本の富は21世紀以降、企業に集中するようになった。企業の内部留保は19年3月末時点で463兆円に達している。企業が内部留保を重要視するようになったのは1990年代後半の金融危機や08年のリーマン・ショックで資金繰りに窮したからである。企業経営者はまさかの時に備えて増やすのだと説明していた。現在の危機はそれらを上回るのであって、今が「まさかのとき」に他ならない。

 内部留保が企業の固定資産に比べて急増し始めたのは、未曽有の金融危機に陥った98年の翌年からである。90年代は固定資産に対して内部留保は低下したので、89年までの上昇傾向を現在まで延長すると、内部留保は200兆円となる。企業が緊急事態に備えた内部留保263兆円(=463-200)は、将来の生産力増とならないので、生活水準の向上につながらない。

資本家の本質あらわ

 「主権者とは非常事態についての決断者である」(カール・シュミット)。日本の緊急事態宣言は飲食業などに休業を要請するが、補償はしない。その代わり罰則規定を設けていない。だからといって、この緊急事態に国民に布マスク2枚や10万円を支給することが「主権者」の決断ではあるまい。「主権者」である安倍晋三首相が決断すべきは、中西宏明経団連会長に対して首相の職を賭して132兆円の減資を要請することだ。

 経団連会長が拒否する理由はない。本来従業員と預金者に支払うべき賃金と利息を不当に値切った金額が累計で132兆円であり、緊急事態に即返還すべき性格のものであるからである。不当だというのは、労働生産性の上昇にもかかわらず賃金を減少させたり、利子と利潤の源泉は同じであるにもかかわらず、企業利潤率(ROE)に比例させて利子を支払わなかったりして、「救済」の経済理論に違反しているからである。緊急事態に備えた(Save)263兆円のうち132兆円は個々の企業と当該企業の従業員を結びつける必要はない。日本人全員の危機なのだから「日本株式会社」として全就業者と全預金者を含めた1億2596万人に還元すべきものであるからだ。

 減資に対しては株主が所有権の侵害だと訴えることが予想されるが、減資に反対する株主を公表すればいい。休業要請に応じない企業に対して企業名を公表するのは弱いものいじめである。休業要請に応じた企業に対しては、263兆円から132兆円を差し引いた131兆円が補償財源となる。不動産賃貸料は18年度で27兆円、資本金1億円未満の小売業および宿泊・飲食業の売上高は123兆円であるから、おおむね1年の休業に対応できることになる。

 もちろん、企業が早急に内部留保263兆円を減資するのは無理である。20年かけて緊急事態に備えて内部留保を積み増してきたのだから、20年かけて減資をすればいい。国は企業の内部留保を償還原資とする263兆円の新型コロナ国債を発行する。もし、この案に反対するというのであれば、企業はまさかのときに備えて内部留保を蓄積してきたということも、会社は社会的存在で顧客や従業員、仕入れ先などの利害関係者を重視しなければならないと株主に言っていたこともうそだったことになる。

 「例外は原則より興味深い。正常は何物をも証明せず、例外がいっさいを証明する」(シュミット)。まさに企業と株主と主権者が試されているのである。減資に応じないというのであれば、マルクスがいうように地球が太陽に吸い込まれて人類がどうなろうと資本増殖をやめないのが資本家の本質だということになる。

「共生」は経済重視

 263兆円の減資が「出口戦略」であるが、同時に「新たな入り口」も必要だ。それではじめて「不正」を「有用」と偽ってきた20世紀に終止符を打ち、我慢した代償としての成果を享受することができる。ケインズは1930年に「自分自身に対しても、どの人に対しても、公平なものは不正であり、不正なものは公平であると偽らなければならない。なぜならば、不正なものは有用であり、公平なものは有用でないからである」と指摘した。資本は人類の救済のためにあるから、不正な資本蓄積も大目に見てきた。内部留保に課税する方法では不正を「有用」だと認めることになるので、減資によって返還すべきだ。

 このケインズの言葉は、シェークスピアの「マクベス」からの引用である。そうであるとすれば、ケインズとシェークスピアは近代を偽りの時代だと見抜いていたことになる。だから、「ベニスの商人」で法学博士に扮(ふん)したポーシャは慈悲をシャイロックに求めるが、契約を重視するシャイロックは拒否し、最終的に財産を没収され喜劇として幕を閉じた。シェークスピアや「利子生活者(資本家)の安楽死」を予言したケインズは資本主義の終わり方を提示していた。

 もし、新型コロナ収束後においてグローバル化(全地球化)は不可逆的であるとの立場をとり続ければ、次々と襲ってくる新しいウイルスに無防備となり、減資は何度も使えない。我慢の先に「ウイルスと共生する社会」と「新しい生活様式」を要請するのは、感染症対策よりも経済を重視する姿勢が透けてみえる。共生すれば、仕事の性格上テレワークができない人の命をウイルスにさらすことになる。26兆円の補正予算はすべて感染症対策など医療体制の充実に回すべきである。

「より近い」秩序へ

 本来あるべき「新しい生活様式」とは「より遠く、より速く」そして「もっと多く」を求めず、「より近く、よりゆっくり」する生活様式に改めることである。そうしなければ、いつ感染するかもしれないと明日を心配して生きていかなければならない。

 新たな入り口にはケインズのいう次の原則が掲げられていなくてはならない。貪欲は悪徳であり、高利の強要は不品行であり、貨幣愛は忌み嫌うべきものであり、そして明日のことなど少しも気にかけないような人こそが徳をもった人であるという原則である。この原則は資本を過剰に保有するゼロ金利社会でないと実現できない。

 資本が過剰であるからゼロ金利となる。能力増強の新規設備投資と純輸出が不要となり、労働時間が節約でき、余暇が増える。そこで初めてケインズのいう人間にとって真に恒久的な問題、すなわち「余暇を賢明で快適で裕福な生活のためにどのように使えばよいのか」という問題に取り組むことができる。そして国際秩序も当然変わる。EU(欧州連合)程度の小さいサイズを単位とした「より近い」単位での地域秩序が形成されていくだろう。日本の近隣外交も問われているのである。

 「シリーズ 疫病と人間」は随時掲載します。これまでにご登場いただいた京都大学長・山極寿一さん、アジア調査会会長・五百旗頭真さん、経済学者でノーベル平和賞受賞者のムハマド・ユヌスさん、生物地理学者で米カリフォルニア大ロサンゼルス校(UCLA)教授のジャレド・ダイアモンドさんの記事は、いずれもデジタル毎日の特集ページでご覧いただけます。

内部留保

 企業がため込んだ利益。日本全体では、財務省が発表する法人企業統計の項目の一つである利益剰余金(金融・保険業を除く)を指し、2018年度は463兆1308億円。前年度比3.7%増で、7年連続で過去最高を更新した。これまでも「課税して国の財源に」「労働者に賃金として還元すべきだ」といった議論が交わされてきたが、経済界は「既に工場や機械などの設備に充てられている」などと反論している。

ケインズ

 20世紀前半を代表する英国の経済学者(1883~1946年)。36年に著した「雇用・利子および貨幣の一般理論」で、29年の株価暴落から始まった世界恐慌を理論的に解明。従来の自由放任政策ではなく、政府が公共事業などで経済へ積極的に介入し、失業を解消することを提唱した。こうした理論は「ケインズ経済学」と呼ばれ、以後の経済学や経済政策に大きな影響を与えた。

水野和夫(みずの・かずお)氏

 1953年生まれ。経済学者。三菱UFJモルガン・スタンレー証券チーフエコノミスト、内閣官房内閣審議官、日本大国際関係学部教授を経て、法政大法学部教授。