日本初の人権宣言とされる「全国水平社創立宣言」の起草者、西光(さいこう)万吉(1895~1970年)が画業にも秀でていたことを知る人は、多くない。 生誕130周年にあたる今年、これまで美術界で顧みられることがなかった西光の作品を特集する展覧会「西光万吉の表現」が、奈良県御所市の水平社博物館で開かれている。FullText


1969年、市役所市民局で(局では珍しい「窓口」担当のような仕事もあり)、「神奈川県山北町」から横浜市役所に陳情に訪問される部落解放同盟の幹部さんの応対をしていた。山北町には、部落解放同盟神奈川県連合会の拠点(または関係施設, 足柄上郡山北町岸1149)があった。もうお名前は忘れてしまったが、その真剣な表情は忘れられない。

<勉強>

松本治一郎(まつもとじいちろう)

 部落解放運動だけではなく、47年労農運動救援会(日本国民救援会の前身)の委員長に就任。自由人権協会の設立にも参画、副会長、のち会長を務めた。53年には日中友好協会の結成大会で初代会長に就任。多くの国際会議にも出席した。インドのネール首相や被差別カーストの指導者アンベードガルとも会談し、〈世界の水平運動〉と称する国際連帯の活動を進め、諸外国との友好親善に努めた。とくに中国の指導者であった周恩来とは親しく、その平和5原則、アジア・アフリカ会議の平和10原則は、松本の信条である〈不可侵不可被侵〉の具体化であった。64年内閣の第1回生存者叙勲にあたり勲1等を授与するとされたが拒否した。著書は「部落解放への三十年」(1948)など。

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私の人生に中で出会ったもっとも面白い魅力的な人のひとり、ミルカ・モラさん。その人が私のことを書いてくれた本が手元に戻ってきた。オーストラリア、メルボルン、パリ、ユダヤ人、画家・artistを思う時いつも彼女を思い出した。kumikoも「ミルカさんに会って愉快だった」という。

Mirka Madeleine Mora (née Zelik) (18 March 1928 – 27 August 2018(aged 90)) was a French-born Australian visual artist and cultural figure who contributed significantly to the development of Australian contemporary art. Her media included drawingpaintingsculpture and mosaic.

フリンダース駅の横にあるMirkaのモザイクの壁画」・・・以前は駅の構内にあったけど・・・

City of Melbourne/@cityofmelbourne
Vale Mirka Mora, a true Melburnian. If you’re one of the one million people walking past Flinders Street station today, please keep a look out for the glorious mural Mirka painted there in 1986.

Mirka Mora(ミルカ・モーア)のThe teacherエキシビション

OKAPPA ノ ススメ

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1996,7~2,000年ごろ、仕事で良く通った英国大使館。大使館と大使公邸が日本の一等地に堂々たる姿で立ち現れていた。時代の流れで今はその一部が壊され、跡地にマンションが建つという。

いつもこの左の門から入った。構内を歩いておられた Sir David Wright大使に「丸茂さん!」と言われたことがあった。

英大使館跡地から弥生時代の集落 説明会開かずマンション建設へ(毎日新聞の記事)2023/12/4

 東京都千代田区一番町の英国大使館跡地から弥生時代の集落跡が見つかったことが千代田区への取材で分かった。見つかったのは三菱地所レジデンス(東京都)などが再開発を進めている土地で、縄文時代のものも含めこれまでに竪穴住居跡が28棟確認された。ただ、遺跡として現地に残すことは難しい見込みで、調査後に埋め戻されてマンション建設が始まる予定。現地説明会も開かれない。都心における遺跡活用の難しさを改めて浮き彫りにした。

「国民公園皇居外苑半蔵門園地」「以前、大使館で使われていた門柱も受け継いで利用した。」

 大使館の敷地は、1872年から英国に貸与され、2013年の賃料は約8,100万円だった。15年8月、日本は敷地の8割を英国に譲渡し、残りが返還された。(東京新聞)

再開発の候補は超高級マンションだ。立地を生かし、広い間取りの住宅になる場合、1戸あたりの販売価格は数十億円になりそうだ。(不動産新聞)

BIC Project

BIC took in its first tenant—RS Components Ltd.—in 1997. The following January, the centre was formally opened by Tony Blair, then-British prime minister, in a ceremony attended by the British ambassador to Japan, the mayor of Yokohama and the president of Nomura Real Estate.

Meanwhile, BIC is, sadly—to all intents and purposes—defunct. According to Nomura Real Estate, there is but one tenant left in the centre.

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2年ぶりにやっと見た美しい桜、本物のさくら。それも2013-2021まで9年間飽かず眺めた桜だった!どの桜も思い出深く心にしみた。青い空がこのうれしい日を飾ってくれた。

こんな美しいキャンパスで仕事をしていたんだ!と改めて思った。

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2019年のブログで書いた「1年に一回だけ作る報告書の印刷を頼みに行くのは横浜駅西口のK店」へ、たぶん私の最後の仕事で行ってきた。予想した通り店長さんは代わっていた。本店へ移られたとか。ちょっと残念だけど大いにほっとした。


仕事をしてるとちょっと楽しいことがある…(2019,20)

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仕事で久しぶりに横浜馬車道、海岸通りへ。その前に完成した「横浜駅」に入ってみたけど地下道は特に何の変哲もない地下街だった!Mujiがあったので大好きな文具を買った。More’sへの通路が立派だったけど行ってみる時間がなかった。

横浜郵船ビル。海岸通りだなぁ!
旧横浜正金銀行ビルを保存しての建物

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