結婚式はひさしぶり。5年前の甥Kaz-chanの結婚式以来かな?次は誰かしら?厳粛なセレモニーのあとは、書棚などがある面白い雰囲気のバンケット・ルームでの披露宴。大きなテーブルに両家が並び、途中からは自由に交流。インテリジェンスのある両家(と思う)の交流は大変和やかな中にも丁々発止のやりとりありで、結婚式とは思えない楽しさでした。

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Hana-chanがバラの花びらを撒いて先導。すばらしい演出、感動!

 

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誰かのフラッシュでひかるHana-chan,So Cute!

 

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 おめでと、おふたり!!akichanwedding_102akichanwedding_43

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                                       披露宴の最中ですが、IT関係者Meetingのようでした。(上)

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Yatchan大活躍

 

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こちらはいつもおしゃれなKumi-san

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     親戚の方々や本人たちのあいさつや手紙の朗読なども、紋切型はひとつもなく率直で素直、飾り気がないのに格調高く感動。すっきりしたよい結婚式でした。将来は安泰か!

 

 

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披露宴Menu (Soupの写真が壊れました)                                                                                    akichanweddingmenu_49akichanweddingmenu_51akichanweddingmenu_52akichanweddingmenu_64akichanweddingmenu_75akichanweddingmenu_77akichanweddingmenu_82akichanweddingmenu_83akichanweddingmenu_84

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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もう40年も前のことだ。夏の終わりのあの日の朝早く、私の娘がこの世に来てくれた。それから40年、今もちょっと頼りないかわいい娘のままだ。

誕生日の思い出に、このページを。

 1976SeptKumi_baby
1976Sept_ 1979Nov 1977Granma
1979Nov_1 1981Age5Kumi  1999Mar
2005Jan 2004_1_Lune 2004July
2005Jan2 2002 2005May2
2005May3 2006Mar 2007_1Feb
2007Dec 2008Aug 2008Aug2
2008Aug3 2009Nov_ 2010Oct
2010Oct2 2012Jan 2012malaysia
2013Aug_hakone 2013Dec 2013May
2014Aug 2014Gyoen21 2015July
2015June 2016Aug_15 akichanwedding_15
1976.9 誕生 1979.11お宮参り・鎌倉宮 1977 亡き美しい祖母と
(鎌倉宮で) 1981  5歳のころ 1999 大学生に
2000    八王子駅で 2004.1 in Tokyo 2004.7  Atami with T-san
2005.4 Cherry Viewing 2005.5 サンフランシスコ 2005.5  S.F.
2005.5 サンフランシスコ 2006.3 鎌倉長谷寺 2007.2 鎌倉建長寺
2007.12 逗子マリーナ 2008.8 東京芝公園で 2008.8 美しい花嫁姿
2088.8  (披露宴で) 2009.11 Mari 8ヵ月 2010.10 新宿小田急
                (Mariも) 2012.1 龍華寺(横浜) 2012. in Malaysia
2013.8   箱根 2013.12 四谷自宅で 2013.5 横浜本牧
2014.8 鎌倉アマルフィイ 2014.4 新宿御苑 2015.7 椿山荘
2015 飯田橋サカス 2016.8 Happy Birthday 2016.9   Wedding Party

         

 

SimonもいるよMariSimonJuly_3

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ムラサキシキブは実がやや大きく、付き方も固まってはいない。ムラサキシキブより小ぶりのコシキブは、実が数個づつまとまっている。さらにコシキブに似たシロシキブを見つけた。

今回大巧寺で初めて見た【シロシキブ】

image一般名:シロシキブ(白式部)
学名:Callicarpa japonica f. albibacca
別名:コシロシキブ(小白式部)
分類名:植物界被子植物門双子葉植物綱シソ目クマツヅラ科ムラサキシキブ属
原産地:日本、朝鮮半島、中国 

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「コムラサキ」 の白色品種です。6~7月に真白な花を咲かせ、秋に白い実を多数つけます。

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Daigyoji2016Sep_3一般名:コムラサキ(小紫)
学名:Callicarpa dichotoma
別名:コシキブ(小式部) :
分類名:植物界被子植物門双子葉植物綱シソ目クマツヅラ科ムラサキシキブ属
分布:日本、朝鮮半島、中国
樹高:200~300cm 開花期:6~8月 成実期:9~12月

 

萩が咲き始めた。何という種だろう?
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大巧寺は小さいけど、ありきたりの寺ではない。彼岸花も白!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ミズヒキも白!!(ギンミズヒキ)

多年草
北海道~九州の山野の林のふちなどに多く生える。高さは40~80cm。ミズヒキの白花品種。花期は8~10月。
学名は、Persicaria filiformis f. albiflora
タデ科イヌタデ属

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彼岸花
学名    Lycoris Radiata
科・属名  ヒガンバナ科・ヒガンバナ属
英名     Spider lily
原産地  日本、中国
開花期  7~10月(原種は9月)
花の色  赤、白、ピンク、黄、クリームなど
別名
彼岸花(ヒガンバナ)、曼珠沙華(まんじゅしゃげ/かんじゅしゃか)
死人花(しびとばな)、地獄花(じごくばな)、幽霊花(ゆうれいばな)
剃刀花(かみそりばな)、狐花(きつねばな)、捨子花(すてごばな)
毒花(どくばな)、痺れ花(しびればな)、天蓋花(てんがいばな)
狐の松明(きつねのたいまつ)、狐花(きつねばな)
葉見ず花見ず(はみずはなみず)、雷花(かみなりばな)
レッドスパイダーリリー、ハリケーンリリー、マジックリリーなど

 

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久しぶりの日蓮宗大本山妙法寺。春みごとな海棠や梅も、夏はあまり元気がありません。青空が高くたかく、静まりかえっていました。

Myohonji_1  海棠の枝が少し色づいて、空と!Myohonji_2



 

 

 

 

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まだ残っていたハスの花

 

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長い夏休みでも、小学生ともなると学校の行事やプール、帰省など忙しいらしい。横浜は8月の終わりの花火大会の日になりました。それもバレエのレッスン後に出発したので、見たのは最後のスターマイン数発でした。(でも豪華でした!)

<家の中でかくれんぼ?>MariSimon2016Aug_3

 

 

 

家にTVのない二人の孫は、オリンピックの男子400mリレーで銀メダルを獲得した日本チームを知ってはいるものの映像で見るのは初めてらしく、目を輝かせ、ボルトのポーズや、日本チームの❝サムライ・ポーズ❞の真似をしました。

MariSimon2016Aug_5 サムライ・ポーズ ↑MariSimon2016Aug_7

 

 

ボルト選手!MariSimon2016Aug_9 MariSimon2016Aug_11

 

 

 

お!Mariの長い(く見える?)脚に注目!

 

 

 

 

 ママのお誕生日が近いので、ママの大好きな近くのレストランでランチしました。 

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こちらは、我が家での定番(夏冬同じ)朝食メニュー

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8/28ベランダでメダカを見たり、シャボン玉をしたりしました。

 「僕が呼んだから、メダカさんこっちチタヨ(来たよ)。メッダッカさ-ん、こっちーおーいーで!」Simonのかわいい声、忘れない。

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(あすを探る 憲法・社会) 生前退位、明確な基準必要 木村草太

 7月13日、NHKが天皇陛下の生前退位の意向を報じた。8月8日には、ビデオメッセージで陛下の「お言葉」が発表された。同日、安倍晋三首相は、お言葉を「重く受け止め」、「どのようなことができるのか、しっかりと考えていかなければいけない」と述べた。各種世論調査でも、生前退位を認めるべきだとの意見が圧倒的多数を占めている。今後、制度改正の動きが本格化するだろう。そこで、生前退位について考えてみる。

まず、法的な論点を整理しておきたい。憲法2条は、「皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する」と規定する。つまり、憲法は生前退位を禁じているわけではなく、皇室典範という法律を改正すれば足りる。生前退位のために改憲が必要との主張は誤解だ。

では、なぜ現在の皇室典範は、生前退位を認めていないのか。明治時代に旧皇室典範が制定されるまで、天皇の生前退位は珍しくなかった。明治政府の中にも、天皇の地位に就いた人がその任に適当でなかった場合に備え、生前退位を認めるべきだとの意見があった。しかし、院政や退位強制などの混乱を生ずる危険を重視し、生前退位を認めない形で旧皇室典範が制定された。

戦後、新憲法の制定により、天皇の地位は「統治権の総攬(そうらん)者」から「国家の象徴」へと変わり、新皇室典範が制定された。議会では、生前退位の可否も検討されたが、明治政府と同様に、退位した天皇が不当に政治的影響力を行使したり、政府が退位を強制したりする危険が重視され、旧皇室典範の内容が引き継がれた。

天皇の地位には特殊な政治的影響力がある。生前退位の政治利用を防ぐという極めて重要な目的のためには、生前退位を認めない制度にも合理性があろう。しかし、天皇といえども、一人の人間である。生前退位を認めるべきか否かは、天皇の人権の観点からも考えるべきだ。

憲法は、国民に対し、表現の自由(21条)や職業選択の自由(22条)など、様々な人権を保障している。しかし、天皇には、職業選択の自由もなければ、自由な表現活動や宗教活動もできない。憲法学説には、天皇は憲法上の権利を持たない特殊な身分だと説明する見解と、天皇も憲法上の権利を保有するが、象徴の地位にあるため権利行使が制限されると説明する見解がある。いずれにせよ、天皇が行使できる権利はほぼないとの結論に違いはない。

人権保障の理念からすれば、天皇の地位に伴う人権制約の負担は、できる限り少なくすべきだろう。憲法学者や法思想史学者の中には、以前から、生前退位を認め、天皇の地位に就く人の人権回復への道を開く必要があるとの主張があった。もっとも、生前退位の制度が、政治利用されることは絶対に防がなくてはならない。そのためには、生前退位のための明確な基準や厳格な手続きを設ける工夫が必要になるだろう。

とすれば、一代限りの特別法によって、現在の天皇陛下だけ生前退位を認めるのは好ましくない。明確な基準なしに退位を認めた前例を作れば、今後、特例法によって恣意(しい)的に退位を強制したり、皇位継承順位を変えてしまったりする危険を生む。生前退位を認めるなら、明確な基準と厳格な手続きを確立し、皇室典範にきちんと書き込むべきだろう。

今回の天皇陛下のお言葉を聞いて、国民統合の象徴として、「人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うこと」を大切にしてきたという高い倫理観に、尊敬の念を覚えた。しかし同時に、不安も感じた。国民の側から、後代の天皇にそうした高い倫理観を期待するようなことになれば、天皇にとってあまりにも過大な負担となる。

象徴天皇を維持したいのであれば、政治家は天皇の政治利用をしない、国民も過度な期待を押し付けない、そうした慎みが不可欠だろう。

(きむら・そうた 80年生まれ。首都大学東京教授・憲法。編著『いま、〈日本〉を考えるということ』など)

 

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まだ猛暑・・・と思っているのに、時おり涼しい風が吹く。大巧寺おんめさまのコムラサキが色づき始め、シュウメイギク、男郎花、吾亦紅が咲いていた。

 

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Daigyoji_2016_2 Daigyoji_2016_3シュウメイギクとは、キンポウゲ科の植物の一種。別名、キブネギク。名前にキクが付くが、キクの仲間ではなくアネモネの仲間。 Japanese anemone Daigyoji_2016_5

 

★オミナエシ (女郎花:科) 語源オミナは女、エシはメシ(飯)がなまった言葉といわれています。
黄色いオミナエシを粟花(あわばな)、白い花の オトコエシ を米花(こめばな)と呼び、女郎花、男郎花の漢字に当てました。

 

 

 

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久しぶりにVioce Trainingのクラスに行った。やっぱりうまくいかなかった。でも、去年秋に始めたころよりずっと声が出るようになった!それだけでとてもいい。うれしい。

 

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「クーデター」で立憲主義破壊 憲法学者、石川健治・東大教授に聞く

毎日新聞2016年5月2日 東京夕刊

 3日は憲法記念日。多くの国民が反対した安全保障関連法が成立してから初の記念日だけに、どこか重苦しさが漂う。会いたい人がいた。「現代憲法学の鬼才」と評される石川健治・東京大教授。市民団体「立憲デモクラシーの会」の呼びかけ人の一人である。節目を前に何を思うのか。【江畑佳明】
 ドアを開けた途端、懐かしい本のにおいを感じた。東大駒場キャンパス(東京都目黒区)にある「尾高朝雄(ともお)文庫」。尾高氏は元東大教授の法哲学者で、ここは石川さんの研究拠点の一つ。戦前に出版されたドイツ語やフランス語の哲学書や法学書などが、本棚に並ぶ。古典文献から得た幅広い知識を憲法論に生かす研究姿勢に加え、自著への書評で「鋭敏な時代感覚も持ち合わせている」などと高く評価される。
 「再び首相の座に就いた安倍晋三氏の政治手法には、日銀、NHKなどを含め、権力から独立してきた組織にお友達を送り込んで、その自律性を奪うなど、『違憲』ではないにしても『非立憲』的な姿勢が、当初から目立ちました。そこに憲法96条改正論議がでてきたわけですね」。石川さんは政権に対し、厳しい視線を向けているのだ。
 実は長年、忠実にある教えを守り、メディアの取材にはほとんど応じなかった。その教えとは「憲法学者は助平根性を出してはならない」。憲法学は政治と密接な関わりを持つ研究分野だからこそ、メディアなどで政治的な発言をするようになると、学問の自律性が損なわれかねない−−という意味だ。師と仰ぐ東大名誉教授で「立憲デモクラシーの会」の共同代表を務める樋口陽一氏(81)から受け継いだ「一門」の戒め。そもそもは、樋口氏の師で東北大名誉教授の清宮四郎氏(1898〜1989年)が説いた。戦後の憲法学の理論的支柱だった清宮氏は、こうも言い残したと、樋口氏から聞かされた。「『いざ』という時が来れば、立ち上がらねばならん」
 約3年前、石川さんは立ち上がった。2012年12月の政権発足直後、安倍首相が96条改憲を言い出したからだ。同条が定める改憲発議のルールについて、現在の「衆参両院の総議員の3分の2以上」から「過半数」の賛成で可能にしたいという。「憲法秩序を支える改正ルールに手をつけるのは憲法そのものを破壊することであり、革命によってしかなし得ない行為だ。支配者がより自由な権力を得るために、国民をだまして『革命』をそそのかす構図です」
 正直、今が師の教えである「いざ」の時かは分からないが、「ここで立たねば、立憲主義を守ってきた諸先輩に申し訳が立たない」という思いが全身を駆け巡った。
 立憲主義とは「憲法に基づく政治」「憲法による権力の制限」を意味する。なぜそれが大切なのか。石川さんは語る。「支配者は自らを縛る立憲主義のルールを外したがるものです。支配者を縛ることは、権力の恣意(しい)的な法解釈や法律の運用を防ぐという意味で、被支配者、つまり私たち国民すべてに利益がある。支配者による人権侵害を防ぎ、法律が国民に公平に適用される社会のために、立憲主義は不可欠なのです」
 「立ち上がる」決意を固め、新聞社からの依頼に応じて96条改正を批判する論文を寄稿すると、読者から大反響があった。講演やシンポジウムの演壇にも立ったり、インターネットテレビ番組に出演したりする機会が多くなった。
 96条改正は与党内部を含めた多方面の批判を浴びたため、政権は口をつぐんだ。ところがまたも立憲主義を揺るがす事態が起きる。それは14年7月、9条の解釈を変更し、集団的自衛権の行使を一部容認する閣議決定だ。
 「法学的には、クーデターです」。眉間(みけん)にギュッとしわが寄った。
 「従来の解釈は、国が当然に持つとされる個別的自衛権を根拠にして、自衛隊は9条で定めた『戦力』ではない『自衛力』だ、という新手の論理構成を持ち込むことで一応の筋を通していました」と一定の評価をして、こう続けた。

安保関連法反対を国会議事堂に向かって訴える人たち。反対の声はまだやんでいない=東京都千代田区で2016年4月29日、丸山博撮影

 「他方で、日独伊三国同盟のように共通の敵を想定して他国と正式に同盟を結ぶことは、9条によって否定された外交・防衛政策ですが、日米安保条約が次第に『日米同盟』としての実質的な役割を持つようになりました。その中で『同盟』の別名と言ってよい『集団的自衛権』を日本は行使できない、という立場は、現行の憲法の枠内で論理的に許容される“最後の一線”です。それを破ってしまったら、これまでに築かれた法秩序の同一性・連続性が破壊されてしまう。そういう意味で、正式な憲法改正手続きをとらずに9条に関する解釈の変更という形で、憲法の論理的限界を突き破った閣議決定は、法学的にみれば上からの革命であり、まさしくクーデターなのです」
 昨年の国会に提出された安保関連法案に反対する国民の声は大きく、石川さんも8月、国会前の抗議集会に参加し、マイクを握った。
 石川さんはもう一つ大きな問題があると指摘する。解釈改憲と安保関連法の成立は、安倍政権を支持する人々の勝利であり、9条を守りたい人々の敗北だ−と見る構図だ。「いや、そうではありません。私たち全員が負けたのです」と切り出した。「立憲主義は主張の左右を問わず、どんな立場を取る人にも共通した議論の前提です。安倍政権はこの共通基盤を破壊しました。だから私たち国民全員が敗北したといえるのです」
 国民が敗者−−。戦後、新憲法のもとで築き上げた共有財産が崩れたというのだ。大切な土台は突然破壊されたわけではない。安倍政権は13年8月、集団的自衛権行使に賛成する官僚を内閣法制局長官に登用した。「法の番人」の独立性を保つため長官人事に政治力を発揮しない、という歴代内閣の慣例を破った。さらに昨秋、野党が要請した臨時国会を召集しなかった。憲法は衆参どちらかの総議員の4分の1以上の要求があれば召集せねばならない、と規定しているにもかかわらず。「基盤」は破壊され続けている。

安保法は「国民の敗北」 最後の一線指摘

 熊本地震後には、緊急事態条項を憲法に加えるべきだという声が自民党から出ている。石川さんはまたも立憲主義が脅かされることを危惧する。「大災害のような緊急事態が起こることはあり得るけれども、それには災害対策関連法で対応できます。緊急事態条項の本質は一時的にせよ、三権分立というコントロールを外して首相に全権を委ねること。これも立憲主義の破壊につながりかねない。『緊急事態に対応するために必要』という表向きの言葉をうのみにせず、隠された動機を見ねばなりません」
 石川さんは「憲法を守れ」とだけ叫ぶことはしない。「日本国憲法は権力の制限や人権尊重を最重要視する近代立憲主義の上に成り立っています。『政権がそれ以上踏み込めば立憲主義が破壊される』という、越えてはいけない最後の一線はここだと指摘し続けることが、僕の役割だと思っているのです」
 憲法学者の毅然(きぜん)とした覚悟と誇りを見た。

いしかわ・けんじ
 1962年生まれ。東京大法学部卒。旧東京都立大教授を経て、2003年から東大教授。著書に「自由と特権の距離」、編著に「学問/政治/憲法」など。

 

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