紫陽花のイギリス館コンサート
2回目のミニ・コンサート。仕事のメールに気を取られながらの本番となり、残念な歌唱だった! 集中に集中を重ねても上手くいかないのに、他のことを気にしながらちゃんと歌えるはずもない。でも、Gの音でチャレンジしたので楽しかった。7月は出られない可能性が高いので挑戦してよかった。やっぱり歌うのは楽しい。
演奏の写真は撮らなかった。ひっそりとやるのが良いらしいので・・・。でも、控室で舞台衣装・特別写真を撮った。
2回目のミニ・コンサート。仕事のメールに気を取られながらの本番となり、残念な歌唱だった! 集中に集中を重ねても上手くいかないのに、他のことを気にしながらちゃんと歌えるはずもない。でも、Gの音でチャレンジしたので楽しかった。7月は出られない可能性が高いので挑戦してよかった。やっぱり歌うのは楽しい。
演奏の写真は撮らなかった。ひっそりとやるのが良いらしいので・・・。でも、控室で舞台衣装・特別写真を撮った。
4/27に続いての歌のステージ。こちらは勉強中の歌を”歌うだけ”・・・のはず、だけど、そうはいかない。それなりに練習し、緊張し、でも歌うことを楽しんでがんばりました。2回のリハーサルでは失敗続き、どうなることやらとも思いましたが”本番に強い”特技を生かして(?) 無事楽しく乗り切りました。Kumi, Mari, Sarahの家族が応援してくれたのも大いに力になりました。ありがとう!
イギリス館は薔薇や小さな花々が美しく、良く晴れたいい日でした。(帰りには土砂降りに遭遇しましたが・・・)
Rose Garden
発表会は、これまでは10人ぐらいの出演者でホソボソとやっていたとのこと。今回は観客も出演者も多く、大いに盛り上がりました。発表会のあと、外へ出たら急な雨に。タクシーでランドマークタワーまで移動しお茶して帰りました。
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4カ月の練習を経て、ようやくたどり着いたコンサート。にわかづくりのグループなのでバラバラだったり、「もっとこうしたら・・・」はあったけど、春の香りを届けることができたかなぁと思う。それに何よりも、プロの演奏家のすばらしい演奏があった!!「 花香るコンサート会場に身をおくことができ、爽やかなひと時を過ごす ことができました。」とのお便りもあった。
一緒に演奏したプロの方からも「プチ・フレールの皆様の演奏、とても良かったです‼︎ 異なる言語の曲を原語で歌われていらっしゃり、それもとても素晴らしかったです。」 とも。自分なりに挑戦し、努力し楽しんだので大満足、楽しかった。そして有料の演奏会に出演した記念の日。
この演奏会の制作者・ソプラノしもざき響子さん、八面六臂の大活躍。どんな困難にも負けず、めげず、頑張りぬきました。敬服しました。
ステージ写真もあとから集まりつつあります(6/3)
♫ 2019 New Phase 2 (Petit Fleur)
3/30 土曜日、さくらと海棠が一緒に咲いているという妙本寺へ。海棠が満開だった。桜も8分咲きぐらい、こんな年は珍しい。そのあと「井川」というコーヒー屋さんでお茶、グアテマラ・コーヒーの美味しかったこと! 最後に、駅に向かうために通り過ぎるだけと思って入った大巧寺は、利休梅、マンサク、ヒメコブシ。 でも、そのあとに見たあの椿の赤(銅・紅)の見事さにはびっくり。私の”定点観測”地点なのに…、知らなかった。
海棠
枝垂桜、山吹や三つ葉葵、木瓜なども
路地の日本すみれ
大巧寺、おんめさまの美しい庭!
そして、見度とな椿
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(岩本さんVTRより) |
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うたとピアノのサロンコンサート前半
うたとピアノのサロンコンサート後半
NY Central Parkにて
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砂山(山田耕筰) |
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野薔薇 Schubert |
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Die Lotosblume Schumann |
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砂山 |
1922年に新潟で開催された童謡音楽会に参加した北原白秋は、小学生たちから新潟にちなんだ歌の依頼を受け、1922年(大正11年)9月に出版された雑誌で童謡『砂山』を発表した。北原白秋の歌詞『砂山』に1923年には、童謡『赤とんぼ』、『ペチカ』などを残した作曲家・山田 耕筰がメロディをつけた。 |
野薔薇 |
1821年出版。1815年の数多いゲーテ歌曲のひとつ。歌詞はドイツの民謡 『あれ野のばら』 をもとにして、ゲーテが民謡風に歌った、 1771年の作品で、ウェルナーが曲をつけたものも有名です。1770年、当時21歳の学生だったゲーテは友人に連れられて、ゼーゼンハイムという 田舎の村の牧師の家を訪れました。そのとき紹介された、牧師の家の三女、 ブロンドのおさげ髪のフリーデリーケにゲーテはひとめぼれし、やがてふたりは恋に落ちました。フリーデリーケは18歳。ふたりの交際は、ほぼ1年にわたって続きましたが、 大学を卒業したゲーテは何もいわず彼女のもとを去っていってしまいました。「野ばら」 が書かれたのはその後のこと。残されたフリーデリーケはずっと独身のまま、その生涯を終えたそうです。清らかに咲くバラが無情にも折られてしまう詩は、ゲーテが恋人を裏切り、 たぐいまれな美しい心を深く傷つけてしまった自責の念がこめられていますが、 シューベルトの曲は暗さを感じさせず、かわいらしい、親しみやすさにあふれています。Johann Wolfgang von Goethe |
蓮の花 |
「Die Lotosblume(はすの花)」の詩はハインリヒ・ハイネ(Heinrich Heine, 1797年~1856年)によるものです。睡蓮の花は 太陽の輝きを怖れ うなだれ夢みつつ 夜の訪れを待つ月こそは想い人 そのほの明りに目覚め 嬉しげにヴェールを取り
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コーラス曲は;
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