英国の旧友
3/19 懐かしの心の友Sさんからの突然のEmail message 「今横浜にいるので、いる間にお茶しよう」と。そして今日3/21、ロンドンで20 年ぐらい前South Kensington のホテルを訪ねて来てもらって以来の感動の再会だった。体が動かないのは残念だけど、おかげで尋ねてきてくれる人も多くなりうれしい限りだ。良き友情は年を経ても変わらないことを知り、本当にうれしかった。Mさんの”Ake‥ファン次々とお見えになり,今までと違う生活で楽しいでしょう!”のことばが有難い。 ★ 「上海の旧友」 ★★ 11/20 Norwayからの便り
Hi Ak・・ How are you? Long time since I contacted you but I am visiting Yokohama at the moment. Would you like to have a coffee and chat together? Hope to see you.


目が回る忙しさで話をした。中国本土の人と、香港人、台湾人の3国についてのそれぞれの感慨、意識。韓国人と日本人の(敵対する微妙な)関係について英国人として思うこと。コリアンの”恨”の思想など。韓国では鳥はsing ではなくweepだそうだ。でも、時間が足りなかった!私たちのリハビリのこと、歩行杖の名称と形状(w)、彼の世界旅行のこと、Covidで兄を亡くされたこと、「後退」に関する英語では”regress”は trend で、”set back”がtemporal moveのことなので、set back が良いらしい。なんと賢くなったことか!私の英語は”go backward”or “becomes worse” だった。それからEngland人は野球には関心なし、Clicketが20%ほどとか。それから菜の花の英語名はナントrapeだと。
「上流階級の金持ちさんなので、来るには及ばぬと言ったのですが、おもしろいから行く、見知らぬところを一人で尋ねるのがチャレンジだからと。」「おもしろいってなんですか😁」「日本の小さい家とか?」「早めに着いて、(3/21)11:00に来ました♪」「(WBC)野球はそっちのけで面白い話をしました。」「ダンディーなお客様で、春のアフターヌーンティーパーティーですね☕」✨「〇さんも素敵なマダムに写っています✨」
It was lovely to see you again! And thank you for your lovely gift. It is a very nice memory!





Our History
2019 :Cyboze 2017:Ashumorian 2012: Phone call (2005: extablish Oxford Office) 2004:University issue
University of Cambridge MA, Economics 1975 – 1978 (age68?)
香港人の民族意識にとっての「日本」 銭 俊華
香港住民の大部分は華人であり、華人として1は伝統的な中国文化を身につけているだけではなく、近現代の中国史に対し、民族意識も持っている。日本に関する戦争記憶が喚起されるたびに、香港で日本に対して反発が起きることは珍しくない。(中略)
1980 年代や 1990 年代に生まれた香港人は、それ以前の人々と異なる。香港の最も好況な時期に育ち、香港大衆文化を享受し受け継ぎ、香港との経済格差がまだ大きい中国大陸に対する帰属感が相対的に小さかった。さらに 2010 年以降、中国大陸人観光客の大量流入が、香港人の日常生活に影響を与え続けて、「中港矛盾(中国大陸人と香港人の矛盾)」がしばしば発生している。さらに、基本法第 23 条の立法の試み、「国民教育」科目、「普教中」(広東語の代わりに、普通話(中国語標準語)で中国語文(日本の国語科目にあたる)を教える)政策の導入、「ニセ普通選挙」(親中派主体で構成された指名委員会の過半数の推薦がなければ、立候補できない)の決定により、香港人、特に若い世代は中国政府からの圧迫、あるいは「中国化」の進行を感じている。このような動きに反発し、香港人自らのアイデンティティを強化し、本土」という理念を唱える動きが生まれている。なかには、「中国人」ではないと自らを定義する「脱中国化」の傾向もある。「脱中国化」する傾向がある人々や本土派は、よく親日の立場から中国を批判し、あるいは香港を主体として香港戦や「重光記念日」を強調する。つまり、日本に関わる戦争記憶は、従来と同じく香港人の民族意識を喚起するメカニズムであると同時に、逆に香港人が民族意識から離脱するメカニズムにもなってきた。本論文を土台として、さらに本土勢力や民間がいかに「日本」に関する戦争記憶を再構築し、各々の政治主張を支えるかを将来の研究の視野に入れたい同時に、香港政府は香港が中国に返還されてから、香港を主体とする歴史観とイギリスに関する記憶を除き、中国政府に合わせ、中国を主体とする歴史観を、日本に関わる戦争記憶に導入し、「中華人民共和国民族意識」を香港人に伝えている。
日本に関わる戦争記憶は、まるで「中国化」に抵抗する人々と香港政府の「記憶の戦場」になり、それぞれの立場からのアイデンティティを確立する武器になっている。

韓国大統領を務めた金大中は、著書『金大中哲學與對話集——建設和平與民主』のなかで、以下のように述べている[5]。韓国の文化は「恨」の文化です。
私たちの民族は憂患と苦難の民族であり、「恨」は挫折を味わった民族の希望、「恨」は挫折を味わった民族の夢を実現するための準備なのだと思います。確かに私たちは、歴史のなかで「恨」とともに生きてきたことは事実です。…しかし、常に自分自身を慰め、励まし、その結果、未来に向かって生きていくことができた。私たちの民族は、畑の雑草のように、踏みつけられ、そして蘇る。 …韓国人は2000年間、文化的アイデンティティを捨てなかった。…韓国人は、大きな苦難に耐え、あらゆる方法で忍耐してきた。
(english translated by Google) Kim Dae-jung, who served as the President of South Korea, said in his book, “Kim Dae-jung Cheolgak Confederation: Construction Peace and Democracy“[5].
“ Korean culture is a culture of ‘grudge‘. Our nation is a nation of sorrows and hardships, and ‘grudge’ is the hope of a nation that has suffered setbacks, and ‘grudge’ is the preparation for realizing the dreams of a nation that has suffered setbacks. It is true that we have lived with “grudges” throughout history. …But I always comforted and encouraged myself, and as a result, I was able to live towards the future. Our people, like weeds in a field, will be trampled and reborn. …For 2,000 years, Koreans have not given up their cultural identity. … Koreans have endured great hardships and persevered in every possible way.
11/20 Norwayからの便り
また来年からも日本に来る、来れるかもしれないとの嬉しい便り。何とラッキーな私。これを励みに頑張ろう!!

Goodbye “our” Vermont House
It is, of course, Ann’s house, but it was/is our house, too. The house is now on sale today. We share enoumous amount of fond and precious memories at/on that house!











































遠いところに住むかけがえのない友
どっちが大事? ”総務省放送法文書” vs WBC
国会会期中に表現の自由についての大問題が明るみになったというのに、世の中大谷_Darvish_Nootber_Feaver。
3/20 大谷の鼓舞から始まった!吉田の四球、村上の決勝打、周東の劇的サヨナラホームインを一気見せ!【侍ジャパンvsメキシコ】WBC2023 マイアミ・ローンデポパーク


放送法の解釈を「放送の自由を保障する法」から「(時の政権の気に入らない)放送を規制する法」に捻じ曲げた2015年の経過が明らかになった問題。Journalist青木さんの記事から引用。
文書の内容は、当時、安倍氏の首相補佐官だった礒崎陽輔氏が放送法の「政治的公平性」についての解釈を変えようと総務省に働きかけたというもの。これにより、従来は『放送事業者の番組全体を見て判断する』とされてきたテレビ局の政治的公平性に、『一つ一つの番組を見て全体を判断する』という新たな解釈が加わった。礒崎氏は3日、ツイッターで「総務省と意見交換をしたのは事実」と、総務省に働きかけたことを認めたが、青木氏はこう問題視する。
「時の政権の一員である首相補佐官の礒崎氏が総務省に迫り、文書にもあるような“ヤクザ”まがいの恫喝も交え、民主社会の根本たる言論・表現や報道の自由に関する法令解釈変更を裏で迫るのは大問題
です」
3/12 「サンデー・モーニング」(毎日)
田中優子・法政大名誉教授は、礒崎元首相補佐官が「コメンテーター全員が同じことを述べている」と指摘した点を取り上げ、「コメンテーターは、それぞれ職業も経験も異なり、おっしゃることの角度や言葉、表現も違うはずだ」と反論した。その上で「同じだという根拠は述べていないのにそう感じたということは、頭の中が『自分と同じ意見』『自分と違う意見』を入れる二つの引き出しでできているからではないか。自分と違う意見は全部同じに聞こえるということではないか」と痛烈に批判。その他の人の意見





百人一首(続き)
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- 11.わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ あまのつり舟 (参議篁)
- 12.天つ風 雲のかよひ路 吹きとぢよ をとめの姿 しばしとどめむ (僧正遍昭)
- 13.つくばねの 峰より落つる みなの川 こひぞつもりて 淵となりぬる (陽成院)
- 14.陸奥の しのぶもぢずり 誰ゆゑに 乱れそめにし われならなくに (河原左大臣)
- 15.君がため 春の野に出でて 若菜つむ わが衣手に 雪はふりつつ (光孝天皇)
- 16.立ち別れ いなばの山の 峰に生ふる まつとし聞かば 今帰り来む (中納言行平)
- 17.ちはやぶる 神代もきかず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは (在原業平朝臣)
- 18.住の江の 岸による波 よるさへや 夢の通ひ路 人めよくらむ (藤原敏行朝臣)
- 19.難波潟 みじかき葦の ふしの間も あはでこの世を 過ぐしてよとや (伊勢)
- 20.わびぬれば 今はた同じ 難波なる みをつくしても あはむとぞ思ふ (元良親王)
- 21.今こむと 言ひしばかりに 長月の 有明の月を 待ちいでつるかな (素性法師)
- 22.吹くからに 秋の草木の しをるれば むべ山風を 嵐といふらむ (文屋康秀)
- 23.月みれば 千々に物こそ 悲しけれ 我が身ひとつの 秋にはあらねど (大江千里)
- 24.このたびは ぬさもとりあへず 手向山 紅葉のにしき 神のまにまに (菅家)
- 25.名にしおはば 逢坂山の さねかづら 人に知られで くるよしもがな (三条右大臣)
- 26.小倉山 峰のもみぢ葉 心あらば 今ひとたびの みゆき待たなむ (貞信公)
- 27.みかの原 わきて流るる いづみ川 いつみきとてか 恋しかるらむ (中納言兼輔)
- 28.山里は 冬ぞさびしさ まさりける 人めも草も かれぬと思へば (源宗于朝臣)
- 29.心あてに 折らばや折らむ 初霜の おきまどはせる 白菊の花 (凡河内躬恒)
- 30.ありあけの つれなく見えし 別れより 暁ばかり 憂きものはなし (壬生忠岑)
- 31.朝ぼらけ ありあけの月と 見るまでに 吉野の里に 降れる白雪 (坂上是則)
- 32.山川に 風のかけたる しがらみは 流れもあへぬ 紅葉なりけり (春道列樹)
- 33.ひさかたの 光のどけき 春の日に しづ心なく 花の散るらむ (紀友則)
- 34.誰をかも 知る人にせむ 高砂の 松も昔の 友ならなくに (藤原興風)
- 35.人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の 香に匂ひける (紀貫之)
- 36.夏の夜は まだ宵ながら 明けぬるを 雲のいづこに 月やどるらむ (清原深養父)
- 37.白露に 風の吹きしく 秋の野は つらぬきとめぬ 玉ぞ散りける (文屋朝康)
- 38.忘らるる 身をば思はず 誓ひてし 人のいのちの 惜しくもあるかな (右近)
- 39.浅茅生の 小野の篠原 しのぶれど あまりてなどか 人の恋しき (参議等)
- 40.しのぶれど 色に出でにけり わが恋は 物や思ふと 人の問ふまで (平兼盛)
- 41.恋すてふ わが名はまだき 立ちにけり 人知れずこそ 思ひ初めしか (壬生忠見)
- 42.契りきな かたみに袖を しぼりつつ 末の松山 波越さじとは (清原元輔)
- 43.あひ見ての のちの心に くらぶれば 昔は物を 思はざりけり (権中納言敦忠)
- 44.あふことの たえてしなくは なかなかに 人をも身をも 恨みざらまし (中納言朝忠)
- 45.あはれとも いふべき人は 思ほえで 身のいたづらに なりぬべきかな (謙徳公)
- 46.由良のとを 渡る舟人 かぢを絶え ゆくへも知らぬ 恋の道かな (曾禰好忠)
- 47.八重むぐら しげれる宿の さびしきに 人こそ見えね 秋は来にけり (恵慶法師)
- 48.風をいたみ 岩うつ波の おのれのみ くだけて物を 思ふころかな (源重之)
- 49.みかきもり 衛士のたく火の 夜は燃え 昼は消えつつ 物をこそ思へ (大中臣能宣)
- 50.君がため 惜しからざりし 命さへ 長くもがなと 思ひけるかな (藤原義孝)
- 51.かくとだに えやはいぶきの さしも草 さしも知らじな もゆる思ひを (藤原実方朝臣)
- 52.明けぬれば 暮るるものとは 知りながら なほうらめしき 朝ぼらけかな (藤原道信朝臣)
- 53.嘆きつつ ひとり寝る夜の 明くるまは いかに久しき ものとかは知る (右大将道綱母)
- 54.忘れじの 行く末までは かたければ 今日をかぎりの 命ともがな (儀同三司母)
- 55.滝の音は 絶えて久しく なりぬれど 名こそ流れて なほ聞こえけれ (大納言公任)
- 56.あらざらむ この世のほかの 思ひ出に 今ひとたびの 逢ふこともがな (和泉式部)
- 57.めぐりあひて 見しやそれとも 分かぬまに 雲がくれにし 夜半の月かな (紫式部)
- 58.ありま山 ゐなの笹原 風吹けば いでそよ人を 忘れやはする (大弐三位)
- 59.やすらはで 寝なましものを さ夜更けて かたぶくまでの 月を見しかな (赤染衛門)
- 60.大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみも見ず 天の橋立 (小式部内侍)
- 61.いにしへの 奈良の都の 八重桜 けふ九重に にほひぬるかな (伊勢大輔)
- 62.夜をこめて 鳥のそらねは はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ (清少納言)
- 63.今はただ 思ひ絶えなむ とばかりを 人づてならで 言ふよしもがな (左京大夫道雅)
- 64.朝ぼらけ 宇治の川霧 たえだえに あらはれわたる 瀬々の網代木 (権中納言定頼)
- 65.恨みわび ほさぬ袖だに あるものを 恋にくちなむ 名こそ惜しけれ (相模)
- 66.もろともに あはれと思へ 山桜 花よりほかに 知る人もなし (前大僧正行尊)
- 67.春の夜の 夢ばかりなる 手枕に かひなく立たむ 名こそ惜しけれ (周防内侍)
- 68.心にも あらでうき世に ながらへば 恋しかるべき 夜半の月かな (三条院)
- 69.あらし吹く み室の山の もみぢ葉は 竜田の川の 錦なりけり (能因法師)
- 70.さびしさに 宿をたち出でて ながむれば いづこも同じ 秋の夕暮れ (良暹法師)
- 71.夕されば 門田の稲葉 おとづれて 葦のまろやに 秋風ぞ吹く (大納言経信)
- 72.音にきく たかしの浜の あだ波は かけじや袖の ぬれもこそすれ (祐子内親王家紀伊)
- 73.高砂の をのへの桜 咲きにけり 外山のかすみ 立たずもあらなむ (前中納言匡房)
- 74.憂かりける 人を初瀬の 山おろしよ はげしかれとは 祈らぬものを (源俊頼朝臣)
- 75.契りおきし させもが露を いのちにて あはれ今年の 秋もいぬめり (藤原基俊)
- 76.わたの原 こぎ出でてみれば 久方の 雲ゐにまがふ 冲つ白波 (法性寺入道前関白太政大臣)
- 77.瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に あはむとぞ思ふ (崇徳院)
- 78.淡路島 かよふ千鳥の 鳴く声に 幾夜ねざめぬ 須磨の関守 (源兼昌)
- 79.秋風に たなびく雲の たえ間より もれ出づる月の かげのさやけさ (左京大夫顕輔)
- 80.長からむ 心も知らず 黒髪の 乱れてけさは 物をこそ思へ (待賢門院堀河)
- 81.ほととぎす 鳴きつる方を ながむれば ただありあけの 月ぞ残れる (後徳大寺左大臣)
- 82.思ひわび さてもいのちは あるものを 憂きにたへぬは 涙なりけり (道因法師)
- 83.世の中よ 道こそなけれ 思ひ入る 山の奥にも 鹿ぞ鳴くなる (皇太后宮大夫俊成)
- 84.ながらへば またこのごろや しのばれむ 憂しと見し世ぞ 今は恋しき (藤原清輔朝臣)
- 85.夜もすがら 物思ふころは 明けやらで 閨のひまさへ つれなかりけり (俊恵法師)
- 86.嘆けとて 月やは物を 思はする かこち顔なる わが涙かな (西行法師)
- 87.村雨の 露もまだひぬ まきの葉に 霧立ちのぼる 秋の夕暮れ (寂蓮法師)
- 88.難波江の 葦のかりねの ひとよゆゑ みをつくしてや 恋ひわたるべき (皇嘉門院別当)
- 89.玉のをよ たえなばたえね ながらへば 忍ぶることの 弱りもぞする (式子内親王)
- 90.見せばやな 雄島のあまの 袖だにも 濡れにぞ濡れし 色は変はらず (殷富門院大輔)
- 91.きりぎりす 鳴くや霜夜の さむしろに 衣かたしき ひとりかも寝む (後京極摂政前太政大臣)
- 92.わが袖は 潮干に見えぬ 沖の石の 人こそ知らね 乾くまもなし (二条院讃岐)
- 93.世の中は つねにもがもな 渚こぐ あまの小舟の 綱手かなしも (鎌倉右大臣)
- 94.み吉野の 山の秋風 さ夜ふけて ふるさと寒く 衣うつなり (参議雅経)
- 95.おほけなく うき世の民に おほふかな わが立つ杣に すみぞめの袖 (前大僧正慈円)
- 96.花さそふ 嵐の庭の 雪ならで ふりゆくものは わが身なりけり (入道前太政大臣)
- 97.こぬ人を まつほの浦の 夕なぎに 焼くやもしほの 身もこがれつつ (権中納言定家)
- 98.風そよぐ ならの小川の 夕暮れは みそぎぞ夏の しるしなりける (従二位家隆)
- 99.人もをし 人も恨めし あぢきなく 世を思ふゆゑに 物思ふ身は (後鳥羽院)
- 100.百敷や ふるき軒端の しのぶにも なほあまりある 昔なりけり (順徳院)
https://www.samac.jp/search/poems_list.php
百人一首の歌番号順に並べた一覧です。歌と作者名をよみがな付きで記載。各歌の歌番号から、詳細ページにリンクしています。詳細ページでは、意訳などのほか、歌の読み上げも聞けます。
表の最後に、競技かるた序歌の「難波津に~」も加えました。
ほかに、むすめふさほせ(暗記グループ)と、種類順、決まり字と語呂合わせの一覧もあります。(上記の水色部分)
番号 | 歌 | 作者 |
001 | 秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ わが衣手は 露にぬれつつ | 天智天皇 てんぢてんのう |
002 | 春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香具山 | 持統天皇 じとうてんのう |
003 | あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の 長々し夜を 独りかも寝む | 柿本人麿 かきのもとのひとまろ |
004 | 田子の浦に うち出でてみれば 白妙の 富士の高嶺に 雪は降りつつ | 山部赤人 やまべのあかひと |
005 | 奥山に 紅葉踏み分け 鳴く鹿の 声聞く時ぞ 秋は悲しき | 猿丸大夫 さるまるだゆう |
006 | かささぎの 渡せる橋に おく霜の 白きを見れば 夜ぞ更けにける | 中納言家持 ちゅうなごんやかもち |
007 | 天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも | 阿部仲麿 あべのなかまろ |
008 | 我が庵は 都の辰巳 しかぞ住む 世をうぢ山と 人はいふなり | 喜撰法師 きせんほうし |
009 | 花の色は 移りにけりな いたづらに 我が身世にふる ながめせし間に | 小野小町 おののこまち |
010 | これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関 | 蝉丸 せみまる |
011 | わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ 海人の釣り舟 | 参議篁 さんぎたかむら |
012 | 天つ風 雲の通ひ路 吹き閉ぢよ をとめの姿 しばしとどめむ | 僧正遍昭 そうじょうへんじょう |
013 | 筑波嶺の 峰より落つる 男女川 恋ぞつもりて 淵となりぬる | 陽成院 ようぜいいん |
014 | 陸奥の しのぶもぢずり 誰ゆゑに 乱れそめにし 我ならなくに | 河原左大臣 かわらのさだいじん |
015 | 君がため 春の野に出でて 若菜摘む 我が衣手に 雪は降りつつ | 光孝天皇 こうこうてんのう |
016 | 立ちわかれ いなばの山の 峰に生ふる まつとし聞かば 今帰り来む | 中納言行平 ちゅうなごんゆきひら |
017 | ちはやぶる 神代も聞かず 龍田川 唐紅に 水くくるとは | 在原業平朝臣 ありはらのなりひらあそん |
018 | 住の江の 岸に寄る波 よるさへや 夢の通ひ路 人目よくらむ | 藤原敏行朝臣 ふじわらのとしゆきあそん |
019 | 難波潟 短き芦の 節の間も 逢はでこの世を 過ぐしてよとや | 伊勢 いせ |
020 | わびぬれば 今はた同じ 難波なる みをつくしても 逢はむとぞ思ふ | 元良親王 もとよししんのう |
021 | 今来むと いひしばかりに 長月の 有り明けの月を 待ち出でつるかな | 素性法師 そせいほうし |
022 | 吹くからに 秋の草木の しをるれば むべ山風を 嵐といふらむ | 文屋康秀 ふんやのやすひで |
023 | 月見れば ちぢに物こそ 悲しけれ 我が身一つの 秋にはあらねど | 大江千里 おおえのちさと |
024 | このたびは 幣もとりあへず 手向山 紅葉の錦 神のまにまに | 管家 かんけ |
025 | 名にし負はば 逢坂山の さねかづら 人に知られで くるよしもがな | 三条右大臣 さんじょうのうだいじん |
026 | 小倉山 峰のもみぢ葉 心あらば 今一度の 行幸待たなむ | 貞信公 ていしんこう |
027 | みかの原 わきて流るる いづみ川 いつ見きとてか 恋しかるらむ | 中納言兼輔 ちゅうなごんかねすけ |
028 | 山里は 冬ぞ寂しさ まさりける 人目も草も かれぬと思へば | 源宗于朝臣 みなもとのむねゆきあそん |
029 | 心あてに 折らばや折らむ 初霜の 置きまどはせる 白菊の花 | 凡河内躬恒 おおしこうちのみつね |
030 | 有り明けの つれなく見えし 別れより 暁ばかり 憂きものはなし | 壬生忠岑 みぶのただみね |
031 | 朝ぼらけ 有り明けの月と 見るまでに 吉野の里に 降れる白雪 | 坂上是則 さかのうえのこれのり |
032 | 山川に 風のかけたる 柵は 流れもあへぬ 紅葉なりけり | 春道列樹 はるみちのつらき |
033 | 久方の 光のどけき 春の日に しづ心なく 花の散るらむ | 紀友則 きのとものり |
034 | 誰をかも 知る人にせむ 高砂の 松も昔の 友ならなくに | 藤原興風 ふじわらのおきかぜ |
035 | 人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の 香ににほひける | 紀貫之 きのつらゆき |
036 | 夏の夜は まだ宵ながら 明けぬるを 雲のいづこに 月宿るらむ | 清原深養父 きよはらのふかやぶ |
037 | 白露に 風の吹きしく 秋の野は 貫き止めぬ 玉ぞ散りける | 文屋朝康 ふんやのあさやす |
038 | 忘らるる 身をば思はず 誓ひてし 人の命の 惜しくもあるかな | 右近 うこん |
039 | 浅茅生の 小野の篠原 忍れど あまりてなどか 人の恋しき | 参議等 さんぎひとし |
040 | 忍れど 色に出でにけり 我が恋は 物や思ふと 人の問ふまで | 平兼盛 たいらのかねもり |
041 | 恋すてふ 我が名はまだき 立ちにけり 人知れずこそ 思ひ初めしか | 壬生忠見 みぶのただみ |
042 | 契りきな かたみに袖を しぼりつつ 末の松山 波越さじとは | 清原元輔 きよはらのもとすけ |
043 | 逢ひ見ての 後の心に 比ぶれば 昔は物を 思はざりけり | 権中納言敦忠 ごんちゅうなごんあつただ |
044 | 逢ふことの 絶えてしなくは なかなかに 人をも身をも 恨みざらまし | 中納言朝忠 ちゅうなごんあさただ |
045 | あはれとも いふべき人は 思ほえで 身のいたづらに なりぬべきかな | 謙徳公 けんとくこう |
046 | 由良の門を 渡る舟人 かぢを絶え ゆくへも知らぬ 恋の道かな | 曾禰好忠 そねのよしただ |
047 | 八重葎 茂れる宿の さびしきに 人こそ見えね 秋は来にけり | 恵慶法師 えぎょうほうし |
048 | 風をいたみ 岩打つ波の おのれのみ くだけて物を 思ふ頃かな | 源重之 みなもとのしげゆき |
049 | みかき守 衛士のたく火の 夜は燃え 昼は消えつつ 物をこそ思へ | 大中臣能宣朝臣 おおなかとみのよしのぶあそん |
050 | 君がため 惜しからざりし 命さへ 長くもがなと 思ひけるかな | 藤原義孝 ふじわらのよしたか |
051 | かくとだに えやはいぶきの さしも草 さしも知らじな 燃ゆる思ひを | 藤原実方朝臣 ふじわらのさねかたあそん |
052 | 明けぬれば 暮るるものとは 知りながら なほ恨めしき 朝ぼらけかな | 藤原道信朝臣 ふじわらのみちのぶあそん |
053 | 嘆きつつ 独り寝る夜の 明くる間は いかに久しき ものとかは知る | 右大将道綱母 うだいしょうみちつなのはは |
054 | 忘れじの 行く末までは 難ければ 今日を限りの 命ともがな | 儀同三司母 ぎどうさんしのはは |
055 | 滝の音は 絶えて久しく なりぬれど 名こそ流れて なほ聞こえけれ | 大納言公任 だいなごんきんとう |
056 | あらざらむ この世の外の 思ひ出に 今一度の 逢ふこともがな | 和泉式部 いずみしきぶ |
057 | めぐり逢ひて 見しやそれとも わかぬ間に 雲隠れにし 夜半の月かな | 紫式部 むらさきしきぶ |
058 | 有馬山 猪名の笹原 風吹けば いでそよ人を 忘れやはする | 大弐三位 だいにのさんみ |
059 | やすらはで 寝なましものを さ夜更けて 傾くまでの 月を見しかな | 赤染衛門 あかぞめえもん |
060 | 大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみも見ず 天の橋立 | 小式部内侍 こしきぶのないし |
061 | いにしへの 奈良の都の 八重桜 今日九重に 匂ひぬるかな | 伊勢大輔 いせのたいふ |
062 | 夜をこめて 鳥の空音は はかるとも よに逢坂の 関は許さじ | 清少納言 せいしょうなごん |
063 | 今はただ 思ひ絶えなむ とばかりを 人づてならで いふよしもがな | 左京大夫道雅 さきょうのだいぶみちまさ |
064 | 朝ぼらけ 宇治の川霧 たえだえに あらはれ渡る 瀬々の網代木 | 権中納言定頼 ごんちゅうなごんさだより |
065 | 恨みわび ほさぬ袖だに あるものを 恋に朽ちなむ 名こそ惜しけれ | 相模 さがみ |
066 | もろともに あはれと思へ 山桜 花より外に 知る人もなし | 前大僧正行尊 さきのだいそうじょうぎょうそん |
067 | 春の夜の 夢ばかりなる 手枕に かひなく立たむ 名こそ惜しけれ | 周防内侍 すおうのないし |
068 | 心にも あらで憂き世に ながらへば 恋しかるべき 夜半の月かな | 三条院 さんじょういん |
069 | 嵐吹く 三室の山の もみぢ葉は 龍田の川の 錦なりけり | 能因法師 のういんほうし |
070 | さびしさに 宿を立ち出でて 眺むれば いづこも同じ 秋の夕暮れ | 良暹法師 りょうぜんほうし |
071 | 夕されば 門田の稲葉 おとづれて 芦のまろやに 秋風ぞ吹く | 大納言経信 だいなごんつねのぶ |
072 | 音に聞く 高師の浜の あだ波は かけじや袖の 濡れもこそすれ | 祐子内親王家紀伊 ゆうしないしんのうけのきい |
073 | 高砂の 尾の上の桜 咲きにけり 外山の霞 たたずもあらなむ | 前中納言匡房 さきのちゅうなごんまさふさ |
074 | うかりける 人を初瀬の 山おろしよ はげしかれとは 祈らぬものを | 源俊頼朝臣 みなもとのとしよりあそん |
075 | 契りおきし させもが露を 命にて あはれ今年の 秋もいぬめり | 藤原基俊 ふじわらのもととし |
076 | わたの原 漕ぎ出でて見れば 久方の 雲居にまがふ 沖つ白波 | 法性寺入道前関白太政大臣 ほっしょうじにゅうどう・・・ |
077 | 瀬を早み 岩にせかるる 滝川の われても末に あはむとぞ思ふ | 崇徳院 すとくいん |
078 | 淡路島 通ふ千鳥の 鳴く声に 幾夜寝覚めぬ 須磨の関守 | 源兼昌 みなもとのかねまさ |
079 | 秋風に たなびく雲の 絶え間より もれ出づる月の 影のさやけさ | 左京大夫顕輔 さきょうのだいぶあきすけ |
080 | 長からむ 心も知らず 黒髪の 乱れてけさは 物をこそ思へ | 待賢門院堀河 たいけんもんいんのほりかわ |
081 | ほととぎす 鳴きつる方を 眺むれば ただ有り明けの 月ぞ残れる | 後徳大寺左大臣 ごとくだいじのさだいじん |
082 | 思ひわび さても命は あるものを 憂きにたへぬは 涙なりけり | 道因法師 どういんほうし |
083 | 世の中よ 道こそなけれ 思ひ入る 山の奥にも 鹿ぞ鳴くなる | 皇太后宮大夫俊成 ・・ぐうのだいぶしゅんぜい |
084 | ながらへば またこの頃や 忍ばれむ 憂しと見し世ぞ 今は恋しき | 藤原清輔朝臣 ふじわらのきよすけのあそん |
085 | 夜もすがら 物思ふ頃は 明けやらで 閏のひまさへ つれなかりけり | 俊恵法師 しゅんえほうし |
086 | 嘆けとて 月やは物を 思はする かこち顔なる わが涙かな | 西行法師 さいぎょうほうし |
087 | 村雨の 露もまだ干ぬ 槇の葉に 霧立ちのぼる 秋の夕暮れ | 寂蓮法師 じゃくれんほうし |
088 | 難波江の 芦のかりねの ひとよゆゑ みをつくしてや 恋ひわたるべき | 皇嘉門院別当 こうかもんいんのべっとう |
089 | 玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば 忍ぶることの 弱りもぞする | 式子内親王 しょくしないしんのう |
090 | 見せばやな 雄島の海人の 袖だにも 濡れにぞ濡れし 色は変はらず | 殷富門院大輔 いんぷもんいんのたいふ |
091 | きりぎりす 鳴くや霜夜の さむしろに 衣かたしき ひとりかも寝む | 後京極摂政前太政大臣 ごきょうごくせっしょう・・ |
092 | わが袖は 潮干に見えぬ 沖の石の 人こそ知らね 乾く間もなし | 二条院讃岐 にじょういんのさぬき |
093 | 世の中は 常にもがもな 渚漕ぐ 海人の小舟の 綱手かなしも | 鎌倉右大臣 かまくらのうだいじん |
094 | み吉野の 山の秋風 さ夜更けて ふるさと寒く 衣打つなり | 参議雅経 さんぎまさつね |
095 | おほけなく うき世の民に 覆ふかな 我が立つ杣に 墨染の袖 | 前大僧正慈円 さきのだいそうじょうじえん |
096 | 花さそふ 嵐の庭の 雪ならで ふりゆくものは 我が身なりけり | 入道前太政大臣 にゅうどう・・・ |
097 | 来ぬ人を 松帆の浦の 夕凪に 焼くや藻塩の 身もこがれつつ | 権中納言定家 ごんちゅうなごんさだいえ |
098 | 風そよぐ ならの小川の 夕暮れは みそぎぞ夏の しるしなりける | 従二位家隆 じゅにいいえたか |
099 | 人も惜し 人も恨めし あぢきなく 世を思ふ故に もの思ふ身は | 後鳥羽院 ごとばいん |
100 | ももしきや 古き軒端の しのぶにも なほあまりある 昔なりけり | 順徳院 じゅんとくいん |
序歌 | 難波津に 咲くやこの花 冬ごもり 今を春べと 咲くやこの花 | 王仁博士 わにはかせ |
幻の舞台曲 Serenade (C. F. Gounod)
Voice Memo を見ていたら、2021年12月22日に家で練習したグノーのセレナーデの音声があるのに気づいた。倒れる前日だ!記念にここに残すしかないと思った。これから歌うために!そうだ、私はまだ舞台で歌う夢を捨ててはいない!

2月18日・・・
この日付は絶対忘れない。私以外の人は誰も知らない、覚えてもいない。もう何年前だろう。「もし生まれていたら、今頃かわいくなったかなぁ、立派な青年になってただろうなぁ・・・」と毎年思い出して、想像しているうちに、もう「51歳のいいおじさんかぁ。」となってしまったのに気づいて苦笑した。
それでも昨日、初めてこんなことを思った。「私はあなたには会えなかったけど、あなたも”大好きな”お母さんに一度も会えなかったんだね。かわいそうだったね。」と。でも、忘れないからね、いつまでも・・・・。

今年の2月18日も、フツーにやってきて、フツーに行ってしまった。私は美容室のHARさんに来てもらい髪を切った。さっぱりした。朝、晩の歩行訓練もしっかりして、G先生とメールのやり取りもし、ベートーベンのピアノトリオTrio Accordの「大公」、ファビオ・ルイージ指揮N響のメンデルスゾーン「交響曲スコットランド」を何回も聴いて楽しく過ごした。


鎌倉の”春”2023
Spring has come to everywhere, though it has been still cold. Visiting temples, shrines and froral gardens was my most favorite passtime until I had a big trouble. I wrote that after the stroke the saddiest thing I needed to give up (see a memo) was my besat favorite hobboy going out for a walk in Kamakura with my camera! I thought it was my perpetual joyful activities.

Then, I found a wonderful blog about flowers in Kamakura. Looking at it becomes one of my favorite passtimes other than listening to music. Today I realized/ thought I did not need to give up of it, I can visit the sites again, not entire area but some, in two or three years!!! What a good idea! Until then, I put some flower photos from “Today’s Kamakura” blogsite. I was amazed by the author’s sense. She/he visits the same sites, and almost the same spots I like, such as white plum tree at Engaku-ji. So I feel I am visiting the site the same as before by myself!! Not only atEngakuji, but also Kosoku-ji, Hase Temple, Ryuho-ji and so on.
浄妙寺


鶴岡八幡宮



円覚寺




浄智寺



大船フラワーセンター





サルスベリの木の根元










長谷寺












