早春の梅(2) 龍華寺 2020
こちらは庭園整備が進む。寒風の中薄着で梅だけを見たくて行ったけど運よく(?)住職さんにお会いしてご説明をお聞きして長く散策したので、その日はずーっと寒かった!!でも、梅はきれいだった。
門のそばの白梅もみごと。水仙もあちらこちらに咲いています。
シクラメンも・・・・。
こちらは庭園整備が進む。寒風の中薄着で梅だけを見たくて行ったけど運よく(?)住職さんにお会いしてご説明をお聞きして長く散策したので、その日はずーっと寒かった!!でも、梅はきれいだった。
門のそばの白梅もみごと。水仙もあちらこちらに咲いています。
シクラメンも・・・・。
定点観測、安立寺。今年もちょっと遅れてしまった。年々ちょっとずつ季節を追うのも感覚が遅くなり、追い付かないのかな?と思ったりする。それとも、今年は少し早めだったというし・・・・。 2020/2/9
先日、YCUの先生に指摘を受けた「アーリア民族」に関する私の知識不足を埋めるべく少しずつ勉強中。 『ナチスは、「適者生存」に関するダーウィン進化論に基づいた社会ダーウィン主義の見解』( Holocaust Encyclopediaより)によりドイツ「アーリア」人種 なる概念を考案し、 『ユダヤ民族はドイツの内外両方における最大の敵』とした。( 同 )それでは、そもそもドイツ人(なるもの)とは何なのか?研究することにした。
「アーリア民族」とは何か、どこで生まれ、どこへ移ったのか?
「ヴァーグナーの「ドイツ」―超政治とナショナル・アイデンティティのゆくえ」を読んで調べたこと
音楽によって「真のドイツ」を打ち立てようとした作曲家リヒャルト・ヴァーグナー。三月革命や統一戦争で国家の輪郭が激しく揺れ動いた時代、複数の「ドイツ」がせめぎあうなか、超政治としての芸術を実践した彼の「ドイツ」はいったいどこに向かったのか。19世紀ドイツのナショナリズムを新たに問い直す音楽史。
2年前バルト3国へ旅行した時にワグナーが住んでいた(1837-39)住居の中を見学した! ワグナー通り(の奇跡) Riga ✈ Trip to the Baltics (Riga) 9/11
「ワーグナーの歌劇な部屋」より。1836 :歌劇「恋愛禁制」をマグデブルクで初演するが失敗。ケーニヒスベルク劇場と契約。ミンナ・プラーナーと結婚。1837:ケーニヒスベルク劇場の指揮者に任命される。リガ(ロシア領)の町劇場と契約。1839 :リガ劇場解職。パリに移住。1841 :歌劇「オランダ人」完成。1843 :歌劇「オランダ人」ドレスデンで初演。王室ザクセン宮廷指揮者に就任。とあった。マグデブルクはベルリンの西南 旧東ドイツ地域、エルベ河畔にある都市。ケーニヒスベルクはバルト海に近いリトアニア,ラトヴィアでさえぎられているロシア領の飛び地の都市(ソ連時代はカリーニングラード)そしてリガである。
Wikiより; 1837年にはドレスデン、さらに帝政ロシア領リガ(現在のラトビア)と、劇場指揮者をしながら転々とした。ドレスデンでエドワード・ブルワー=リットンの小説『ローマ最後の護民官リエンツィ』を翻訳で読み、台本スケッチにした。1839年3月、リガの劇場を解雇された。7月、債権者から逃れたワーグナー夫妻はロンドンへ密航した。この時に暴風に襲われ、『さまよえるオランダ人』の原型となった。


2回目の「冬の旅」全曲演奏。素晴らしい出来だった。椅子を使っての独特の演出が素敵。目の前で歌う加来さん、声の出し方、体のポジション、動き、表情をじっと観察。実に自然に歌うのがプロらしかった。どこに息を吹き込めばあんなに大きな響く声がでるのだろう。頭部だって顔だってあんなに小さい・・・。不思議。魔法のBodyだ。長年の鍛錬で楽器のように作り上げたBodyだ。
高円寺駅は久しぶりだった。
Kenの一家が受験で多忙、そこで残りのメンバーでMarieの受験勉強も兼ね年末年始を奈良・京都で過ごすことになりました。思いがけず気楽な楽しい旅になりました。でも、観光客でごった返す道を若い人たちと連日15,000歩以上歩くのは時に辛く年齢を考えさせられる旅でもありました!
京都の訪問地はすべてSimonの選択によります。この日は伏見稲荷がご指定でした!
周辺の山はもうすぐ春の風情!
http://inari.jp/trip/map01/ (周辺のマップ)
京都市街散策、白山、祇園へ

祇園花見小路通は多くの人で大賑わい
京都駅







その他・資料集
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