夜の銀座なんてわざわざ行くこともないので思わずうれしくなり写真を撮りました。渋谷や新宿、横浜駅付近のチャラチャラ感がどうしても出てしまう場所とは異なり、身振りもしとやかに上品にまとめようという姿勢(!)は感じました。
   
   
   
 
   
 
わっ!Mikimotoと焼き芋屋さん!
Eriさんコンサートはこちら  Top Pageへ

コンサートがあったらすぐチケットを買う人、No. 1 中村恵理さん。いつも最初のフレーズを聴くと感動で涙が出そうになる。今回は「北秋の」だったからなおさら・・・。

写真はFace bookより




 中村恵理(ソプラノ)
木下志寿子(ピアノ)
演奏曲目
信時 潔/北秋の
大中 恩/かなしくなったときは
山田耕筰/曼珠沙華
H.ヴォルフ/イタリア歌曲集 より
第1曲 小さなものでも
第2曲 遠いところへ旅立つそうね
第11曲 もうどんなに待ち焦がれていたかしら
第20曲 私の恋人が月明かりの注ぐ家の前で歌っているわ
第46曲 私はペンナに恋人がいるの
R.シュトラウス/
5つの歌 より 愛を抱いて op.32-1
8つの歌 より なにも Op.10-2
8つの歌 より 万霊節 Op.10-8
5つの歌 より 鳴り響け! Op.48-3
W.A.モーツァルト/歌劇「イドメネオ」 より “お父様、お兄様、さようなら” (レチタティーヴォから)
G.プッチーニ/歌劇「ラ・ボエーム」 より “私が街を一人で歩くと”
J.オッフェンバック/歌劇「ホフマン物語」 より “ホフマンの舟歌” (ピアノソロ)
J.オッフェンバック/歌劇「ホフマン物語」 より “小鳩は飛び去った”
C.グノー/歌劇「ファウスト」 より “宝石の歌”

NHK NewYearオペラで歌ったリウの歌曲も素敵でした。

 

次は3/27です。楽しみです!あんな風に歌えたらいいなぁ・・・。その前に2/22にTV放映があるのが、楽しみ!!

この日の銀座のイルミネーションはこちら

 

 

 

2018.2.22 NHKでの恵理さん


Top Page へ

 
11/11(月)未明、Nobel Academy のサイトで授賞式の模様を食い入るように見ていた。
Kazuo Ishiguroさんは、身体とたたずまいは日本人、言語と身体の動きはHalf British/Half Japanese のような感じで、穏やかでにこやかな表情で、楽しそうに嬉しそうに賞を受けた。喜ばしい瞬間だった。
 
でも、その前に平和賞を受賞した ICAN (International Campaign to Abolish Nuclear Weapons) のベアトリス事務局長(Beatrice Fihn)のスピーチが超過激、直截的・感動的で驚きだった。日本人被爆者Thurlow節子さんのスピーチも力強く、会場に感動を広げた。世界に声を拡げるものだったと思う(拍手) スピーチ原稿(こちら)


The Sveriges Riksbank Prize in Economic Sciences in Memory of Alfred Nobel 2017 Richard H. Thaler
Richard H. ThalerさんPhoto: University of Chicago/Anne Ryan
もう一つ、おかしみとともに感動したのは、経済学賞を受けた米国の受章者が舞台で思わず見せた涙。正直そうで可愛らしく、VTRを戻して何度も見てしまった。どの受章者も人生をかけた挑戦を長年たゆみなく続けた人で、それだけで十分人を感動させるのだと思った。

 


こちらは、受賞後の夕食会でのIshiguroさんのすばらしいスピーチ:

Kazuo Ishiguro – Banquet Speech

Read More →

いよいよNobel Weekが近づいてきた。一番の楽しみはKazuo Ishiguroさんが何を話すか。日本人ではないけれど日本で生まれ、それを懐かしみ、日本にルーツがあることを誇りにする人。

Decent Manの見本のような人。
スウェーデンに到着し、ストックホルムで講演を行ったときの模様を伝える新聞記事を保存。

Kazuo Ishiguro ‘very touched’ by Japanese reaction to Nobel Win

DEC 7, 2017  JIJI, KYODO

LONDON – British author Kazuo Ishiguro, winner of the 2017 Nobel Prize in literature, said Wednesday he was happy to learn that people in Japan celebrated his recognition.
Ishiguro was born in Nagasaki in 1954 and moved at age 5 to Britain, where he still lives and writes in English.Read More →

発表会の反省会として、みんなで集まりました。
先生からの正式な講評はなく、少し物足りない気持ちでしたが、みんなの前で批評するのはきっと無理だと思うのでフラストレーションは感じたけど無理だと諦めました。わたしの演奏についての評価は言われなくても良くなかったのは分かっているし、みんなの前で言われなくてよかったのかも・・・・。
 
   
   
   
眺めのいい場所で、落ち着いて話ができてとても楽しかったし、何よりも次の新曲 Piacer d’amorのレッスンを受けることができました。(レッスン前の練習ができたということ!)

 

Top Pageへ

旧米沢藩出身としては、忠臣蔵の解釈には反対だ。殿中で”切り付けた”方が英雄で、切り付け”られた”方が悪者なのは理不尽である!!と言い続けるのだが、ドラマの影響、判官びいきのせいで多勢に無勢だ。でも、この頃はときどきこの騒動を科学的に分析しようとする記事を見る。うれしい。

江戸城内で突然、斬りつけた浅野内匠頭は強迫性障害だった? 現代の医師が診断(AERAより)

『戦国武将を診る』などの著書をもつ日本大学医学部・早川智教授は、歴史上の偉人たちがどのような病気を抱え、それによってどのように歴史が形づくられたことについて、独自の視点で分析。医療誌「メディカル朝日」で連載していた「歴史上の人物を診る」から、赤穂藩主・浅野長矩を診断する。
*  *  *
【浅野長矩(1667~1701年)】
毎年、暮れになると腹の立つことがある。
各局で放映される忠臣蔵である。気の毒な吉良上野介義央は没後300年以上にわたりどうして毎年悪役として殺され続けなければならないのか。
そもそもの始まりは、2年ほど前に遡る。
弥生も半ば春の陽差しが射し込む元禄14年(1701年)3月14日、江戸城松の廊下でとんでもない事件が起きた。将軍徳川綱吉が勅使を饗応する儀式の責任者である播州赤穂5万3000石藩主・浅野内匠頭長矩が、梶川与惣兵衛と立ち話をしていた高家筆頭吉良上野介義央に「この間の遺恨覚えたるか」と叫んで斬りつけたのである。
■犯行の背景は
浅野本人が吟味の席で「乱心にあらず。かねて遺恨あり」と述べているが真相は藪の中である。犯行の背景には(1)吉良に賄賂を持っていかず恥をかかされた(徳川実紀)、(2)赤穂の塩が吉良の塩に販売競争で負けた(尾崎士郎)、(3)接待費用を節約し叱責された(三田村鳶魚)、(4)吉良が浅野の室に横恋慕(仮名手本忠臣蔵)などの説があるが、いずれも根拠は薄い。
内匠頭は田村右京大夫邸で即日切腹。享年34。当然ながら、吉良はお咎めなしである。
実際、この事件での被害者に何の落ち度もない。浅野内匠頭の罪名は現在で考えても明らかに殺人未遂罪であり公務遂行中の事件でもある。「殿中にて刃傷に及べば切腹・死罪」という法があり、裁判(目付・近藤平八郎と多門伝八郎による訊問)を経て処刑されている。
勿論、判決当日とはあまりに拙速という批判もあろうが、当時として適切な法手続きは行われたと言ってよい。そもそも特権的に武士のみに携帯を許された短刀を抜いて、公の場で上司の殺害を企てたわけであり、その場で斬り殺されても文句は言えない。切腹についても、武士としての名誉ある死の方式であり、内匠頭の名誉を傷つけたとは言えない。

 

 

 

 

2013年、GTTで吉良邸跡を訪問。この説を唱えたが、理解した人は少なかったと思う。

■何が彼をそうさせたか
侍医である寺井玄渓日記には浅野には「痞え(つかえ)」の持病があり、事件の3日前に薬を調合したとしている。精神科医の小田晋は「腹部発作と不機嫌症状を伴う軽いてんかん発作があったのではないか。痞えの持病に吉良の意地悪によるストレスが加わり、鬱積爆発反応が起きたのではないか」としている。同じく精神科医の中島静雄は「浅野内匠頭は典型的な統合失調症で、吉良は通り魔殺人の被害者に過ぎない」としている。
浅野長矩は事件の7年前に重病で寝込み、弟大学長広を跡継ぎに定めて分家させたという記録はあるが、痙攣発作や異常行動の記録はない。ただ彼には妙に潔癖で融通の利かないところがあり、筆者には強迫性障害(OCD)があったのではないかと考える。
OCDは徐々に発達していく障害で、気分が良い時には無症状だが何か問題が起きたり不安を感じた場合に強迫観念や強迫行為、衝動行動などが発生する。OCDの原因は多様だが、遺伝や脳障害、特にセロトニン・ニューロンの異常が知られる。
OCDの増悪過程には、身体的要素に加えて学習的な要素があり、重症化していく。長矩が初めて勅使饗応役を行った17歳の時の強烈な体験が頭を離れず、事件を起こした元禄14年の準備で細かいことを何度も吉良に聞き、吉良も面倒くさくなって適当にあしらったため、逆恨みで切れたのではないか。
OCDは本人にとってはどうすることもできないので強い無力感を感じる。内匠頭が、従容として切腹の申し渡しを受けたということに矛盾しない。現在なら、向精神薬や行動療法でコントロールできるだろうが、漢方主体の江戸時代医学では(仮に蘭方でも)治療は困難であろう。
さて、気の毒なのは路頭に迷うことになった家臣たちである。御家再興の望みが絶えた翌年12月14日、吉良邸に大石内蔵助ら47人が討ち入り、上野介を討ち果たす。しかし、江戸時代であっても、私刑が許されるわけはなく、これは集団テロ以外の何物でもない。本来私闘の禁止のためにあった「喧嘩両成敗」で事件を論じること自体がナンセンスであろう。

Top Pageへ

2009年のドラマで見つけたかわいい、少年と青年の間の、なんとも魅力的な俳優。このごろテレビでも見るようになり、名前がやっとわかった。井之脇海くんと言うらしい。Yokosukaの出身だそうだ。


 

 

 

 

 

 

2009年のドラマでは15歳ぐらいの小澤小澤征爾を演じたが、こんなに素敵な青年になった。

 

「胡同に咲く花」

「キタキマユの飾らない名演技と、 小澤征悦のはにかんだ表情。
13歳の征爾くんを演じた少年の、まっすぐな表情に魅せられ、
何度もビデオを見てしまう。」

(Wikiより)

9歳から子役として活動をはじめ、2006年の「柳生十兵衛七番勝負」でテレビドラマ初出演。 2007年の「夕凪の街 桜の国」で映画初出演。同年から「天才てれびくんMAX」に出演。 2008年の映画「トウキョウソナタ」でキネマ旬報新人男優賞を受賞。

 2010年の主演作「カラフル」で舞台初出演。同年の「やつらは多分宇宙人」で連続ドラマはレギュラー。 2013年のNHKの朝ドラ「ごちそうさん」で、ヒロインの杏の弟役を務めて注目される。

 以降も「ひよっこ」や「おんな城主直虎」などの話題の連続ドラマに出演。 「合葬」や「帝一の國」、「海辺と生と死」などの映画にも出演。

Top Pageへ

 

 

朝の目覚ましはいつもMari
“そうだ、うれしいんだ、生きるよろこび、あとい(たとえ)みんなのゆめ いたん(?)でも~。タララ・タララ・タララララ・ちょんなのは(そんなのは)イヤラ(だ)。わちゅれないでゆめを。 アンパンマンの、「優しい君は」のうた、うたいたいな”と言って起こしてくれる。なんとも幸せな朝だ!
電話の呼び出し音も”要注意”だ。家族以外の人には聞かせられない。でも世界にたった一つの音源なのだ。
”(Mari) キャベチュの中からアオムチ出たよ(Simon・・チ、デタヨ、チョピ、チョピ・・オトータン、アオムチ (Mari) キャべチュの中から生まれてきたよ(Simon ナカカラ、ウマエテ・キーターヨ~)” と音が被っている。
これに加えて、12/6朝は Apple Watch にもMari が登場、びっくり!

 

Top Pageへ