昨年11月のモンゴル人力士による暴力事件で、私が好きだった日馬富士が引退した。それよりも問題なのは日本相撲協会のGovernance の未熟さ。でも、暴力を受けた側の親方である貴乃花に問題がないかといえば、それもなかなか・・・。別の問題があるようだ。
週刊誌の記事より。(「こんな”悪文”を書く人、見たことない」の例として。

インタビューに無言を通し批判されているが、無口が一番と本人も自覚しているのだろうか。どんな決着となるのか気になる・・・。

貴関のメール原本(?)記事はこちら;

相当ヘン! 文章力なし、頭脳不明晰、おそらくご自分が何を言っているか理解していない?残念。


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Everyone in Trumpworld Knows He’s an Idiot

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今年は政府の音頭で「明治150年」を「祝う」動きがある。復古主義でなく、そこで生きていた人たちの苦境、理想、思いを考える年にしたいと思う。

戊辰戦争から150年 相互理解の時代へ
2018年1月1日 (朝日新聞より)
 1868年、徳川の世を終わらせた新政府軍(西軍)は、幕府を支えてきた会津に向けて進軍し、県内各地で激戦が繰り広げられた。その戊辰戦争から今年で150年。戦火を交えた双方で、相手の思いを理解しようという試みが始まっている。一方、敗れた旧会津藩士が入植した北海道では足跡の風化が進む。1世紀半の時間は歴史のページを着実に進めている。
 「家訓(かきん)は会津藩士の心のよりどころになったものだね」「その重要性が伝わるように展示しないと」
 西軍・土佐藩の城下町、高知市にある県立高知城歴史博物館で、3月からの特別展「明治元年の日本と土佐 戊辰戦争それぞれの信義」の準備が進められている。会津藩初代藩主・保科正之が徳川家への忠誠を定めた家訓や、奥羽越列藩同盟の盟約書の写し、会津藩降伏の式典で敷かれた「泣血氈(きゅうけつせん)」も福島県内から運ばれ、展示される。
学芸員の高木翔太さん(30)は「大切な物をよく貸していただいた。本当に感謝している」と話す 館長の渡部淳さん(55)によると、高知県で旧幕府側の史料がこれだけまとまって展示されるのは初めてではないかという。「相手も含めた全国的な視点がないと、何が起きて、どういう日本がつくられたのか見えてこない」
 高知県は鹿児島、山口、佐賀の各県とともに「平成の薩長土肥連合」を結成し、観光キャンペーンを展開している。その中で、高知県内の博物館など歴史関連施設は「連絡協議会」を結成。それぞれの施設が「幕府側の立場にも注目しなければならない」といった意識で企画を練っているという。
 県立坂本龍馬記念館(高知市)は7月から戊辰戦争の特別展を開催する。7月28日には会津藩士の埋葬に関する新史料を発表した元会津図書館長の野口信一さん(68)の講演会を開く。主任学芸員の亀尾美香さん(45)は「土佐など西国では離れていることもあり、戊辰戦争を含め、福島のことを知らない人が多い」と話す。「空気感や体温のようなものを知るには、実際に会って話を聞くのが一番。会津の人たちがどのように考えているのか、わかり合いたいです」 渡部さんはこう語る。「100年では無理だった。150年でやっと協力できる機運が出てきたのだと思う。当時の立場の違いを越え、改めて近代日本を考える契機になる展示にしたい」
 1/1に集めた資料 こちら

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歌は楽しい、難しくてきびしいけど楽しさの方が大きい。だから続けられる。次の曲はPiacer D’amor とCaro mio benの予定だったけど、先生からのお勧めでSchumanにも挑戦できることになった。
第1回目はドイツ語の発音でつまずいたけど、少しずつ進むしかない。Fisher-Dieskauさまの発音で勉強している♫(Apple Music) 恐れ多い。

12/28 急遽KeyをF dur に上げることになった!

★Die Lotosblume(Heine)ピアノ伴奏


2018/2/6
練習は今のところ順調に進んできている。「秋にはオペラを歌えるといいわね。歌える。」との言葉を励みに少しずつでも、頑張ろうと思う。なんといっても楽しいから。
Bernarda Fink; “Die Lotosblume”; Robert Schumann
2020/11/7用レッスン 1回目 2020/9/16
9/22 自分で練習中
2020/11/7 Concert German Lieds

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夜の銀座なんてわざわざ行くこともないので思わずうれしくなり写真を撮りました。渋谷や新宿、横浜駅付近のチャラチャラ感がどうしても出てしまう場所とは異なり、身振りもしとやかに上品にまとめようという姿勢(!)は感じました。
   
   
   
 
   
 
わっ!Mikimotoと焼き芋屋さん!
Eriさんコンサートはこちら  Top Pageへ

 
11/11(月)未明、Nobel Academy のサイトで授賞式の模様を食い入るように見ていた。
Kazuo Ishiguroさんは、身体とたたずまいは日本人、言語と身体の動きはHalf British/Half Japanese のような感じで、穏やかでにこやかな表情で、楽しそうに嬉しそうに賞を受けた。喜ばしい瞬間だった。
 
でも、その前に平和賞を受賞した ICAN (International Campaign to Abolish Nuclear Weapons) のベアトリス事務局長(Beatrice Fihn)のスピーチが超過激、直截的・感動的で驚きだった。日本人被爆者Thurlow節子さんのスピーチも力強く、会場に感動を広げた。世界に声を拡げるものだったと思う(拍手) スピーチ原稿(こちら)


The Sveriges Riksbank Prize in Economic Sciences in Memory of Alfred Nobel 2017 Richard H. Thaler
Richard H. ThalerさんPhoto: University of Chicago/Anne Ryan
もう一つ、おかしみとともに感動したのは、経済学賞を受けた米国の受章者が舞台で思わず見せた涙。正直そうで可愛らしく、VTRを戻して何度も見てしまった。どの受章者も人生をかけた挑戦を長年たゆみなく続けた人で、それだけで十分人を感動させるのだと思った。

 


こちらは、受賞後の夕食会でのIshiguroさんのすばらしいスピーチ:

Kazuo Ishiguro – Banquet Speech

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いよいよNobel Weekが近づいてきた。一番の楽しみはKazuo Ishiguroさんが何を話すか。日本人ではないけれど日本で生まれ、それを懐かしみ、日本にルーツがあることを誇りにする人。

Decent Manの見本のような人。
スウェーデンに到着し、ストックホルムで講演を行ったときの模様を伝える新聞記事を保存。

Kazuo Ishiguro ‘very touched’ by Japanese reaction to Nobel Win

DEC 7, 2017  JIJI, KYODO

LONDON – British author Kazuo Ishiguro, winner of the 2017 Nobel Prize in literature, said Wednesday he was happy to learn that people in Japan celebrated his recognition.
Ishiguro was born in Nagasaki in 1954 and moved at age 5 to Britain, where he still lives and writes in English.Read More →

旧米沢藩出身としては、忠臣蔵の解釈には反対だ。殿中で”切り付けた”方が英雄で、切り付け”られた”方が悪者なのは理不尽である!!と言い続けるのだが、ドラマの影響、判官びいきのせいで多勢に無勢だ。でも、この頃はときどきこの騒動を科学的に分析しようとする記事を見る。うれしい。

江戸城内で突然、斬りつけた浅野内匠頭は強迫性障害だった? 現代の医師が診断(AERAより)

『戦国武将を診る』などの著書をもつ日本大学医学部・早川智教授は、歴史上の偉人たちがどのような病気を抱え、それによってどのように歴史が形づくられたことについて、独自の視点で分析。医療誌「メディカル朝日」で連載していた「歴史上の人物を診る」から、赤穂藩主・浅野長矩を診断する。
*  *  *
【浅野長矩(1667~1701年)】
毎年、暮れになると腹の立つことがある。
各局で放映される忠臣蔵である。気の毒な吉良上野介義央は没後300年以上にわたりどうして毎年悪役として殺され続けなければならないのか。
そもそもの始まりは、2年ほど前に遡る。
弥生も半ば春の陽差しが射し込む元禄14年(1701年)3月14日、江戸城松の廊下でとんでもない事件が起きた。将軍徳川綱吉が勅使を饗応する儀式の責任者である播州赤穂5万3000石藩主・浅野内匠頭長矩が、梶川与惣兵衛と立ち話をしていた高家筆頭吉良上野介義央に「この間の遺恨覚えたるか」と叫んで斬りつけたのである。
■犯行の背景は
浅野本人が吟味の席で「乱心にあらず。かねて遺恨あり」と述べているが真相は藪の中である。犯行の背景には(1)吉良に賄賂を持っていかず恥をかかされた(徳川実紀)、(2)赤穂の塩が吉良の塩に販売競争で負けた(尾崎士郎)、(3)接待費用を節約し叱責された(三田村鳶魚)、(4)吉良が浅野の室に横恋慕(仮名手本忠臣蔵)などの説があるが、いずれも根拠は薄い。
内匠頭は田村右京大夫邸で即日切腹。享年34。当然ながら、吉良はお咎めなしである。
実際、この事件での被害者に何の落ち度もない。浅野内匠頭の罪名は現在で考えても明らかに殺人未遂罪であり公務遂行中の事件でもある。「殿中にて刃傷に及べば切腹・死罪」という法があり、裁判(目付・近藤平八郎と多門伝八郎による訊問)を経て処刑されている。
勿論、判決当日とはあまりに拙速という批判もあろうが、当時として適切な法手続きは行われたと言ってよい。そもそも特権的に武士のみに携帯を許された短刀を抜いて、公の場で上司の殺害を企てたわけであり、その場で斬り殺されても文句は言えない。切腹についても、武士としての名誉ある死の方式であり、内匠頭の名誉を傷つけたとは言えない。

 

 

 

 

2013年、GTTで吉良邸跡を訪問。この説を唱えたが、理解した人は少なかったと思う。

■何が彼をそうさせたか
侍医である寺井玄渓日記には浅野には「痞え(つかえ)」の持病があり、事件の3日前に薬を調合したとしている。精神科医の小田晋は「腹部発作と不機嫌症状を伴う軽いてんかん発作があったのではないか。痞えの持病に吉良の意地悪によるストレスが加わり、鬱積爆発反応が起きたのではないか」としている。同じく精神科医の中島静雄は「浅野内匠頭は典型的な統合失調症で、吉良は通り魔殺人の被害者に過ぎない」としている。
浅野長矩は事件の7年前に重病で寝込み、弟大学長広を跡継ぎに定めて分家させたという記録はあるが、痙攣発作や異常行動の記録はない。ただ彼には妙に潔癖で融通の利かないところがあり、筆者には強迫性障害(OCD)があったのではないかと考える。
OCDは徐々に発達していく障害で、気分が良い時には無症状だが何か問題が起きたり不安を感じた場合に強迫観念や強迫行為、衝動行動などが発生する。OCDの原因は多様だが、遺伝や脳障害、特にセロトニン・ニューロンの異常が知られる。
OCDの増悪過程には、身体的要素に加えて学習的な要素があり、重症化していく。長矩が初めて勅使饗応役を行った17歳の時の強烈な体験が頭を離れず、事件を起こした元禄14年の準備で細かいことを何度も吉良に聞き、吉良も面倒くさくなって適当にあしらったため、逆恨みで切れたのではないか。
OCDは本人にとってはどうすることもできないので強い無力感を感じる。内匠頭が、従容として切腹の申し渡しを受けたということに矛盾しない。現在なら、向精神薬や行動療法でコントロールできるだろうが、漢方主体の江戸時代医学では(仮に蘭方でも)治療は困難であろう。
さて、気の毒なのは路頭に迷うことになった家臣たちである。御家再興の望みが絶えた翌年12月14日、吉良邸に大石内蔵助ら47人が討ち入り、上野介を討ち果たす。しかし、江戸時代であっても、私刑が許されるわけはなく、これは集団テロ以外の何物でもない。本来私闘の禁止のためにあった「喧嘩両成敗」で事件を論じること自体がナンセンスであろう。

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