久しぶりの旅行!調べたことをここに載せていく。

二条城

花見特集2017
元離宮二条城の桜
洛中きっての桜の名所・二条城。誰もが教科書で学んだ「大政奉還」から150年を迎えることからも、訪れておきたいスポットです。世界文化遺産にも登録され、いまや来城者は年間170万人を超えるほどに。広大な城内は、桜はもちろん、徳川幕府の栄華を物語る障壁画、庭園など見どころがいっぱい
白い城壁に桜のうす桃色が花を添える二条城。城全域で約50種類、約400本の桜が植えられています。唐門横の御所御車返し、清流園の仙台屋、八重紅しだれ桜、山桜群、桜の園の雨宿、佐野桜など、たくさんの種の桜を楽しむことができ、見ごたえがあります。ライトアップ情報
京都市中京区二条通堀川西入二条城町541 
南禅寺
石川五右衛門の「絶景かな」の台詞で有名な、歌舞伎「楼門五三桐」。その舞台ともなった三門を、華やかに桜木が彩ります。桜越しに望む三門を眺めたら、ここはぜひ楼上へ。見晴らしが良く、境内の桜景色を一望することができます。境内奥の水路閣付近の桜も見事です。
京都市左京区南禅寺福地町86 
哲学の道
銀閣寺から若王子橋まで疏水べりにつづく哲学の道。大正時代に橋本関雪の夫人が植えた約300本の桜が成長し、桜の名所になりました。関雪ゆかりの桜として関雪桜と呼ばれ親しまれています。満開の時期にはまるで桜のトンネルのようで、水面を流れゆく花びらは情緒たっぷりです。
京都市左京区銀閣寺町付近~若王子町付近の疏水沿い MAPで場所を確認する 哲学の道写真2
平安神宮
平安神宮の春は谷崎潤一郎の『細雪』、川端康成の『古都』の舞台にもなりました。栖鳳池(せいほういけ)に映る八重咲きの濃い紅しだれは感動ものの美しさ。津軽藩主が京都から仙台に移していた桜を造営時に里帰りさせたことから「里帰りの桜」とも呼ばれ、約150本が咲き競います。
 平安神宮写真2
清水寺 京都府京都市東山区清水1-294
清水の舞台で有名なお寺。舞台から眼下に桜を望んだあとは、奥の院へと足を向けて。そこからは、桜に包まれた舞台を眺めることができます。境内に咲くのは、山桜やソメイヨシノが併せて1000本ほどだそう。桜の雲に包まれたような雰囲気を楽しめます。ライトアップ情報はこちら。清水寺(京都府)写真1

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


花見特集2017


姫路城

世界遺産登録の名城と桜

国宝であり、世界遺産にも登録されている姫路城。城内にはソメイヨシノのほか、西の丸庭園にはシダレザクラ、ヤマザクラなど約1000本が植えられている。三の丸広場の桜並木や高台、姫山公園濠沿いなど見どころも多い。シーズンには観桜会などが催され大勢の人でにぎわう。

 

 

 

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自民党の「復古主義」を”忖度”し市民の意識とかけ離れた方向に進むのが止まらない。道徳教育の教科書で「職業差別」をしてどうするのだろう??
それに、小学生が和菓子屋なんて知ってるだろうか?パン屋さんの方がきっと断然人気があり、なりたい子どもも多いはず。なのに、この選択は??学校が窮屈な空間にならないよう祈りたいものだ。私の一番下のかわいい孫も今年小学生だ。

 


日本は早くから、よその国の料理を取り入れ、食文化を豊かにしてきた。パン食も定着し、近所にお気に入りのパン屋をお持ちの方もおられよう。ところがそんなパン屋が教科書からはじき出されたのだという。小学校道徳の教科書検定の結果、「にちようびのさんぽみち」との教材に登場していた「パン屋」が「和菓子屋」に変更された

学習指導要領が求める「我が国や郷土の文化と生活に親しみ、愛着をもつ」との点が不足すると文部科学省が指摘し、出版社が修正した。パン屋では日本らしさが欠けるということか。同様の理由で、公園の遊具が和楽器の店に差し替えられた

もう50年以上前だが、評論家の加藤周一が仏教伝来や洋服などを例に、日本は雑種文化であると論じた。「日本精神や純日本風の文学芸術を説く人はあるが、同じ人が純日本風の電車や選挙を説くことはない」と書き、偏狭な日本主義者を批判した

和菓子や和楽器にすがって国や郷土への愛を説くとすれば、滑稽というほかない。本質よりも体裁にこだわる大人たちの姿である。まさか反面教師としての教育の一環ではあるまい。朝日新聞社説 2017/3/29


 

 

 

天皇退位と憲法問題cover

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天皇退位と同時に大問題となっている女性皇族の将来。15歳の多感で聡明な少女には重すぎる課題だと思う。それでも愛子さんは素敵な自分の言葉を持っているようだ。


【全文】愛子さま 卒業文集に平和への思い記す
 卒業をひかえた冬の朝、急ぎ足で学校の門をくぐり、ふと空を見上げた。雲一つない澄み渡った空がそこにあった。家族に見守られ、毎日学校で学べること、友達が待っていてくれること…なんて幸せなのだろう。なんて平和なのだろう。青い空を見て、そんなことを心の中でつぶやいた。このように私の意識が大きく変わったのは、中3の5月に修学旅行で広島を訪れてからである。
原爆ドームを目の前にした私は、突然足が動かなくなった。まるで、71年前の8月6日、その日その場に自分がいるように思えた。ドーム型の鉄骨と外壁の一部だけが今も残っている原爆ドーム。写真で見たことはあったが、ここまで悲惨な状態であることに衝撃を受けた。平和記念資料館には、焼け焦げた姿で亡くなっている子供が抱えていたお弁当箱、熱線や放射能による人体への被害、後遺症など様々な展示があった。これが実際に起きたことなのか、と私は目を疑った。平常心で見ることはできなかった。そして、何よりも、原爆が何十万人という人の命を奪ったことに、怒りと悲しみを覚えた。命が助かっても、家族を失い、支えてくれる人も失い、生きていく希望も失い、人々はどのような気持ちで毎日を過ごしていたのだろうか。私には想像もつかなかった。
最初に71年前の8月6日に自分がいるように思えたのは、被害にあった人々の苦しみ、無念さが伝わってきたからに違いない。これは、本当に原爆が落ちた場所を実際に見なければ感じることのできない貴重な体験であった。
その2週間後、アメリカのオバマ大統領も広島を訪問され、「共に、平和を広め、核兵器のない世界を追求する勇気を持とう」と説いた。オバマ大統領は、自らの手で折った2羽の折り鶴に、その思いを込めて、平和記念資料館にそっと置いていかれたそうだ。私たちも皆で折ってつなげた千羽鶴を手向けた。私たちの千羽鶴の他、この地を訪れた多くの人々が捧げた千羽鶴、世界中から届けられた千羽鶴、沢山の折り鶴を見たときに、皆の思いは一つであることに改めて気づかされた。
平和記念公園の中で、ずっと燃え続けている「平和の灯」。これには、核兵器が地球上から姿を消す日まで燃やし続けようという願いが込められている。この灯は、平和のシンボルとして様々な行事で採火されている。原爆死没者慰霊碑の前に立ったとき、平和の灯の向こうに原爆ドームが見えた。間近で見た悲惨な原爆ドームとは違って、皆の深い願いや思いがアーチの中に包まれ、原爆ドームが守られているように思われた。「平和とは何か」ということを考える原点がここにあった。
平和を願わない人はいない。だから、私たちは度々「平和」「平和」と口に出して言う。しかし、世界の平和の実現は容易ではない。今でも世界の各地で紛争に苦しむ人々が大勢いる。では、どうやって平和を実現したらよいのだろうか。
何気なく見た青い空。しかし、空が青いのは当たり前ではない。毎日不自由なく生活ができること、争いごとなく安心して暮らせることも、当たり前だと思ってはいけない。なぜなら、戦時中の人々は、それが当たり前にできなかったのだから。日常の生活の一つひとつ、他の人からの親切一つひとつに感謝し、他の人を思いやるところから「平和」は始まるのではないだろうか。
そして、唯一の被爆国に生まれた私たち日本人は、自分の目で見て、感じたことを世界に広く発信していく必要があると思う。「平和」は、人任せにするのではなく、一人ひとりの思いや責任ある行動で築きあげていくものだから。
「平和」についてさらに考えを深めたいときには、また広島を訪れたい。きっと答えの手がかりが何か見つかるだろう。そして、いつか、そう遠くない将来に、核兵器のない世の中が実現し、広島の「平和の灯」の灯が消されることを心から願っている。

天皇・皇后の思いが通じている内容。安倍首相は「Shit!」と思っているに違いない。天皇制度はなくてもいいと思うけど、男子というだけの理由で変な「旧皇族」が皇位に就くより、愛子さんが良いと思う。かわいいし、賢そうだから。

 

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千葉の家では、九十九里町に小さな(といっても土地は200坪もある)家を買って、海水浴と野菜作りの拠点(となればいいけど。。。。)にするつもり。
海へほんの数分。沖にはサーファーが遊び、子供たちが砂浜を走る。広大な砂浜は春の陽気にたゆたい、遠浅の砂浜にはかわいい貝殻が落ちていた。
 ♫海は広いな大きいな♪
 
道路沿いには漁師町独特のレストランが

 

 
(別荘) 九十九里浜
 

九十九里町の名所

 

伊能忠敬記念公園

今度行きたいところ 山武市

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先日、教育勅語を今でも信奉する人は日本古来の神道を信ずる人が多く、「教育勅語は儒教なので水と油」(姜尚中氏)の評をみて”そうだ!”と思ったが、コトはそう簡単ではなかった。勉強が足りなかった。
姜尚中さん「教育勅語というものは本来、日本の神道とは水と油でこれは基本は儒教。もっとも中国的なことで、理解していないのが滑稽。多くの人が日本本来の伝統と勘違いをしているが、そういう点では彼らは愛国無罪と言いたいのだろうが愛国有罪になりかねない」

 「近代天皇論」ー「神聖」か、「象徴」か <片山 杜秀,  島薗 進 著> より
S: 後期水戸学の思想を江戸の宗教史のなかに位置づけると、それは神仏習合から神儒習合への転換の流れに入ってくるもの。
 江戸初期のキリシタン禁圧後、住民は(キリシタンではないことを証明するために)仏教寺院に所属し戸籍登録に相当することをしなくてはいけなくなる。次第に武士層の中に儒教、特に朱子学が広まっていく。禅を経由して儒教を学ぶという経過をとる。
 禅ももとは統合体制の権威の源泉という側面をもっていたが、修行に励む禅僧を見ているとどうしても個人主義的に見えてしまう。そこに違和感を覚え、人間関係を重視する儒教の中で、道義的な修養を求めるようになる。

K: 仏教は統治の学問にはならないということか。

S: もともと仏教は正しい社会秩序の根本理念、すなわち「正法」を提示するものと考えられていた。日蓮などに顕著。しかし、宋学と呼ばれる新しい儒学が興隆する東アジアの大きな変化の潮流を受けて、信長以来、社会理念の提示者としての仏教の機能を抑えたとみることができる。それを受けて、儒教の立場から仏教を批判するような潮流が江戸の早い時期から出てくる。

 その後、儒教が神道化していく。その代表が。山崎闇斎の提唱した垂加神道。儒学と神道を統合して、天と人との一体性が強調される。ここから儒教的な尊王愛国がひとつの思想として発展していく。

K: つまり、神儒習合という流れと、仏教軽視の流れが並行して起こっていくと。

S: はい、民衆の信仰もある局面では神道に傾いていくようになる。お伊勢参りもそう。もともとは仏教との結びつきが強い山岳信仰が次第に土地の神の性格を強め神格化していく。一部の山岳信仰など、仏教的要素が後退していく傾向が広がる。富士信仰、御嶽信仰などがその代表例。

 そのような流れで、江戸中期以降、仏教も儒教も外来のまがいものだと否定して、日本固有のやまとごころを明らかにしようとする国学という思想潮流が強まっていく。

K: 江戸期の思想というのは、いろいろな潮流が並行しているのでなかなか整理しにくい。儒教であれ、民衆の信仰であれ、仏教の影響や存在感が弱まっていくとみてよいか。

S: ひとつの見方として有効。儒学者が仏教は家族を大事にしないと批判したり、国学者が仏教はこの世の秩序をないがしろにしていると批判したりしている。

   しかし、さらに巨視的に見ると東アジアの仏教文化圏」というのは大乗仏教と儒教が組み合わさって支え合いながら緊張関係にある。つまり文明理念の構造が二元的。対照的に一元的なのが中世ヨーロッパやイスラム圏。

 ところが東アジアでは、世俗のトップが仏教に熱中することはあっても仏教とは別に王権の神聖化を司る儀礼や理念がある。基本的には儒教で、日本の場合はそこに神道も入ってくる。

 


これを書いたすぐあと、Twitterで島薗さんのretweetがあり、著者二人の対談がYouTubeにあることが判明!
『近代天皇論—「神聖」か、「象徴」か』刊行記念 トークイベント
「教育勅語」が前提とする神話的国体論が日本を破滅に導いいた。「失敗の本質」をどこに見るか。


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(国会見解)「衆参両院の正副議長は13日、天皇陛下の退位に関する法整備を巡り各党と個別に会談した。与党は退位を実現する特別立法「天皇陛下の退位等に関する皇室典範特例法」(仮称、特例法)の案を示し、民進党は大筋で容認する意向を表明した。正副議長は15日に合意案を提示し、17日の全体会議で正式合意する。退位の特例法は今国会で成立する見通しになった。」
「退位と皇位継承について特例法で規定し、皇室典範の付則に特例法と典範の関係を「一体をなす」との規定を置く。女性宮家創設などの安定的な皇位継承について政府に速やかな検討を求め、結論時期についても付帯決議に盛り込むよう各党の合意を促した。」

Copyright 毎日新聞


1 はじめに--立法府の主体的な取り組みの必要性
 「天皇の退位等」に関する問題を議論するに当たって、各党・各会派は、象徴天皇制を定める日本国憲法を基本として、国民代表機関たる立法府の主体的な取り組みが必要であるとの認識で一致し、我々4者に対し、「立法府の総意」をとりまとめるべく、ご下命をいただいた。
2 天皇陛下の「おことば」及び退位・皇位継承の安定性に関する共通認識・・・・・

 

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鎌倉案内のための参考資料をPin Up

 

 

 

 

 

 


[PDF][論説] 鎌倉における明応年間の「津波」について

sakuya.ed.shizuoka.ac.jp/rzisin/kaishi_29/HE29_209_219_Namikawa.pdf
 受付日 2014/01/11, 受理日 2014/07/08. – 209 -. 鎌倉における明応年間の「津波について. 鎌倉国宝館*. 浪川 幹夫. Tsunamis of the …. 料を同四年鎌倉に存在したとされる津波襲来に関連. 付けている. ….. 鎌倉大仏」は「国宝銅造阿弥陀如来坐像」といい,.

鎌倉国宝館 浪川 幹夫氏、2014 浪川論文PDF

 


<鎌倉の明応津波〜大仏殿は流されたのか? 萬年 一剛(神奈川県温泉地学研究所)2013>
鎌倉大日記 大仏殿と津波の関係について記述 した文献は幾つかありますが、ここ では最も重要な文献を一つだけ取り 上げて検討してみます。それは、「鎌 倉大日記」です。
鎌倉大日記は、誰かの日記のよう な名前の文献ですが、基本的には年 表の類で、治承四 (1180) 年から天 文八 (1539) 年に、主に東国で起き た事件を記した書物です。南北朝時 代の頃から書き継がれてきたと考え られていますが、執筆の経緯や著者 は不明、原本も残っていません。明 応の津波について取り扱っている書 物はこのほかにいくつかあります が、ごく最近まで江戸時代の文献し か知られてきませんでした(山本、 1989)。
江戸時代の文献と言うことは、明 応の津波について著者が体験した り、体験した人の話を聞いたと言う ことはあり得ません。つまり、「ま た聞き」、あるいは「伝言ゲーム」 の繰り返しの結果記されたというこ とになり、信頼度ではワンランクダ ウンです。それに実際のところ、そ うした江戸時代の文献も、鎌倉大日 記より詳しい記録がされているとい うわけでも無いのです。ですから、 鎌倉大日記くらいしか、検討に値す る文献が無いのです。
さて、鎌倉大日記にある明応津波 の記述は以下の通りです。 「明応四乙卯八月十五日、大地震、 洪水、鎌倉由比浜海水到千度檀、水 勢大仏殿破堂舎屋、溺死人二百余」。 これを現代語に訳すと、「明応四年 八 月 十 五 日(1495 年 9 月 3 日 )、 写真 1 鎌倉高徳院の大仏。手前に見える平たい石が大仏殿の礎石と言われる石。 観測だより 63 号,2013  9 大地震と洪水があった。鎌倉由比ヶ 浜の海水が千度壇に至った。水の勢 いが大仏殿の堂舎屋を破った。溺死 人は二百名あまりを数えた」という 風になります。
洪水となっています が、同じ日に地震と洪水が起きたと 言うより、地震とそれに続いて津波 が発生したと読むのが素直である、 と言うことは異存無いでしょう。
この記述は、「大仏殿が津波で流 された」という説の根拠になってい ますが、よく読むと津波が大仏殿を 流したと明確に書いているわけでは ありません。しかし、大仏殿に津波 が達して、被害を受けたと読もうと 思えば読める、なかなか微妙なとこ ろであります。

 

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「公人」か「私人か」って??公人に決まっている(「公的人物」が良いとか)。なのに本人は「こんなに目立つとは思ってなかった・・・」と、その自覚がない。
家庭内野党?嘘ばっかり。歴史認識なく民主主義の基本も知らず、人権感覚も全くない。科学的・論理的思考をしたことがない、気分やさんのお馬鹿さんぶりだけが目立つこの頃。(もう少ししたらきっと、困った”時の人”になる。)
その不思議な人の思考の回路を知る手がかりがあった。

辻本清美議員の「質問主意書」と回答(閣議決定)と関連資料

 

2017.3.7 本日、「安倍昭恵内閣総理大臣夫人の活動に関する質問主意書」に対する答弁書が閣議決定されました。 安倍昭恵さんとの「対談」と、その影響力、政治性について (西田亮平) ・・・(対談について)直接的な意味での「圧力」どころか、詰問口調での質問さえありませんでした。
さらにいえばちょっと拍子抜けというか、安倍昭恵さんはそれほどぼくに関心を持っていたというわけでさえなかったという印象です。というのも、形式的には先方から呼ばれて「対談」したことになると思いますが、なぜか「対談」は主に谷崎テトラさんとぼくから質問するというかたちで進行しました。
安倍昭恵さん本人からの質問はかなり少なく、ぼくのこれまでの仕事や主張に強い関心を持っておられる様子ではありませんでした。名刺代わりに『メディアと自民党』と『民主主義』を持参しましたが、これらの書籍の著者であることもあまり認識されていなかった様子でした(その意味でいえば「対談」して明らかになった安倍昭恵さんの関心との兼ね合いでいうなら、『無業社会』をお持ちすればよかったと少々後悔しています)。続きはPDF安倍昭恵さんとの「対談」と、その影響力、政治性について)

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