コロナなのに、また東京までオソルオソル出かけた。久しぶりのメサイア全曲。BCJでは初めてかな?テノール桜田さんの美声に感動。Every Valleyが美しかった。加来さんの The Trumpet shall sound. では聴衆の目と耳を釘づけ。私は加来さんの後ろから見た演奏スタイルにかなり感動。席の隣の人も、帰り道で立聞きのひとも「トラペット」の話題だった。目立ちすぎてよいのか、わからないけど圧巻の演奏だった。BCJの素晴らしさは、個々人の能力とアンサンブルの完璧さ!!鈴木優人さんが舞台の「そこ」にいたのも楽しかった。娘には「東京に来るなんて!」と厳しく叱られた。

2024 Suntry Hall Stream 配信での加来さんの雄姿

Twitterより

The trumpet shall sound

  クリスマス・イヴの六本木のEmptiness!

  Messiah 対訳

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今の日本はどこへ行こうとしているのか?桜を見る会を巡る問題点を解いていくと、単なる”Akie枠”の問題ではないことがいよいよ見えてくる。   <毎日新聞の論考より> 2020.Jan.


「桜を見る会」は「憲法違反」「平等、知る権利阻害」 木村草太氏指摘 

安倍晋三首相の「桜を見る会」には「公的行事の私物化」「公選法違反ではないか」など、多岐にわたる批判が相次いでいる。憲法学者の木村草太・首都大学東京教授は「法の下の平等や、国民の知る権利を阻害しており、憲法違反の疑いがあります」と訴える。 FULL TEXT


「合法的」に公文書を隠蔽する政権のたちの悪さ 瀬畑 源氏 

首相主催の「桜を見る会」を巡る問題では、公文書である招待者名簿を、内閣府が会の約1カ月後、野党議員が資料請求した昨年5月9日にシュレッダーで廃棄したことにも批判が集まった。バックアップデータも復元されず、不適切な人物を招待した疑惑も検証できないままだ。公文書管理に詳しい瀬畑源・成城大非常勤講師は「公文書管理法の理念を無視し、抜け道を使って合法的に隠蔽(いんぺい)した。政治倫理的に極めて問題だ」と指摘し、文書がないことを理由に説明責任を果たさない政府の姿勢に疑問を投げかける。 FULL TEXT


味方なら「いい思い」敵なら「冷や飯」安倍政治の本質を可視化 内田樹氏

この「桜」問題、どう見ていますか。◆安倍晋三首相の、戦後日本の自民党政治の中でも極めて特異な政治手法が、この桜を見る会で可視化されたと思います。◆自民党が長期にわたって与党でいられたのは、イデオロギー政党であるよりは、広範な国民の欲求を受け入れる国民政党を目指してきたからです。できるだけ多くの国民の支持を得たいという希望を捨てたことはない。そのためには、野党とも妥協する。国論を二分するような政策的対立はできるだけ避けようとしてきた。・・・


1/20から国会論戦が始まった。でも、恐ろしいことに、どんなに攻められても責められても「へのかっぱ」論理が通じない、通じないことを気づいているのかいないのか、バカ丸出しでも「知らんぷり」の怖さ。日本は危険かもしれない。


(2020.Dec 23) Abeの国会での118回の虚偽答弁が検察と国会の調査で知られることとなり、「サクラ問題」が論議されている。

 12/25 Abeが国会で追及を受けた」

Abeの曲解「赤木ファイル公開に寄せて」 2021/6/30 朝日新聞南記者の記事

大阪地裁が国に存否を明らかにするよう求めたことで、国会にもようやく提出されることになりましたが、提出された6月24日、安倍さんが産経新聞のコラムの写真を添えて、ツイッターで次のような投稿をしました。<《この赤木氏は明確に記している。✿ 「現場として(森友学園を)厚遇した事実はない」 この証言が所謂「報道しない自由」によって握り潰されています。》――@AbeShinzo>

たしかに、518ページにわたる「赤木ファイル」には、以下のような記述があります。<本省において、議員説明(提出)用に、決裁文書をチェックし、調書の内容について修正するとの連絡受。本省の問題意識は、調書から相手方(森友)に厚遇したと受け取られるおそれのある部分は削除するとの考え。現場として厚遇した事実もないし、検査院等にも原調書のままで説明するのが適切と繰り返し意見(相当程度の意思表示し修正に抵抗)した> 安倍さんが強調した「現場として厚遇した事実もない」という記述については、朝日新聞をはじめ、主要な新聞が報じている内容であり、「報道しない自由」によって握り潰されているということはありません。 Full Text

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2010年ごろ, Ann John Em Simon Kenとでホワイトハウスへ行った!見学コースの廊下に歴代大統領の肖像画が飾られていた。その中で、なぜかJFKだけ、下を向いたポーズだった。案内の人に勇気を出してなぜほかの人と違うのか質問したら、「急に亡くなったので肖像画用の写真がなかったから(ではないか?だったかもしれない)」と。悲しい気持ちになったものだった。


Sad JFK

Elena B.からもらったWhite House のクリスマスデコレーションの記事で付いていたVideoを見たら、その肖像画の映像が!!ずっと見たいと思っていたものが突然目に飛び込んできた。うれしいSurpriseだ。

Christmas : Mrs. Obama VS Mrs. Trump

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ヒマラヤスギとイチョウの木が重なって見えた!

きれい!!

ずっといるのに、大学構内にも気づかない景色、樹木、アングルがある!

 Early12/24-Mid Winter 12/24

カフェテリアの奥の山にあるイロハモミジ
コロナ対応カフェ

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加来徹がソリストを務めるのでコロナ感染者激増の中勇気を出して(?)みなとみらいのコンサートホールへ。前2列は空席にしてたので最前列で加来さんの美声と雄姿が見られると楽しみにしてたけど、ソリストは中盤というか後列にいた!Orchestraの崔さんの今にも椅子から落ちそうな演奏ぶりと広上淳一の息、唸り声、靴音はよく聞こえたけど、加来さんのお声がちょっと遠かったのが残念。大好きな林美智子さんなんて全く見えなかった。小林沙羅さんも西村さんももっと近くでお声をお聞きしたかった!演奏は大迫力で感動的だった。二期会合唱団16名の合唱は大変良かった。オーケストラでは管楽器が弱い(Berlin Philばかり聞いてるからかな?)交響曲第1番も侮りがたい素晴らしさだった。

みなとみらい、Queen’s Towerのイルミネーションも心なしか地味目?

Last part

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西公園の整備も進み、茅葺の屋敷が移設される準備が進んでいる。M氏邸跡の更地も3か月ほど前には市に所有者が移転したようで整備が進んでいる。

2021年春

2021/8/16

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次回は3/27、4/3,、5/9のどれか。印象派作曲家を取り上げることになった(!)

FrenchLes roses d’IspahanChanson de printempsConnais-tu Le Pays?
(German)Im wunderschönen
Monat Mai
Japaneseバスの歌(大中恩)春のメドレー
French Italian  
FaureGouodTostiHandelRossini
Après un rêveSerenade du PassantAprileCh’io mai vi
possa lasciar d’amare
Una voce poca fa
Les roses d’IspahanChanson de printemps  
 Les Temps des Roses  
French, Italian songs
German Lied
SchubertSchumannStraussDvorakMozart
Frühlings-glaubeIm WesternZueignungMein Lied 
ertont 
Sehnsucht nach dem Frühling 
Winterreise
1. Gute Nacht
Lied der
Suleika
Mit deinen blauen AugenRings ist 
der Wald 
so stumm 
und still
Das Veilchen
5. Der LindenbaumIm wunderschönen
Monat Mai
Als die Alte MutterVedrai, carino
6 (7) WasserflutAus meinen Tränen
sprießen
 
11(21) Frühlings
traum
Die Rose, die Lilie, die
Taube, die Sonne
 
21(17) Das WirtshausIch grolle
nicht
Schumann 
22(23) MutUnd wüßten’s die Blumen,
die kleinen
Du Ring an meinem Finger   
-German Lieds
EnglishJapanese
Scarborough Fair丹 澤
Bridge over
troubled water
北秋の
The roseかなしくなったときは
(大中恩作曲)
Sometimes I Feel Like a
Motherless Child
初恋
Summertime 
Deep River 

音楽にも「印象派」(”女性のひろば”より)3/10

Next Songs in PDF

 これ!面白い。

 琉球列島への3万年前の人類到達 偶然の漂着ではない 2020/12/4

 約3万年前に琉球列島に住み着いた祖先たちは、黒潮に流されて偶然漂着したのではなく、意図して島へ航海した「開拓者」だった可能性が高い。そんな論文を東京大などのグループが3日、科学誌サイエンティフィック・リポーツに発表した。海洋調査用の漂流ブイの経路などを詳しく分析した結果、「漂流説」が強く否定されたという。

 琉球の島々には3万年前ごろの旧石器時代の遺跡が点在し、人が台湾やフィリピン方面から海を渡ってきたと考えられている。人が移住するためには、10万年以上前からほぼ流路が変わっていない世界最速級の海流、黒潮を横切らなければならない。

漂流ブイの例=Global Drifter Program/Lagrangian Drifter Laboratory, Scripps Institution of Oceanography, University of California San Diego提供

グループは、海に流して位置や水温などを計測する漂流ブイに着目。米海洋大気局などに集まる世界各地のデータから、1989年から2017年に台湾東岸やルソン島北部から流された138個の経路などを調べた。

分析した138個の漂流ブイの経路。台湾とルソン島から流されて黒潮を横切ったブイは6個だった=グループの郭天俠さん提供

 大多数は黒潮を横切れず、台湾の北方海上や中国大陸の方へ向かった。黒潮を横断した6個はいずれも台風や強い季節風の影響を受けていた。人が無事に航海するのは難しい気象条件と考えられた。また8個は九州やトカラ列島付近まで達したが、2~3週間かかるため人が舟の上で生き続ける可能性も小さいと思われた。

 新しい島で人口を維持するには少なくとも男女計10人程度が必要という。漂流する舟に男女がうまく乗り合わせて島に到達する確率は極めて低いと結論づけた。

 一方、ブイの中には台湾などへ再び漂着したものもあった。舟で漂流しながら生還した人が経験を基に航海の知識を身につけ、人々の中に蓄積されたとも考えられるという。

2019年に台湾から与那国島へ渡った丸木舟による航海実験の様子(「3万年前の航海 徹底再現プロジェクト」提供)

 グループは昨年、国立科学博物館が主導した「3万年前の航海 徹底再現プロジェクト」で、5人乗りの丸木舟による台湾から与那国島への航海を成功させている。海部陽介・東京大総合研究博物館教授(前国立科学博物館人類史研究グループ長)は「漂流説がほとんどあり得ないことを、初めて説得力を持って示せた。海を渡った祖先は、意図的な移住に挑戦した開拓者というイメージが適切だろう」としている。

Palaeolithic voyage for invisible islands beyond the horizon

Abstract

How Palaeolithic maritime transportation originated and developed is one of the key questions to understand the world-wide dispersal of modern humans that began 70,000–50,000 years ago. 

However, although the earliest evidence of maritime migration to Sahul (Australia and New Guinea) has been intensively studied, succeeding development of Paleolithic maritime activity is poorly understood. Here, we show evidence of deliberate crossing of challenging ocean that occurred 35,000–30,000 years ago in another region of the western Pacific, the Ryukyu Islands of southwestern Japan. 

Our analysis of satellite-tracked buoys drifting in the actual ocean demonstrated that accidental drift does not explain maritime migration to this 1200 km-long chain of islands, where the local ocean flows have kept the same since the late Pleistocene. 

Migration to the Ryukyus is difficult because it requires navigation across one of the world’s strongest current, the Kuroshio, toward an island that lay invisible beyond the horizon. This suggests that the Palaeolithic island colonization occurred in a wide area of the western Pacific was a result of human’s active and continued exploration, backed up by technological advancement.

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Introduction

The rise of voyaging technology beyond nearshore boating was a key for early modern humans to exponentially expand their habitable territory on the globe. 

Maritime migration to Sahul (a combined continent of Australia and New Guinea), which occurred about 47,000 years ago or earlier, is the oldest accepted evidence for open ocean crossings by modern humans1,2,3,4,5, and has been central to such discussion. 

There is growing consensus that the colonization of Sahul was a consequence of deliberate voyages, based on theoretical considerations and circumstantial evidence such as the need of repeated sea-crossings, a more or less large number of immigrants needed to establish a viable population, and archaeologically demonstrated advanced maritime adaptation including pelagic fishing4,6,7,8,9 (but see ref.10 for a contrary view). 

Although the exact seaway taken by these Palaeolithic voyagers still remains undetermined, at least one main route ensured visibility of target islands all through the course to Sahul11,12,13,14. The densely distributed large islands and the warm sea surface temperature of Wallacea (eastern Indonesia) were advantageous for these earliest voyages.

However, the western Pacific holds other areas with evidence of sea crossings during the Marine Isotope Stage 3, which are equally important to understand the developmental processes of early maritime technology and activity. 

The Ryukyu Island Arc in southwestern Japan (Fig. 1) is particularly interesting in this context. Here, archaeological sites found on six different islands suggest that maritime migration occurred ~ 35,000–30,000 years ago both from north (via Kyushu) and south (via Taiwan)15

Migration to these islands is challenging. The islands are small, of low elevation and not all are intervisible. Moreover, one of the world’s largest and strongest ocean currents, the Kuroshio, intervenes the water way (Fig. 1).

Fig. 1

「滝川人」って何??  2020/8/17

 日本列島人類史の冒頭を飾る📍港川遺跡(沖縄県八重瀬町)。旧石器時代人の全身骨格がまとまって見つかった点で、世界でもまれな遺跡だ。この「港川人」が発見されたのは50年前、1970(昭和45)年8月だった。

 人骨は、📍フィッシャーと呼ばれる🔹石灰岩の割れ目から出た。沖縄本島は隆起したサンゴ礁でできた石灰岩で覆われている。港川遺跡は良質な石灰岩の採石場だった。FULL TEXT